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「あなたの積読はどこから?」Vol.1 ミステリ読書家:みやさん

まだ読んでいない本がたくさんあるのにさらに本を買ってきて、どんどん未読の本が増えている。そんな人は周りにいないだろうか。もしかすると、あなた自身がそうかもしれない。私もそうして未読の本、いわゆる“積読”を増やし続けている一人だ。

なぜ私たちは積読をしてしまうのか、なぜそこにある本を読まないのか。そもそもどうして本がそんなに好きなのか。

そんな問いに対する積読家の人々の答えを聞いてみたいという欲求と、「積読本を読んでないなりに紹介してもらったら面白いのでは…?」との思いつきから、積読をする人たちへのインタビュー企画を行うことを決めた。

第一回目の今回は「小説なんて読む意味がわからない」と思っていたもののミステリにどハマりしている「みやさん」にお話をお聞きした。


小説観に起きたどんでん返し

みやさんはもともとなにかにハマることは少なく、広く浅くいろいろなものを好きになるタイプだ。そんな彼がハマった数少ないものが、ストリートダンスと読書だ。

テレビのダンス番組がきっかけではじめたストリートダンスには、高校時代から大学卒業まで6年間取り組んでいた。しかし大学卒業後と同時に辞めてしまい、それからしばらくは趣味に夢中になることもなく日々を過ごしていた。

そんなみやさんがミステリを読み始めたのは2年前のこと。

当時のみやさんは仕事の充実感のなさと家庭環境の変化が重なり、少し精神的に疲れていた。そこで「なにか小説でも読んでみるか」という気分になったのだという。そんな彼が選んだのが、どんでん返し系の小説だ。映画が好きでどんでん返しという言葉に親しみがあったこともあり、ネットに「どんでん返し系のおすすめ作品」として記載されていた『十角館の殺人』『葉桜の季節に君を想うということ』などを読んだ。そしてそのトリックの鮮やかさに魅了され、少しずつミステリの沼にハマっていった。

実は読書自体は嫌いではなく仕事に必要なビジネス書や新書は読んでいた。だが、それは楽しむためというよりも情報を得るための読書であり、夢中になることはなかった。フィクション自体は好きだったが、それが小説である必要性がわからなかったのだ。ミステリを読んではじめて、本というコンテンツの面白さを知った。

彼が感じる小説の良さは3つある。ひとつは時間の制約を受けないことだ。映画の場合は、長くても3時間が限界と言われている。一方、小説の場合はその制限がなく、いくらでも物語を紡ぐことができる。また、読者側もいつでも好きな時に読みたい時間分だけ読むことができる。映画も途中で見るのを止めることはできるが、一気に見られることを想定して作られているか、そうでないかは大きな違いだと感じる。

ふたつ目は文字だからこそできるトリックがあること。叙述トリックはその典型である。

3つ目は、情景描写の面白さだ。たとえばレストランに行ったのに誰も人がいないことを伝えたいとき、映像であれば空っぽのレストランを俯瞰で少し映せば伝えられる。一方小説ではそれを明確に伝える必要がある。その「無」を表現しなくてはいけないことや映像との差異が面白く、映像化されると小説と映像の描写を比較することもあるという。

積読はアクセス権

彼の積読は現在64冊。そのほとんどがミステリだ。特に彼が好きな「人が死んで死んで死にまくる作品」を中心にズラリと小説が並ぶ。ミステリを読み始めた当初は、4〜5冊購入しては読み終わったら新しいものを買うスタイルだった。積読が増えはじめたのは、2022年の5月頃にTwitterの読書アカウントをはじめたことがきっかけだ。

「まだまだ読書にハマって日が浅いこともあって、もっと自分の知らない面白い作品を知りたくてアカウントを作りました。そして読書好きの方々と繋がっていくうちに、読書の先輩たちがとんでもない量の積読をしているのを見て、なんだか安心してしまったんですよね。『まだあの人より全然少ないから大したことない』みたいな(笑)そこからたくさん買うようになって、今に至ります」

積読は本棚の積読専用スペースに収納している。今のところなんとかすべて収納できているが、そろそろ溢れ出そうなので、本棚の増設を検討している。「あとは一時凌ぎで車に置くかですね」。

現在、パートナーと娘さんと3人暮らしをしているみやさん。ご家族は積読についてどう思っているのだろうか。

「妻にはたまに怒られているんですよね。だから怒られた時の想定問答集とかも考えています。あと、もし「読まないなら積読捨てろ」って言われたら「じゃあ着てない服や靴を捨てろ」って反撃します(笑)もしどうしても家に置けなくなったとしても、車に置いたり実家に置いたりなんらかの方法で守りますね。捨てることはしないと思います」

みやさんにとって積読とは、本へのアクセス権である。いつでもその本が読めるという安心感を買っているのだ。

そして本を買うのは、ただ本を読むためだけではない。たとえば飲食店に行く時、おいしいものを食べることだけが目的ではない。その空間に行くことそのもの、一緒に行く友人や恋人との時間、そしてそれまでの準備。そういったさまざまな体験も楽しさのひとつだ。本も同じだ。購入時にはワクワク感や知的好奇心があるし、好きな作家の本を並べる楽しさもある。本を買って読み保管するまでの営みのなかに、ただ本を読むだけでは満たされないさまざまな欲求がある。だからこそ、積読という行為が発生するのではないかと考える。

「でも、僕を含めた読書好きが言う『積読は悪くない』は全部後付けだと思います(笑)知的好奇心やエンターテイメントを摂取したい欲求を抑えきれていないのが本当のところなんじゃないですかね」

みやさんの積読本

傲慢と善良/辻村深月 著

婚約者・坂庭真実が姿を消した。その居場所を探すため、西澤架は、彼女の「過去」と向き合うことになる。「恋愛だけでなく生きていくうえでのあらゆる悩みに答えてくれる物語」と読者から圧倒的な支持を得た作品が遂に文庫化。《解説・朝井リョウ》

朝日新聞出版公式サイトより

みやさんがこの本を買ったのは、辻村深月さんを好きなフォロワーさんがきっかけだった。その方が映画『かがみの孤城』に夢中になり、8回ほど見に行っていたのだという。そのツイートを見ていて、こんなにも人が熱狂する物語を書く人の作品を読んでみようと思ったのだ。数ある辻村さんの作品のなかで『傲慢と善良』を選んだのは、上下編に分かれておらずハードルが低かったことと、表紙のイラストに惹かれたためだった。

「あと普段は人が死にまくるものばかり読んでいるので、恋愛要素のあるこの作品を読んで世間一般との意識の乖離を防ごうという気持ちもありました。結局いつものように人が死ぬ作品を読んでしまって、まったく読めていないので結局乖離は埋められていないんですけどね」

あらすじしか知らないという彼にどんな話か想像してもらった。

「アイデンティティの変遷に向き合う葛藤を描き、それでも現在のその人を信じることの重要性を教えてくれる小説なんじゃないかなと想像しています。姿を消したのはその乖離が原因なんじゃないかなと。自分の知る「その人」は、いつから「その人らしさ」を身につけたのかだったり、過去と現在が激しく乖離した人間であると知ったとしても、私はその人と今まで通り付き合えるのかを考える読書体験になりそうな予感がしています」

さて、実際はどんな話なのか。いつの日か『傲慢と善良』を読んだ彼に、予想と比べてどうだったか聞くのが楽しみだ。しかしそんな日はいつになるのかわからない。なぜなら彼は積読家だから。


みやさんのTwitterはこちら


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