ひねくれ人間におすすめの文学
独断と偏見でひねくれた人間にぴったりかもしれないひねくれ本を紹介していく。色々な国からバランスよく紹介したかったが、あんまり文学わからないのでそんなに出なかった。ご容赦いただきたい。
日本文学
駆込み訴え/太宰治
なんだ太宰かよ、と思ったかもしれない。しかしみんな太宰が好きである。意地を張るのはやめよう。
この『駆込み訴え』は短編で、たとえば新潮文庫から出ている短編集『走れメロス』などに収録されている。(たぶん)太宰ファンからの評価も高い一編であるため、とりあえず「太宰は短編が面白い」「太宰なら『駆込み訴え』が好きかな〜」などと言っておけばきっとなんとかなる。読んでもらえばわかるが、とにかく彼の鬼のような才能がそのまま我々を殴ってくるような作品である。太宰自身も相当ひねくれているといえるし、そういう意味では『人間失格』も非常におすすめだ。しかし『人間失格』はめちゃくちゃ有名だし、そもそも少し読みにくいかもしれない。あとは『畜犬談』もおすすめの短編の一つだ。皮肉っぽいユーモアが好きならはまるかもしれない。
しかし、とりあえず『駆込み訴え』は読んで欲しい。なんてったって太宰は短編が面白いのだ。青空文庫にもあるよ。
文学部唯野教授/筒井康隆
こんなにバカバカしい小説はないが、めちゃくちゃ面白い。大学への風刺を楽しみながらさっくり文学理論についても学べるので、笑えるしブンガクチョットワカルになれるかもしれないいい本である。変な方向から文学攻めたい人におすすめ。しかしあんまり真に受けない方がいい。
アメリカ文学
悪魔の辞典/ビアス
アメリカのジャーナリストであるビアスが、様々な事柄について「悪魔のような」説明を提示する作品。くどいぐらいにずっと皮肉である。たとえば、
結婚(marrige n.)
(1)共同生活体の一つの場合で、一人の主人と一人の主婦と二人の奴隷からなり、それでいて全部合わせて二人にしかならない状態、もしくは境遇。
(2)・・・
引用:ビアス『新編 悪魔の辞典』岩波書店,2015,p. 88
などといった具合だ。ただ、「猫」の項がちゃんと酷いのでちょっとそこは減点である。
イギリス文学
高慢と偏見とゾンビ/セス・グレアム=スミス
この本は、言わずと知れた名作、ジェイン・オースティン作『高慢と偏見(自負と偏見)』のパロディ作品だ。原作は、ひどく単純に表現すれば、主人公女性のキャラも立っているハーレクイン・ロマンスものである。「突然現れた金持ちで鼻持ちならないイケメンが、賢くて強い私に惚れてしまって…?」みたいなアレだ(ちゃんと面白いですよ)。実際私はハーレクイン・ロマンスに造詣がないので詳しいことはわからないが、まあそこまで遠いジャンルでもないだろう。
パロディやパスティーシュ、続編など様々な二次創作が世に送り出されてきた『高慢と偏見』だが、私見では本作品は相当出来がいい(何様)。原作の世界にゾンビを加えたものだ。バカバカしくて笑えるが、原作への愛も感じられる作品である。というか、ゾンビやら東洋武術やらを加えてよく丸く収めたなと感心さえさせられた。まさかの映画化もされている。本作自体はアメリカ人作家が書いているが、まあ原作の『高慢と偏見』を書いたオースティンはイギリス人なのでイギリス文学枠でいいだろう(文学というかエンタメに近いが)。ほかに思いつかなかった。ぜひ原作を読んでから本作に挑戦してほしい。ちなみに原作は、割と本気でイギリス文学入門にもおすすめである。
ロシア文学
地下室の手記/ドストエフスキー
ひねくれているというよりむしろ過度にねじ曲がった主人公が、手記という形をとって彼自身の人生を振り返る作品。非常に共感性羞恥を煽る作品で、読んでいてしんどくなる。主人公の男ほど酷くはないけれど、彼のような感覚に陥ったことがある人は多いのではないだろうか。非常に有名な作品であるため、たとえば『まんがで読破』シリーズなどでコミカライズ版も出版されている。コミカライズ版の方が主人公をより客観視できるためしんどい。話も追いやすいため割とコミカライズ版はおすすめできる。
フランス文学
仏文、サドとユーゴーくらいしか読んだことがない。サドはべつにそんなにおすすめしない。かわいそうなのは抜けない。みんな、レミゼを読もう。…と思ったがひねくれた人に向けたものにしようとしていたのを忘れていた。
フロルヴィルとクールヴァル、または宿命/マルキ・ド・サド
この作品は、耳にたこができるほど聞いた、「サディズムという言葉の語源となった~」でおなじみのサド侯爵が書いた短編集、『恋の罪』に収録された一編である。題名通り「宿命」を描いた作品で、短編集の方のテーマ(?)は「悲壮小説集」だそうだ。
たしかにSM描写はあるのだが、そういう目的で読むとまあ普通に文学しているので肩すかしを食らうかもしれない。しかし、一度目を通しておくのも悪くないだろう。すべては教養の名の下に許される。オイディプス王の悲劇を彷彿とさせる作品である。
レ・ミゼラブル/ヴィクトル・ユーゴー
まともな方のフランス文学。言わずと知れた大作。とにかく長いらしい(岩波文庫で全4巻、新潮文庫で全5巻)。未読である。
聞くところによると話のメインの筋以外の、作者ユーゴーの思想が述べられた部分(要は脱線部分)がとにかく多いらしい。ストーリーが知りたいなら、角川文庫や岩波少年文庫から出ている抄訳版か、文春文庫から出ている『レ・ミゼラブル百六景』で十分である。後者なら挿絵も見れるしね。
ドイツ文学
読書について/ショウペンハウエル
文学というか哲学というか思想書というか…という感じだが許して欲しい。この本はとにかくショウペンハウエルのヘーゲル批判がすごくて面白い。高校の倫理の教科書にも、大学ではヘーゲルの講義が大人気だったせいでショウペンハウエルの講義はガラガラだったらしいと書かれていた(たしかヘーゲルが人気すぎて大学を辞めている)。世知辛い。
題名のとおり、読書とは何か、我々は何を読むべきなのか、というテーマで読書について書かれている。しかし短編集なので、表題作のほかにも『思索』『著作と文体』が収録されており、どれも簡潔でわかりやすく、薄くてすぐ読める。その上ためになる。文章に関しては、「とにかく簡潔にわかりやすく書け!!」的なことが主張されており、当時純粋な中学生だった私はそれを真に受け、一生懸命そのような文章が書けるよう努力した。しかしながらどうやら世の中では、どれほど自然に文章量をかさ増しして書けるか、というスキルのほうが重要だったようだ。
閑話休題。「〜とは何か」など、根本的な問いを立てるような人間はまあそんなに社会に適合しているとは言えないだろう。ひねくれている。社会に蔓延る道徳に対して疑いをもっていなければ、「道徳ってそもそもなんだろう?」などと考えるはずもないのである。ゆえにこの本は、「本を読むって、一体なんだろう…?」などと考えてしまうひねくれ人間にはうってつけの本だといえよう。
さいごに
ここまで色々と紹介してきたが、そもそも性格がひねくれている人間は読むものまでひねくれてはいけません。なんか普通に池井戸潤とか東野圭吾とか伊坂幸太郎とか読みましょう。
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