お布施は、「高いなぁ!」と思いながら手放しても意味がない❗
師走の土曜日の真っ昼間。
友人から届いたLINEです。
これをもとに、さっそくショート動画を発信しました😅
お布施は義務ではなく、在家の一般市民が修行をするチャンス
昭和の高度経済成長の頃。
人々は企業の一存で遠くの街へ引っ越したり、実家を遠く離れ都市部に居を構えたりするようになりました。
そんななか、「お金を払えば院号など、立派な戒名をつける」というお寺が続出。
ココがまさに、いまの寺離れのおおもとであり、現代における日本仏教寺院の腐敗のはじまりでした。
むろん宗教施設というものは世界じゅうで腐敗と再生を繰り返しているのであって、今に始まったことではありません。
道鏡はじめ、政治とつるんで権力をほしいままにし教えと乖離してゆく宗教者も(仏教に限らず)多数います。
でも今は、わたしたちの時代の、日本仏教寺院の腐敗について話をしましょう。
お布施ってほんらいなんのためにあるのでしょう?
仏教僧侶は古代インドにおいて、泥で染めた布一枚だけをまとい(それが元来の御袈裟です)、托鉢によってのみ暮らすとされていました。
自ら稼ぐことをしない代わりに人生の苦とどう向き合ったらよいのかの教えを説き、ありがたいと思った人々から托鉢、布施をいただき、生活していたのです。
寺も、教えをありがたいと感じた富豪の寄進によって建てられました。
教えをきいて「ありがたい」と思えた人々が自然に差し出すのが布施であり、布施を差し出すことは、宗教者として出家しない在家信徒にとっての修行にひとしいものなのです。
つまり、ありがたいと思ってもいないのに支払ったり、「高いなぁ!」と思いながら手放したのでは、なんのご利益もありません。
お寺からもつたわってないけど。もう少し宗教リテラシー上げていこうよ
戦後、公教育の教科書では宗教のことは教えないことになっているので、文化や歴史のことしか書かれていません。
「宗教はなんのためにあるのか?」
「なぜ布施をするのか?」
といった答えのない問いは、受験には出題されませんし、むしろそうしたことを中学時代に考えていると、学校の先生や塾講師から非難されることさえ散見されます。
このような風潮のなか、答えのない問いを深めたい体質の生徒たちは、どんどん不登校になっています。
あー、脱線した(笑)
不登校ハナシはまた別の機会にするとして。
宗教リテラシーの話だった❗
来週12/10(日)の夜(19時半〜)。
まずは【今さら聞けない世界の宗教あれこれ】と題して、
☑どうしてキリストは磔になったの?
☑どうしてイスラーム教とユダヤ教は戦争しているの?
☑日本以外では、世界三大宗教に「仏教」は入っていない⁉
などなど、ざっくばらんに語らいます。
出入り自由、入場無料、画面オフオッケーなのでどうぞいらしてください😃
司会進行は私オケイ。
クリスチャンゲストとして、フォロワー1万人を誇る上馬キリスト教会のXの〝まじめ担当〟MAROさんが登場。
そして、TikTokで12万フォロワーのふるたにこうだい僧侶が聞き手となり、来場の皆さんのコメントもいただきながら進めます。
縁空(エンク。ふるたに僧侶とオケイが立ち上げた合同会社です)では、数ヶ月に一度のZoom座談会を予定しております。
今回日程の合わないかたも、チラシのQRコードから公式LINEに友だち登録いただければ、次回以降のご案内が届きます。
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