政治とは?―完璧なシステムは存在しない―

■前段
筆者は 田中芳樹作 銀河英雄伝説 の大ファンである。

勘の良い方は恐らくこの一文だけで筆者の理想とする政治観を理解いただけると思うがそれでは書き物にならないので長々と書きたく思う。

読者にとって日本国はどんな国だろうか?

・自然豊かな国
・文化的な国
・自由と民主主義を謳う国

・・・キリがないのでとりあえずこれだけ並べておくが、こんなのは人間の数だけ主観的な答えが出てくるので正直なところどうでもよい。質問の意図に対して答えが幼稚すぎるからだ。

では大人の模範解答を挙げると
・WWII戦後米国GHQによって再建された国家
・近年中国に抜かれてGDP世界3位へ落ちた国
・世界で唯一成功した社会主義国家

・・・この辺も大人の数だけ主観的回答が返ってくるだろうが、先ほどあげた回答群との大きな違いは言うまでもなく「歴史、事実、数字を基にしている点」だ。

自然が~、文化が~、云々・・・とはいわば日本国のメディアや手のひらに乗せられた大衆の発するプロパガンダ、国粋主義にも等しい自国の自画自賛に過ぎない。本心から思う方には申し訳ないがそのまま本心にとどめておいてほしい。謙虚さとひたむきさに共感しうる日本人であれば同意していただけるものと存ずる。

というわけで、この記事は子供向けではなく大人向けの内容になることを予告しておく。


■国家という存在
まず政治を語る前に、そもそも国家に必要な3要件とは
【領土】
【主権】
【国民】
この3つが揃って初めて世界の主権国家から同等の主権国家と認められるのが国際ルールだ。これは義務教育課程でも伝えられているはずであり当然の前提知識として『念のため』記しておく。

その上で日本国はこの3要件を備えているか否か?不思議なことに、同じ国家に住んでいる国民同士で意見が割れるのだ。

曰く
「日本には日本固有の確固たる領土が存在し、自由と民主主義に則った公平な選挙のもと、国会が日本国最高権力機関として開かれた議会で国家運営に必要な議決を採っており、また1億2000万人の国民が存在するのだから当然である!」

という人もいれば、曰く
「日本は対馬や尖閣諸島に対して政治的な問題を孕んでおり、他国による実効支配を許し、北海道のように金銭で外国資本企業に土地を売り付けている。また、自由と民主主義とは名ばかりの特権階級者による私利私欲を求めた密室政治がおこなわれている。もはやここは日本人の国ではない!」

と、同じ国とは思えない意見の対立もある。

さて、日本国とはいったいどんな国家なのだろうか?
※ここは敢えて疑問符のまま


■本題
軽めの日本国紹介を済ませたところで、いよいよ本題である政治システムの話。言うまでもなく政治とは、国家運営の政(まつりごと)を治めることである。

かつての冷戦時代、世界は東西に2分された。

一方は自由民主主義を掲げるアングロサクソン+特定アジア諸国。かたや共産主義を掲げる旧ロシア帝国とその周辺国(CIS)だ。

その結果は、歴史が伝える通り共産主義は敗北し、世界の覇権を欲しいままにしたのは自由民主主義陣営だった。

かくして悪の共産主義は倒れ、世界は自由と民主主義のもと、人類皆平和に暮らしましたとさ、めでたしめでたし・・・とはならないのが現実世界である。

人類誕生以来、世界規模で平和になった事など一度もないのだから・・・。


■銀河英雄伝説は政治の教科書
銀河英雄伝説劇中において
 ヤン・ウェンリーが自由惑星同盟側でありながら民主共和政治でも専制政治でもいい面悪い面があること、時代に合わせて柔軟に運用すればいい点を説明している。

 自由惑星同盟は『民主』『共和制』という本来2つのイデオロギーを内包しているように見えるが、劇中の様子を見る限りでは現実の民主主義国家そのものである。むしろ現実以上に民主主義というイデオロギーを表現している分「専制政治の帝国よりひどい」と思わせてくれる作品である。

