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才能の在りか
悲しいお話ではないはずが、読む人の涙を誘う。
泣かせるつもりじゃないのに、なぜか泣かせてしまう。
書いている本人の私ですら、書きながら涙が溢れてくる。
☃️☃️
的確にこの場面のこの言葉は読んで感じてほしい、必ずこのフレーズに気付いてほしい。
書き手として、そのように意識しながら書く人と、そのようなことは二の次で、ただひたすら物語の構築に励む人と。
どちらが良い悪いではなくタイプなのでしょう。
私は意識しない。ひたすら書く。さあ書こうとなって頭にストーリーが出来上がると、一気呵成に。
創作にしろ随筆にしろ、書き手としては、読み取ってほしい思いがあるはずで。
そこを的確に読み取ってくれる人がいると、それは非常に嬉しいのではないだろうか。
私の場合は、意図していないのに、そこまで読みとってくれた?と驚きつつ、感謝する。
他サイトで、
私の無意識下の狙いを的確に読み取り感じて、指摘して下さった方がいまして。
ネット上ですので、顔も知らず本名も知らずの人ですが、その読み込み方が編集者なみに、微細で的確で、ありがたくも驚いてばかりだったのですが。その方、Xさんとしましょう。
子供達の作文や感想文、詩作などの選者を依頼された経験は随分ありますが、
Xさんのように、つきつめて読み込んだことはないようにも思います。感情移入せずに理論的に読んでいただけのようにも思います。
書くことが好きな人でも、批評家向きの人もいますので、Xさんには将来的には批評家ないしは評論家または編集者が向いているのではと、お礼方々お伝えしました。
評論家、批評家は、そうして生まれていくものなのでしょう。
自身が作るものは平板で特異性がないものとしても、他者の作品をじっくり読み、良い点、悪い点を指摘出来る。
自分自身の才能の在りかは、書くことが好きで夢中で書いているとしたら、どこに才能があるかなどは、気付き得ないのではないでしょうか。
他者に仕掛けてみて、第三者がその才能の在りかに気付くのではないでしょうか。
小学生でも、素晴らしい読書感想文を書く生徒もいます。そのようなお子さんにお話を伺うと、やはり、相当な読書量で、読むことが好きが、読みこめる、読み取り、書き手の思いを感じることが出来るようになっているようです。
他者の作品について論じられるのは、奥深く読んでいなければ、上っ面だけさらっと読みでは、論じる権利はないのですね。
🎿🎿
車の後部座席で、タブレットにチマチマとお話の続きを打ちながら、
それこそ、涙が滲んで、ハンカチを取り出し、マスクを外して、ティッシュで鼻をかみ、、何回も何回も文字を打っては、鼻をかみ、
目にハンハチをあてて、マスクを付けたり外したり、、
ドライバー君は、バックミラーでチラ見をして、
赤信号で車をストップした瞬間、
「泣いてるんですか?、、あの~、
泣いてるんですか?
車止めたほうがいいですか?」
自分で創作したお話に自身が泣ける、
この感覚が、最初から読者になってくれている人は、書き手と同じように、泣けるのでしょうが。
F君は、
「大丈夫ですか??」
くらいですが、
辛辣なV君は、
「また、何を泣いてるわけ?!!
だいたい、車に乗って、タブレットやめたほうがいい、、、前に吐き気がするとか騒いだ事あっただろ!」
同じ職場で、足掛け五年、同じチームのメンバーであっても、文章を打ちながら泣いている私に対しての反応は全く違う。
心配するF君。
呆れて多少はムッとしているV君。
そもそも吐き気がするからと騒ぎなどしなかったはずだけれど。
同じ環境で仕事をしている仲間であっても受け取り方、反応はまるで違う。
生身の人間同士であっても。
それが、文章を読むだけだったとしたら、
読み手の真面目さや、率直な想像力で、書き手の思いを汲むよりないのですから。
素敵です、素晴らしいです、感動しました、続きを早く読みたいです、等々の励ましや感想は沢山頂きましたが、
Xさんほどに長文で、フレーズをひとつひとつ引いて、この部分、この一文に、この会話にと、指摘下さった人は、
初めてであり、
専門分野の人様の論文の精査を何度も経験した身としては、目を開かされる思いでした。
五年、十年後、Xさんが、
批評家、評論家として世に出ることを願い、またもしかして敏腕編集者になっているかもしれません。
私はXさんによって、自分自身の甘さに、ずっしり気付かされました。
良いばかりでなく、悪いであっても、
指摘するには、見ず知らずの人相手ですから、(失礼かと思いますが)と前置きしたとしても、なかなか勇気のいること、この勇気を自然に身につけている人が、優秀な編集者、批評家、評論家として大成するのだと気付かされました。
✒️✒️✒️
そして、私は自身の作品を再読して、、、キタ~~!!
また、涙…が、じわ~
💧💧💧