見出し画像

2020年ふりかえり〜上半期編〜

書き出したらずんずんずんずん長くなってしまったので、

①で1月~6月の上半期を、②で7月~12月の下半期を書くことにしました。

まずは1月~6月のわたしをどうぞ。

●1月 この人と生きていこう。と心に決めた人にわずか6日で振られる。

思い返してみると、正月からハードな年だった。

2019年12月30日に彼と出会った。お互いほぼ一目惚れだったと思う。

うちでの宅飲み忘年会に、友達が連れてきた4つ上の男性。

出会った瞬間、「うわ、かっこいい人が来てしまった・・・。」と思った。

因みに、成田凌くんとか妻夫木聡くんに似ている。濃い。

そのまま一緒に年を越して、1月1日の夜に一旦解散。

わたしは島根の祖母の家へ。次に会うのは島根から帰って来る1月4日。

何もかもが素敵に見えた。温厚で、優しくて、わたしが喜ぶと一緒に喜んでくれる。

彼が嬉しいともちろんわたしも嬉しかった。

何でも話せて、何でも話してくれて、二人で話し合えるのがとにかく嬉しかった。

今まで、言いたいことを我慢したり、はなから伝えることを諦めているような恋愛のほうが多かったので、

わたしもようやく、一人の人と向き合って生きていける人生になっていくのかぁ・・・と、

ハッピーハッピーニューイヤーだった。はずだった。

1月4日、最寄りの駅に彼を迎えに行くと、とてつもなくぐったりしていた。

何かあったのかと心配するも、何も答えない。家についてしばらくすると、彼がおもむろに話し始めた。

小さな声で、途切れ途切れに言葉を紡ぐ彼の様子は本当に痛々しかった。

「付き合う、とか、結婚、とかに身体が拒絶反応を起こしてしまう。だからごめん。付き合っていけない。」

と、彼は言った。

実は、彼は去年離婚を経験していて(最初に全部聞いてた)、

数年間の結婚生活や当時の仕事の関係で一回精神的にすっかりダウンした時期があったそうだ。

結婚生活のことも、仕事のことも、あまり詳しくは聞いていなかったが、

その時の彼の痛々しい姿を見て、「ああ、どうしても無理なんや。」と受け入れるしかなかった。本当は、心の底から悲しかった。

ここからわたしはどうやったら一緒に居られるのか、大奮闘の数か月を送ることになるのだが、

1月のことを書くだけで精神力をだいぶんと使ってしまった。

もう恋愛の話はこの程度にしておこうと思う。恋愛が向いていない人生なのかもしれない。

結果だけお伝えしておくと、まだ絶賛片思い中である。

あの後も何回か告白したけど、返事を求めていないので、彼が何を考えているのかは分からない(笑)

●2月 移住を決意。

このとき、地元奈良の実家の近くでマンションを借りて、友達とルームシェアをして住んでいた。

ひょんなことから、県内の他の市の素敵コミュニティに参加させていただくことになり、

たびたびその市を訪れ、その市に住む方々と関わるうちに、

「ここに住みたい!ここで事業を始めたい!」と思うようになった。

みんながその土地を愛し、その土地を盛り上げようと頑張っている。

誰かが困っている時には助けに行き、自分が困っている時には、他の誰かが助けに来てくれる。

そんな助け合いの文化と、とにかく楽しいことしようぜ!という人の多さにも驚いた。

わたしが知らないだけかもしれないが、わたしの地元の市では、あまりそういう動きを感じたことがなかったからである。

「一軒家を借りて、改装して、子どもたちの居場所づくりをしたい!」と思った。

こんなに愛される町で、楽しく仕事が出来たら最高じゃね???と心が躍った。

なんやかんやそのあとにコロナがやってきたり、本当になんやかんやあってなんとなーく滋賀に移り住むことになったりで、

その試みは一旦中止しているが、2021年は再稼働させたいと考えている。仲間が出来たからね。

●3月 はじめてのヨガクラス開講。

というわけで、突然ですがヨガをやっています。

スタジオでやる、きらびやかなヨガではなくて、(スタジオヨガも大好きやけど!)

整体の師匠が教えてくれる、ほぼストレッチメインの整体ヨガを、月に2~3回。

それを3年くらい?細々と続けている。

あまりにも身体の諸症状が改善するし、精神衛生上もよい効果ばかりなので、

子どもたちも出来たら絶対いいのに!と思っていたところ、

縁あってキッズヨガの講座に参加させてもらったのが去年の夏のことである。

キッズヨガインストラクターの資格を取ってからは、当時働いていた放課後デイサービスで、

イベントとして月に一回、子どもたちとヨガを楽しんでいた。

放デイの子たちだけじゃなく、集客して一般の習い事として、

キッズヨガ教室を開きたい、と思ったのは一体なぜだったか。きっかけはすっかり忘れてしまったが、

とにかく何か行動したかったんだと思う。

怒涛の1月2月を過ごす中で、ふと、やるぞー!と思って友達や知り合いにLINEを送りまくったのは覚えている。

最初はさっき書いた通り、地域の子どもたちの習いごとで、と考えていたのだが、

初めて会う子どもたちと、いきなり明るく楽しくキッズヨガをするなんて、「陰」のわたしにはハードルが高すぎる・・・!