 一方の銀河帝国皇帝ラインハルトもまた、民主共和制の悪い点を徹底的に論破しているが、おそらく正面から反論できる民主論者はまずいない(ヤンの反論は高尚・高潔すぎる気がした)。なぜなら専制政治でありながら「専制政治の責任」を見事に全うしており、臣民から絶大な支持を受けているからだ。

※本当はここでヤンとラインハルトの対談シーンを丸々引用したいのだが第何話だったかを思い出せない。思い出したら掲載して修正するかも


■現実に戻って
筆者が銀河英雄伝説から得た政治の理想形とは
『民主政治、専制政治、どちらか一方が完璧で万能ではないし、他に存在する政治体制も同様である。それ故に、完璧ではないからこそ常に複数の政治体系、イデオロギーが共存している状態、いわばねじれ・競争状態こそが健全な政治形態であり、結果的に健全な国家足りえる。』これが筆者の理想形だ。

要約すれば、この世に完璧な政治なんてないから常に複数のイデオロギー、政治政党がせめぎ合う『ねじれ国会』こそがふさわしいのだ。近年流行と化している多様性というキーワードがまさに当てはまる。

しかしねじれ国会にデメリットがあるのも事実で、能登震災のような救援出動、有事の際の軍事出動等一刻を争うような事態では決断までに時間がかかりすぎて困難が付きまとう。

だが今回の能登震災では、全くねじれ状態にもない自民党一強状態であるにもかかわらず迅速な救援出動だったとは言えず、また既に半年も経過しておきながら未だに能登全島において水道の復旧すらできていない。

そもそも復興予算を震災発生後すぐに組もうとしなかった時点で、自民党=日本政府が復興にまるで興味がないのは簡易に見て取れた(恐らく財務省の差し金だろう)。

あくまでも「完璧な政治は存在しない」という前提に経った上で、日本にとって最も有効な政治改革とは「ねじれ化」という政党同士の競争なのである。

平時どころか有事でさえまともに機能しない政府などまるで価値がない。ただの金食い虫、無能貴族のごっご遊びですらない。

そもそもなぜ日本の政治はここまで腐敗してしまったのか?歴史的に見てみよう。

WWII戦後70年余りを米国の下部組織である自由民主党が最大政党派閥として君臨し続け、安保闘争、冷戦、ソ連崩壊と国際情勢の変遷とともに野党が瓦解していった(あさま山荘事件のような旧赤軍残党、オウム真理教事件が左向き政党の差し金と言われている点を顧みても、最初から真っ当な政治政党が日本には存在しなかったともいえる)。

数々の重大事件の結果『自民党に票を入れて任せておけばいい』という民主主義国家とは思えない有権者の怠惰と堕落が正当化され、そこで金銭による世論工作や印象操作によった世論形成、情報統制を経て現日本が形成されてきた。

恐らく日本国にとって最も政治が健全的だったのは自民党と民主党がまだ互角に規模を保っていた2000年~2007年頃だろう。

その後理由はどうあれ、2009~2011は民主党が最大議席=与党となったものの、読者の知る通り崩壊した。

以後は知っての通り『悪夢の民主党政権』というプロパガンダのもと、自民党がやりたい放題をしてきた結果が例の脱税騒ぎである。

もっとも、脱税に始まる政治献金や裏金、宗教問題などは一政党に限った話ではなく『日本における政党運営ビジネスが露見した』だけの話で、むしろここまで騒ぎたてて有権者が怒るのは「今更それで怒るの?」という茶番感を否めないのが筆者の率直な感想だ。

クリーンな政治、綺麗な政治、健全な政治、透明性のある政治・・・世の為政者達はそろって同じ事を口にしてきたが、同様に誰もが口先だけだったのは歴史が語るところだ。

まだ年幾ばくも無い少年少女が政府の体たらくに怒ったり戸惑うのは道理だが、いい年をしたおっさんおばさんまでもが同じく幼稚な反応をしているようでは日本の政治が腐敗して当然なのだろう。



