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大河ドラマ「光る君へ」感想 (29)


 パリオリンピックも始まり、テレビ放送も連日お祭りムードが漂っている今日この頃。
 今週も、マイペースに大河ドラマの感想をば。

(ちなみに放送当日の日曜日は夏休みに突入して初めての家族レジャーのため、リアタイはかなわず。よって、今週はX(旧Twitter)の呟きもナシ)

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*一人娘をかわいがりつつ、あいかわらず漢詩を読み聞かせるまひろ。
(これ、父・為時の真似らしいけど、為時だって弟・惟規の時には失敗してるのに……(^^;) 今後の母子関係がちと不安になるよね)

 そんな二人を見守る、いつも明るくて優しい宣孝。
(大河名物・わかりやすくイヤ~な予感がプンプン漂ってる!)
(大河ドラマはな……人の死期が近づくと、その人の好感度アップキャンペーンが始まって、決まってなんか良さげなセリフを残すんや……)

 おだやかな日々は長くは続かない……宣孝はあっけなく、ほんとにあっけなくこの世を去った。(ひかきみ、ナレ死多めだよね)

 そしてここが平安時代のいわゆる“愛人”のツライところ。
 こうやってちゃんと使者なり文なりで連絡はもらえど、まひろは夫の死に目には会えず、葬送もできない。

*父・為時もまた無職に逆戻り。迫りくる貧困を前に、賢子の乳母も逃げ出してしまう。
(姫を見捨てて逃げ出す乳母は源氏物語・末摘花にもいますね、そういえば)


*前後して、ある日ひょっこり訪ねてきた清少納言は、「枕草子には定子の暗い影の部分は記さない」という。

 宣孝の妻も、宣孝の快活なところだけを記憶にとどめてほしい、と。
 まひろはどのように思ったのか……源氏物語にはリアルな登場人物たちの暗い影も描かれている。

 ――まあでもこの『まひろ』、なんでいっつもこんな上から目線なのか、理解に苦しむよね(^^;)  今のところ、知識として漢文や和歌に詳しいだけで、とくになんの結果も出してなけりゃ、まだなにも自分の作品も著してないのに。
 しかも社会に出てる女房でも女官でもなく、ただの受領の娘、受領の妾なのに。
『これは紫式部だ』っていう設定からそうしてるんだろうけど、ドラマとしてはそれは本末転倒でしょ。
『この学問好きな女の子がいかにして稀代の作家になったか』その過程を描くのがドラマだろうに……あいかわらず、必然性や整合性ムチャクチャな気がするけど。。

 あと、このシーンを取り上げて、「まひろとききょうに亀裂!」とか、「紫式部日記で悪口を書き立てる伏線が!」とかいう意見をお見かけしたんだけど、そ、そうかな……(^^;
 ただの意見の相違で、たいしたケンカじゃなくない? 最愛の人の悪口を言われたから??
 それにそもそも、亀裂入ったとか言うほど固い絆でもないのでは??
 このあたりがやっぱりちょっと雑……(というか、とにかくソウルメイトのラブ描写以外の作りこみが雑…………)

*そんなまひろの生活のピンチを知った道長から、百舌彦が遣いに寄越される。
 息子の田鶴に漢籍の指南をしてくれれば、個人的に碌を出す、というどこかで聞いたようなお話w
 それを断る為時のBGMはあれで合ってるの???(^^;)
 どういうノリなのよ、これ笑笑

*病の床で、定子の遺児・敦康親王を彰子の養子にするように言う詮子。
「人質にとるのよ……」←これって、一条帝に言うことを聞かせるために?
 つくづく、わかりあえない母子なんだね……せっかくだから、最後くらい、母親らしい優しい理由で敦康親王を引き取るようすすめてくれたらよかったのになぁ。

 とはいえ、母を亡くした無垢な幼子を抱いて微笑む彰子が印象的でした。
 ここからお人形のような姫君を脱却していけるか、藤壺中宮!