子どもたちとヨガをするより、大人たちと童心にかえってキッズヨガするほうが楽しいんじゃね?!ということで、

「大人のためのキッズヨガ」を開くことにした。

そもそもキッズヨガってなに?と思われる方も多いだろう。

大人のヨガと違って、ただインストラクションを入れながらポーズを展開していっても、

子どもたちは楽しくないとすぐに飽きてしまう。

なので、絵本を読んだり、ストーリーや歌にのせて、遊びながらヨガのポーズをしたり、

呼吸法を取り入れたり、ストレッチをしたりするのがキッズヨガである。

それを、また大人用にアレンジしなおした。

大人がやる前提のヨガを、子供向けにアレンジしたものを、また大人向けにアレンジしなおしたわけである。ややこしい。

参加者は5人。友達が3人と友達のお母さん、あと放デイに来てくれてるJKが1人。

本当はもうあと数名来てくれる予定だったのだが、2020年3月下旬、すでにコロナの影響がそこかしこに出ていて、

土壇場でのキャンセルが相次いだ。

わたしも本当に開催していいのか、どうするのが一番いいのか、前日の夜まで悩みに悩んだ。

結果としては、本当に開催してよかった。

わたしは初めて、自分がやりたい!と声をあげて挑戦したことで、

お金をもらう、という最高の経験をすることができた。

みんな喜んでくれて、楽しかった、身体が楽になった、と口々に感想をくれたのも、とっても嬉しかった。

4月もやりたかったのだが、世間は自粛ムードが高まっていたこともあり、

ヨガはオンラインで希望者に教える、という方針に切り替えて現在も行っている。

●4月 引っ越しを決意。父に「無理ちゃう?」と言われる。

この記事に何度か出てきている放課後デイサービスは、実は両親が経営しているもので、

わたしはそこで2年ちょい働いていた。そりゃあもうのびのびと。

利用児さんは全部で10人程度、スタッフは両親と兄と兄の友人とわたしの5人。こじんまりとした小規模の放デイである。

放課後デイサービスとは名前の通り、子どもたちが学校が終わった放課後にやってくる場所である。

うちは、不登校の子も通っているので、一応朝から来てる子もいるのだが、

基本的に忙しくなるのは、子どもたちの学校が終わる14~16時から18時の閉所までの数時間。

朝が弱いわたしは、ほとんど毎日昼近くになってから出勤していた。

職場がほぼ身内だけで、寝坊しても、ごろごろしていても、そんなに咎められない。

もちろん、ちゃんと仕事しやなあかんときはしてたけどね。。

でも、さすがにこのままではあかんやろう~と思いながら、あまりの楽さになかなか出る決心がつかなかった。

そんな時、一緒に住んでいたルームメイトが京都に引っ越すことになった。

「これや!」と思い、それに乗っかることに。

このころ、いつまでも地元と親の引力に引っ張られて庇護下に居たら、

いつか本当に自分の力で動き出せなくなるのではないか、という不安を常に感じていた。

今までずっと親の干渉と、そして協力の元に生活してきたが、ここらで一発自分の力だけで独立生活を営んでみたい。

という欲求がむくむくと湧き上がってきたところだった。

そんな時だったので、ルームメイトの引っ越しは渡りに船だった。

元々2人で住もうと借りた家だったので、1人で住むには広すぎた。

ていうか最後の数か月はルームメイトとその彼氏とわたしの3人で住んでた。よく考えたらすごいな~。

しかもちょうどいいことに、その頃職場には新しいスタッフの子が入ってくれて、わたしが居なくなっても人員が足りるようになっていた。

今や!と思って奈良の家を出ることを決意。

父にそれを伝えると、「まあ、無理ちゃう?」と一言。

わたしも今冷静になって書いてたらそう思う。心配かけてごめんお父さん。

けど、その時はもう引っ越す気満々だったので、引っ越す先も、次の職場も決まってないまま、

とにかく引っ越すということと、仕事を辞めるということだけが決まったのだった。はた迷惑な娘である。

むしろ父に「無理」と言い切られたことで、余計にやる気が出たのかもしれない。

●5月 突然決まった引っ越し先。

わたしは、おそらく「辞める」ということと、引っ越しが大好きなのだろう。

辞めると決まると、俄然わくわくしくるし、引っ越しとなると、引っ越す先が築80年のオンボロ長屋でも楽しみでうきうきする。

実際、放デイで働き始める前、大阪で一人暮らししていた家を引き払って奈良に帰ってきて、1年くらいは上記の長屋に住んでいた。

簡易水洗のトイレが臭くて、お風呂もないから徒歩3分の実家までお風呂に入りに帰ってたので、奈良の極寒の冬は辛かったような気がする。

友達とルームシェアすることになるまで、あんまり辛さを感じてなかったから、わたしって相当ぼんやりしてるのかもしれない。

