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2020年ふりかえり〜下半期編〜

●7月 小指をピーラーで切り、5針縫う。

タイトルが人生ゲームみたいになってきた。
もし人生ゲームのマスなら、大泣きして1回休み。を付け加えるなぁ。

引越しも完了し、仕事が始まる7月半ばまで、
悠々自適にひとりライフを謳歌していた。
あ、ちなみに新しい仕事は、家を探しに・・・と入った不動産屋さんが紹介してくれた。

その日、知人にじゃがいもをいただいたので、ポテトサラダを作ろう(((o(*゚▽゚*)o)))と思い、
引越しを機に新調した、ぴかぴかのピーラーでじゃがいもを剥いていた時のことだった。
ざっっっくり。小指の端を3ミリほど、じゃがいもと共に剥いてしまった。
ギリギリでくっついている感じ。ハリーポッターに出てくるほとんど首なしニックみたいな感じ。
痛ぇ。痛すぎる。というか、めちゃくちゃ血が出とる。止まらん。
どうしたらいい。無理。痛い。怖い。
お母さんに電話しようか。でも電話してどうする?奈良から滋賀まで小指切っただけで助けに来れるわけがない。
でも病院どこにあるかわからんし、車ないから血だらけで歩いて行かなあかん。辛すぎる。無理。
わたし、ひとりじゃなんっにも出来へんねんなぁ。
小さな声でぶつぶつと不安を呟くと、どんどん悲しくなってきた。
それでも血は出続ける。
仕方ないので、だらだらと出血し続ける小指をもう片方の手でしっかり握り、輪ゴムを巻いて血を止めた。
(本当は止血は手で押さえるだけで十分らしい。輪ゴムで止めると鬱血してしまうからだそう。)
大量の血を見て、ふーっと気が遠くなり、ベッドに倒れ込む。情けない。
今から考えると、止血もして大したものじゃないか、と思うが、その時はとにかくもう情けなくて悲しくて心細くて、
パニックでこれからどうしたらいいのかわからなくて、本当に久しぶりに、
「うわーーーーーーーん!」と声を出して泣いた。

30分くらい経っただろうか、大泣きし尽くして、ふと、
「いや、泣いとる場合ちゃうやんけ。」と冷静になった。
近くに住んでいるいとこに電話してみるも、出ない。
時間を確認してみると、もう子供たちのお迎えは終わっているはず。
家にいたらいいな、いなかったらどうしよう、と一か八かまた半泣きになりながらいとこ宅へ向かう。痛む小指をぎゅっと握りしめて。
病院に連れて行ってもらうしかないと思った。救急車を呼ぶには大袈裟すぎる。
でも、ひとりでは絶対に行けない。
いとこは看護師で、年齢はわたしよりひと回りくらい上。3人の子供を持つお母さんである。
自分のお母さんに頼れないなら、他の「お母さん」に頼るしかない。そう思った。

ピンポンを押して15秒ほど待つ。不安はピーク。
ガチャ。「あれぇ?えなそん(わたしのこと)や!ママー!えなそん!!」子供の声。
思わず安心して、「タスケテ・・・。」と小声で呟く。もう泣きそうだった。
そこからは超スムーズ。
超超超超超絶優しいいとこは、文句ひとつ言わずにわたしを心配し、病院を手配してくれ、連れて行ってくれた。
いとこの子供たちも、わたしを心配して、優しく話しかけ、ハートの折り紙を折ってくれたりした。可愛すぎる。本当にありがとう。
病院の先生も、みんな優しかった。
「お〜〜。派手にいっちゃったねぇ〜。」と、涼しい顔で、5針。しっかりと縫ってくれた。
病院の帰り、我が家に寄って血だらけのじゃがいもを処理し、生き残った他のじゃがいも達でポテトサラダを作ってくれたのもまた、大優しいいとこである。

うっかりしてピーラーで指を切った。

文にすれば一文の本当になんて事ない話だが、この一件でわたしは、
一人では生きていけないのだ。と改めて思い知ったのである。
あと、わたしは本当に周りに居てくれる人たちに恵まれている、ということも。