 そして、松ぅぅぅ! 松君!! のちの道雅、荒三位!!
 いやでもこんなお父上だったらグレたくもなるよ……伊周の人物造形、悪意満載であいかわらずヒドイ( ;∀;)
隆家「そこに戻るぅ?」
 にはちょっと笑ったけど、うーん……伊周と隆家はあんまギスギスしてほしくないですね。。

*朝廷では一条帝の母后・詮子の四十賀しじゅうのがが華やかに執り行われる。
 童舞を披露する道長の息子たち。
 むちゃくちゃ美しかったですね、童たち!✨
(そして母たちの熾烈な争いふたたび! こういうことになると急に活き活きする脚本 (笑) 少女漫画というより昼ドラ?)

 いっぽうその裏では、道長に圧迫されたすえに儚くなった定子のことを逆恨みし、今度こそほんとうに呪詛に走る、やたらとエエ声の伊周。
(実際には、かなり圧をかけられてたのは事実でも「殺された!」は言い過ぎな感……産褥死は珍しくない時代ですし……)

 しかしその結果なのか? 道長の最大の後ろだてでもあった詮子が宴の最中に突如、斃れます。
 心配する帝に「私に触れてはなりません!」って毅然という詮子だけど、この“触れる”ってそういう動作的なことじゃない気が……同じ簾中で、こんな近くで同席してたらもう立派に、“穢
に触れた” 状態だよね (^^;)

 詮子は道長に、伊周の復権を言い残してこの世を去る。
 ここは最期に少しだけ、息子と孫を思いやった感じでした。

 さて、これで道長の兄弟はあの道綱だけ!
 兄弟は大事にするようにっていう九条殿御遺誡もありますし、道長はたった一人になってしまったこの目上の肉親をずっと大事にします。文句は言いまくるけどw

*そしてまひろ。
 ベビー賢子ちゃんが漢籍よりも竹取物語に興味をしめした(そりゃあなw)ことをきっかけに、物語を書き始めた。
 えっ、でもよく言われる説では、紫式部は夫を亡くしたなぐさめに、雨夜の品定めあたり……源氏の色好み譚からばらばらと短編として書きはじめ、それが評判になって道長陣営から彰子サロンへの出仕&源氏物語の本格執筆を請われ、そうして桐壷巻からあらためて物語としての体裁を整えていった……らしいけど。
 そうだとすると、幼子にはやっぱり早いのでは (^^;)
 それともなにか、ほかの物語を書いてるのかな。。
 はっ! 今度こそ、直秀の言ってた「おかしきことこそめでたけれ」が回収される???(たぶんない)



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~ 今週の小ネタ ~

*四十賀……中国伝来の貴人の誕生日の祝い。四十、五十、六十歳と十年ごとに祝うそうな。
 当時は平均寿命が短かったので、四十歳でも長命を祝われたんですね。

陵王りょうおう納蘇利なそり……長男・田鶴が『陵王』という左舞を、次男・巌君が『納蘇利』という右舞を披露。
 これも、中国や朝鮮などから伝わったそうな。赤と青の装束が美しかったですね。実資の小右記には、嫡男の田鶴より次男の巌の方が目立ってしまったたことに苛立ちをあらわにした道長の様子が記されている。
 ちなみに、史実では田鶴は二日前の試楽で御衣を賜っているので、本人はあんなにも嘆いてなかったんじゃないかな~
 それに、高松殿明子はもともと詮子に庇護されていた存在。『詮子の祝賀で、養い子の明子の息子の舞の師が称えられるのも道理』って説もSNSでお見かけしました。なるほど、しかり。

 次回、なにやら和歌指南(しかも公任の四条宮で?)をはじめたらしいまひろ……
「おもしろい物語を書く女がいる」って言ってた公任。
 その実績をもってその役に選ばれたのか、はたして。





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