話が逸れたが、5月。やっと引っ越し先が決まった。

悩みに悩んで、最終週までかかった。

本当にギリギリまで、2月に出会った奈良県内の別の市のするか、

はたまたルームメイトと共に京都に引っ越すか、全然別のところにするのか悩んだ。

基本的に、京都で探していたのだが、ある時急に、

「あれ、別にわたしどこに住んでてもいいんじゃない?」ってなって、

どこに住んでもいいならどこに住みたいか、ということを考えてみたら、

直感的に「滋賀県!」とでてきた。

滋賀には父方の親戚も母方の親戚も住んでおり、小さいときから何度も連れて行ってもらった記憶がある。

ほどよく田舎でさびれているところもあり、それでいて便利で、のんびりして穏やかな土地である、という印象があった。

滋賀に住む親戚たちのことが総じて大好きだからか、滋賀に対してプラスのイメージばかりがあった。

まずは滋賀に住む人に聞いてみよう、と思い、去年滋賀に帰ってきたばかりだったいとこに電話をかけた。

そこからトントン拍子に話が進み、滋賀暮らしを体験するためにいとこの家に遊びに行くことに。

滋賀は「遊びに行くところ」という感覚だったのが、いざ、「住むかもしれないところ」として見てみると、新たな発見があった。

治安が良い。

わたしの地元は奈良県内でも屈指の治安の悪さを誇る(らしい)地域なので、

そこで生まれ育ったわたしには、眩しいくらいにコンビニの駐車場が美しかった。

治安悪いところのコンビニって駐車場とトイレが馬鹿みたいに汚いよね。(偏見か?)

住み始めて半年ほど経った今となっては、治安、良くないとこもあるな~といった感じだが、その時は本当に感動したものである。

と、いうわけで引っ越し先はあっさりと滋賀県に決まったのである。

そういえば5月、この記事↓にでてくる恋人にも出会ったんだった。

恋人についてはまた詳しく書くことにする。ので、まあいいや。

●6月 引っ越しパラダイス。

引っ越し先が決まるまではいろいろと口を出してきた父も、

(引っ越しの時は車を貸さないとか、一人で生活出来るわけないみたいなことは言われた気がする。)

いざ引っ越し先が決まってしまえばもう何も言わなくなった。(車もなんやかんや貸してくれた。)

父の姉や、姪(前述のいとこ)が近くに住んでるというのも、安心したのかもしれない。

そう。新居はいとこの家から徒歩5分くらいのところなのである。

決して近さで家を選んだわけではないのだが、何件か内見して、どうしてもここがいい!と思ったのが今の家なのである。

特別何が良かったわけではないのだが、内装がリフォーム済みで綺麗だったのと、

床がホワイト系の木目調で、キッチンの棚にダークブラウンのフェイクレザーのシートが張ってあった。つまり内装がかわいかった。

あとは4階で、見晴らしがよかった。滋賀の広ーーーい空と、遠くに見える厳然たる山々がすっごくかっこよかった。

ここ数年で、自分が山を見るのが好きだということに気付いた。

なので今回の引っ越しでは、「風呂トイレ別」「日当たり良好」の必須条件の他に、「山が見えること」も重要視した。

(不動産屋さんはみんな怪訝そうだったけど。)

しかも、引っ越しの時には外装がリノベーション中でマンションの周りに足場が組んであり、どういう外見になるのかまるで分からなかったけど、

少しずつ、外壁が塗られ、装飾が付き、エントランスが改装され、

完成するころには、ここら一帯でいちばんおしゃれな建物になっていた。

ダークブルーの外壁に、ホテルのロビーのような内装のエントランス、それに宅配BOXまでついたのである。

めちゃくちゃラッキーだった。

引っ越し作業も本当に楽しかった。

毎週末仕事が終わったら少しずつ車に荷物を入れて、引っ越しはほとんどひとりで遂行した。

1回だけ恋人に手伝ってもらったのと、いちばん最後に1人で持てない重いものを運ぶときに友達に手伝ってもらったのみだった。

ワンオペ引っ越し、してみたかったのである。

なぜならわたしは、エンジンがかかったらもう誰にも邪魔されたくないモードに入るので、

人に手伝ってもらうよりも、大変でもいいからとにかくひとりでやってみたかった。誰にも何も言われたくなかった。

こうして1ヵ月間かけて、わたしの城が出来上がったのである。

7畳ちょいの1Kの部屋。わたしが作った、わたしのための、わたしだけの空間。

こんなに素晴らしい場所がこの世の中に存在するなんて。

ここからわたしの大泣き独立ライフが始まるのであった。

7月は小指を切って大泣きし、8月は自動車事故を起こし大泣き。

大泣きばっかりして全然自立してない。けど、自分と向き合って、たくさん思考した下半期。

今年中にアップします。乞うご期待!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?