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『感情的な日本語』、思考を読み取ってくる本すぎた

『感情的な日本語』(加賀野井秀一著、教育評論社)という本を読んだ。めちゃくちゃ面白かった。知りたい!と思ったことが全部その直後に書かれててやばかった。

読んでた時のわたし「何?この本わたしの思考読み取ってそれに合わせて内容変わってない?先回りされてる感すごすぎてこわい!!!!」

たとえば、本書の14ページ目、序盤も序盤には次のように書かれていた。

芭蕉の名句「しずかさや岩にしみいる蝉の声」が、そのままでは英訳できないというのです。いったいなぜなのか、読者諸兄姉はお分かりになるでしょうか。そう、この翻訳家が悩んでいたのは、蝉の数。英語では、名詞を単数か複数かに決めなければ文章が書けません。つまり彼にとっては、ハムレットよろしく「a cicada」なのか「cicadas」なのか、それが問題だったのです。

『感情的な日本語』 p14

これを読んだわたしはこう思った。

そうじゃん!!!!「友達と会った」と言うにしても英語では友人がひとりなのか複数人なのか示すことを強いられるし、フランス語だとその友人が女性なのか男性なのかも示すことを強いられるし、日本語って曖昧性高い言語なんじゃない!?!?

そう思って、思考垂れ流し用のTwitterアカウント(見つけたらお気軽にフォローください)でこの件をツイートした。

一通りツイートし、続きを読んだら上記と同じ主旨が書かれていた。なにこれはっっっずハズくてウケる。しかも英語だと兄弟、姉妹はまとめてbrother、sisterだけど日本語には弟と兄、姉と妹って名詞がちゃんとあるから、言語により識別が違うだけだよねというフォローも含めて。

本を読んでしたり顔で考察してたらその後にそれ全部書いてあるの大恥すぎない?????人間として不甲斐なし!穴があったら入りたい!!!!(煉獄ボイス)

しかもその先まで行かれちゃって。あ〜〜書名出してツイートとかしてなくてよかった過去のわたしを褒めてあげたい同時にそのツイートやめな!と言いたいけど。

すでに読んだ人に「え、ちゃんと読んでる?」と思われるだけじゃなくて、著者の方がエゴサをした時に「こいつ本に書いてあることを自らの考察みたいに何言ってんだ、読んでないのかな」と思われてしまうかもしれなかった!!たしかにあの時点では14ページしか読んでなかったし真実でしたすみません。

こうして自分の浅薄さに打ちのめされ「お前の考えてることくらいみんなわかってるわばーかばーか!!!」と自分を馬鹿にしながらも、でも「兄弟」「姉妹」とかのただの名詞と複数形や男性形女性形などの文法的な規定は少し違うのでは??とまだしつこく思ったりしていた。不敬罪。

そして読み進めて80ページ。

こうして和語と漢語とのあいだには、優劣や位階制とでもいうべきものが形づくられてゆきます。日常語は和語、フォーマルな場所では漢語、したがって、私的・情的な表現は和語で、公的・知的な表現は漢語でという使い分けが生じ、漢語が和語よりも一段高いところに置かれることになるでしょう。

『感情的な日本語』 p80

わたし「これ男女格差とか、女は感情的みたいなよくわからない説につながるやつだ!!でも他の国でも格差あるし海外事情も気になるな〜〜」ペラッ(ページを捲る音)

書かれてる……え、なに??また読まれた???本の中から著者の方がわたしを見ているのでは?本を覗くとき著者もまた自分を覗いている???ニーチェ????

こういうことがあと日本語は論理的じゃないのか?問題のところとかで2回くらいありました、こわ。最高に面白かったけどこわいこわすぎどういうこと。本当に思考を読み取って変化する本なんじゃないか??他に読んだことがある方は内容が同じだったかどうか教えてください。

あ、お前の思考が凡庸だからだというツッコミは十分わかってるので、受け付けてません!!!!!!!!!!!

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