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こたつにもストーブにも湯たんぽでさえも再現できない、生き物と生き物が紡ぎだす幸福の発熱

 あともう少しのところで手が届かない。


 夢とか野望とか地位とか、そういうものの話ではなく。今、まさにこの部屋にある電気のスイッチに手が届かない。


 この状況に陥るたび、なぜいつまでもわたしは蛍光灯に付属でついてきたリモコンの設定を怠ってしまうのだろうと悔やむ。五月の正午を過ぎたばかりの窓の外は明るくて、レースのカーテン越しに青空が広がっている。

 ついさっきまで台所で洗い物をしていたので、数カ所水がはねた跡があるエプロンもつけたままだ。導かれるように、いつものように、部屋に入るタイミングで寝室の明かりをつけて毎度後悔する。


 ベッドに仰向けになった姿勢では眩しくてしょうがない。

 外も中も。

 目をつぶっても瞼の裏の光景は灼熱の赤だ。

 わたしは塞がれていない左手で、一時的でもいいから何か目を覆うものを探した。選択肢はそんなに多くはない。たぐりよせたのは夫が今朝脱いでいったままのパジャマのズボンだった。

 いつもならこんなところに脱ぎ捨ててと文句のひとつもこぼしたくなるが、夫への不満に助けられたりもする。主婦は家庭内の考古学者だ。ただし実際の考古学者と決定的に違うのは、発掘したものの価値はそのときの気分によって大きく変わる。ありがたくそれをそのまま顔の上にのせた。何年も嗅ぎ慣れたほうじ茶のような畳のような懐かしい匂い。


 右側の、肝臓辺りがほんのりと温かい。


 右手の内側に沿って小さな背骨がカーブを描いている。少し前までは背骨のひとつひとつのくぼみが外から触るだけでわかるほど痩せていたのに、今では身体を預けられるとずっしり重みを感じるほど成長した。

 お互いが接している面がすべて発熱している。こたつにもストーブにも湯たんぽでさえも再現できない、生き物と生き物が紡ぎだす幸福の発熱。

 手のひらの中にすっぽり収まっているふわふわのしっぽはときどきぴくっと動く。しばらくするとくーっと長い溜息が聞こえる。また一段階、身体が脱力する。起こしてしまわないように、でも一緒に眠り込んでしまわないようにわたしは夫のパジャマ越しにすけた天井を見つめた。ベッドのマットレスが少しだけ揺れて、足の間にするりともう一匹がやってきた。スカートとエプロン越しの内腿をぐいぐいと気の済むまで揉んで、それからくるりと一周してから、

 まるでわたしの足のくぼみにぴったりはまるために生まれてきたオーダーメイドのパーツのように、少しの隙間もなく自らを形成する。


 まずいな、と思う。

 子どもの頃の絵本の中で見たガリバーの挿し絵を思い出す。


 少しだけ開けていた窓からの風に吹かれてレースのカーテンがふんわりと膨らんだ。それぞれの健やかで規則的な鼓動と呼吸音が、肝臓と内腿から徐々に体内へと浸透していく。

 それらの振動に合わせて、わたしの肉体からは意志とは関係なく徐々に力が抜けていく。抗えない。脱力。


 明るいはずの室内が少しずつ暗くなっていく。中央のベッドに仰向けに横たわり、二匹の猫に暖を取られている女、ライトが消え、客席から見えなくなる。暗転。第一幕終了。

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