これ以来、怖くてピーラーがさわれなくなったので、件のピーラーは引き出しの奥へ友達に封印してもらった。

●8月 自動車事故を起こし、1ヶ月で仕事を辞める。

これも大泣き事案である。
恥ずかしいのでもう詳しくは書かないが、その日はとにかく仕事に行きたくなかった。
不動産屋さんにせっかく紹介していただいた職場だったが、楽しかったのは最初の2週間だけで、
お盆前にはもう出勤が苦痛になっていた。職場が汚かったとか、座りっぱなしが辛いとか、細かな不満はたくさんあったが、
シンプルに相性が合わなかったのだろう。
とにかく早々に辞めてしまおうと思っていた。
その日、辞めます、と言おうと思って出勤したが、言えずに外回りに行くことになってしまった。
戻ったら絶対に社長に話そう。何て言えばいいかな。怒られるかなあ。
とか、色々と考え事をしていたら、ふっと脇見をしていたらしい。無意識のうちに。
ハッと目線を前に戻した時にはもう遅かった。遠くにいたはずの前の車が少し先で止まっている。ブレーキが間に合わない。バゴーーーーーーンッ!!!!
一瞬気を失ったのか、目覚めた時には目の前にはエアバッグと自分の運転する車から出ている煙。焦げ臭い。機械から出るヤバい煙の匂いがする。臭い。
ハンドルで胸を打ったようで、鳩尾あたりが鈍く痛かったが、大きな傷はなく、前の車に乗っていた方もお怪我はなかった。
めちゃくちゃに優しい方だった。責めるどころかわたしの心配をしてくださり、追突されてこんなに優しくいられる人がこの世いるのか?!とまた泣いてしまった。
泣いてばかりの下半期。

この事故で学んだことは、めちゃくちゃしたくないことは、無理して行うと事故に遭う(まぁ事故起こしたんやけど)、ということ。
みんな、仕事はほどほどに。

●9月 断捨離にハマる。

ネットショッピングが大好きすぎる。
一人暮らしを始めた20歳の時から、いろーんなものをたっくさん買ってきた。
大きな声では言えないが、何も知らずにリボ払いに手を染めたので、支払いもたくさん残っている。つら。
きっと満たされない気持ちを、ものを買うことで満たそうとしていたんだな、とものを手放し始めてなんとなくわかってきた。

仕事を辞めたので、また時間ができた。そしてお金がない。ものはたくさんある。ということで、メルカリを始めることにした。
それが、すいすい売れる。出品するのも楽しいし、梱包作業も大好き。
いろんなものを売った。大好きな服はもちろん、前使ってた携帯とか、家電とか、集めてたけど今はいらないぬいぐるみとか、本、CDとかも。
商品が売れるたびに、手放す爽快感を知った。
生きていくのに、こんなにものは要らないんだな、と知った。
ちょっと寂しいけど、タンスの中に眠らせておくよりは・・・と出品した、お気に入りだったけど今は着ていない服が売れた時、
購入者の方が「可愛いお洋服をありがとうございます!」と、とても喜んでくれた。感動して涙が出そうだった。
おかげで、物がたくさんある小さい部屋から、すっきりした小さい部屋にレベルアップできた。
おしゃれな古着屋さんとか雑貨屋さんみたいに、たくさんの可愛いものがレイアウトされたごちゃかわいい部屋が理想だったけど、
レイアウトの才のないわたしには、すっきり&こじんまりが向いていたようだ。

●10月 愛犬桃ちゃんの死。

14歳と7ヶ月。てんかん発作持ちの小型犬としては、十分すぎるほどに長生きしてくれた桃ちゃん。
横浜から、奈良のわたしの両親が営む事業所へ、セラピードッグとして西濃運輸で送られてきた桃ちゃん。
この世で一番可憐で、食に貪欲で、小動物ハンターで、人の痛みに敏感な犬でした。


毎日父と一緒に事業所に出勤し、泣いてる子にはそっと寄り添い、頑張る子の膝の上に乗って、嬉しい時はぐるぐるダッシュで大運動会。
たくさんの子供たちや若者たち、そしてスタッフに癒しをありがとう。
命の尊さを教えてくれてありがとう。
桃ちゃんが発作を持ってる子だったから、うちに来る子たちは繊細な動物への接し方を学べたんやろうなぁと思う。

最初はペットショップで売られて、どこかのお家へ買われたけど、発作のせいで返品されたらしく、
たまたまその時セラピードッグを募集してたわたし達のとこに来てくれたそう。
わたしは、亡くなる数ヶ月前から寝たきりになった桃ちゃんを見て、何も出来なくても、何もしなくても、居るだけで価値があるってこういうことなんや、と学んだ。
桃ちゃんが居るだけでそこに居るみんながちょっと優しくなれた。
すごく貴重な経験をさせてもらえたね。あと、ハイパーベリーキュートな息子もこの世に残していってくれた。
あんなにちっちゃい体で大きな偉業を成し遂げた桃ちゃん。ずーっと尊敬してます。

●11月 親友が事件に巻き込まれ、お助けヒーローと化す。

彼女に身に起こった出来事を知った時、あまりにもショックですぐに電話して、声を聞いた瞬間に号泣してしまった。
乗り換え待ちの新大阪駅で、大泣きしながら電話する若い女。ちょっと気になる人になってしまった。


使命感と責任感が強く、芯の強い彼女は、ボロボロになってもまだ戦おうとしていた。
わたしは、このままではこの人はどんどん擦り切れて、歪みが出てきて、いつか死んでしまう、と思って、怖くて、とにかく生きていてほしいとまた大泣きして、
わたしができることは何でもするから、とにかく一旦お休みしよう、と頼み込んだ。それくらい大事な人なのである。


そこからわたしのヘルパー生活が始まった。週に3〜4日は彼女の家に行って、とにかく一緒に遊んだ。
大笑いしながら紙粘土でぶさいくなピングーを作ったり、朝おいしいパン屋さんまでずんずん歩いて散歩に出たり、
滋賀の大自然で映え写真を撮ったり、奈良の大自然で映え写真を撮ったり。
この話もまた詳しく書こう。今もこの最高生活の延長線上にいる。
大好きな人と毎日のように遊んで、日々少しずつ回復していくのを見守れるのは幸せなことである。
わたしは本当に基本的には居るだけで、何もしていない。むしろお世話をしてもらっていたくらい(笑)
人間、傷ついた時はこういう風に、
安心できる場所で安心できる人と、楽しいことをするのが一番回復力を高めるのではないか、という思いが強くなった期間だった。

●12月 夢に一歩近づく。

と、いうわけで、わたしはそういう場所が作りたい。と思った。
これを仕事にしたい。と。
そういうことを毎日ボソッと言ったり、半分冗談、半分本気で、「一緒にやろうよ〜。」とかをぶちぶち言ってたら、
彼女が乗り気になってくれた。
ある日、「そういうの(事業立ち上げのこと)って、どういう手続きが要るんかなあ?」と彼女が呟いた。のを聞き逃さなかった。
わたしは、アイデアは出せるけど計画性とか実行力とか、根性みたいな物がまるでない。
事業を起こすにしても一人じゃ絶対無理やなあ〜。と思っていたところに、最強の助っ人が登場した。
その後、「・・・ほんまに、一緒にやる?」とヘタレ男のプロポーズのようなわたしの台詞から、本格的に計画を立て始めることになった。


2021年、奈良県内に良さげな一軒家を借りて、まずはわたしがそこに住む。
最初は場を整えるためにも、生活費を抑えるためにも、住み開きみたいな形がいいかな、と思う。
どういう年になるんだろう。どういう流れになるんだろう。
楽しみになってきた。お金はないけど、なんか、周りに人がいてくれるし、
焦らずに、少しずつ準備していけば、もしかしたら夢は叶うのかもしれない。

わたしの夢は、最高の居場所作り。

2020年、本当にバタバタしたけど、いっぱい大泣きしたけど、
楽しい事と学びになる事ばかりでした。
本当にありがとう。2021年もどうか、みんな健康で、楽しく楽に生きていきましょう。

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