■政治責任は誰のものか?
政治の話となると特にSNSや匿名掲示板で顕著なのが政治家本人への批判だ。最近は子供でも「〇〇メガネ」なんて言い出すようだが、大人達までもが同様に茶化し始めるのは大人としての品性が欠けていると言わざるを得ない(筆者も半ば娯楽感覚で悪乗りするので品性の欠落を自認している所)。

まず、自由と民主主義を謳う日本において政治家は有権者の投票によって選任されている。大人気中の〇〇メガネを当選させて国会に送り出したのも元はと言えば有権者の清き一票の結果である事を念押ししておきたい。

筆者は以前の記事でも『日本人有権者は自分達の非を認めない』と記載したが、当然そんな有権者達によって当選された政治家達が自身の非を認めるわけもない。政治家は有権者の代表であり、有権者を映す鏡でもある。

政治家の質は有権者の質であり、政治家の腐敗もまた有権者の腐敗である。結果、政治の腐敗などという怠惰と堕落のツケがはじまるのだ。

誰かが一方的に悪い、そんな都合のいい勧善懲悪はリアリティーのないお伽話だけだ。現実は常に皆が何かしらの形で繋がっている、そうでなければ誰も人間社会に興味などもたない。

筆者のような世捨て人ならいざ知らず、安定した職業で給料をもらって生活している大多数の人間達が『自分は政治と何ら関係がない』そんな理屈が通じるほど民主主義とは甘く優しいイデオロギーではない。

『民主政治における最大の責任者は有権者である』

というのも銀河英雄伝説の名言であり、民主主義における事実である。が、例によって有権者が有権者としての非を認めているのを筆者は未だに見たことがない。多分、日本国では一生見ない事だろう。


■何事にも背景が存在する
筆者が、日本の政治がこれほどまでに腐敗した理由を考えるに
・有権者自身が民主主義を理解していない、理解できないのでは?
・自民党という組織があまりにも有権者に根を張りすぎて、ナチスドイツのような国民同士による監視社会、通報、拘束が成立しているのではないか?
・もはや哲学的ゾンビのごとく、外形上自律しているように見えて実は意志能力がないのではないか?

・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・

色々と考えてみたのだが、案外「自分で物事を考えられない」人が多いのが現実的な答えではなかろうか?

思えば義務教育課程の内容からして、インプットのみが課題とされ、求められたアウトプット以外は0点、落第という『アイデンティティ剝奪教育』を政府が決定しているのが異常だ。

これでは自由と民主がただの張りぼてにしか見えないのも道理だ。日本の子供には自由も民主も存在しないのだから。

成人していきなり『選挙だ、好きに選べ』は無理というものだろう。面前に自由民主党の広報ばかりがメディアによって飽和状態にされてきたのだから、『じゃあそれ』になるに決まっている。

こんなことが戦後70年余りも繰り返されてきたのだから、『自由と民主とは一体何なのか?』という疑問を持つ愚か者が出現しても納得いただけないだろうか?

『まずそうに見える食事』と『美味そうに見えない食事』、メニュー表に並んでいる他の写真も皆そんなに違いがない。一方で目の前にやたらデカデカと大きく『『『『『 当店のおすすめ 』』』』』と書かれた別段美味そうにも見えないがまずそうでもない料理の特大パネルがある。

果たして客は何を選ぶのか?ここまで読んだ人であれば悩むまい。この営業手法を我々は民主主義と呼んでありがたく崇めているのだ。



■後記(第2の本題)
そんなわけで、最近またまたまたまーた・・・銀河英雄伝説(旧OVA版)を見直し始めたので政治記事。

といっても筆者は特定政党のバッシングや持ち上げは極力書かないし、そんなことは無意味と悟っている。

なにせ政党政治そのものを唾棄すべきと考えている人間だし、今のテクノロジーなら間接民主制自体不要と認識している。

資産形成の成り行き上、投資企業から株主総会招集ご通知なるものが届く時期になったがこれらの議決権を株主は直接参加意外にインターネットでも選べるようになっている。

国会審議(地方も同じだが)の議案と質疑応答は事前提出方式であり、予め質問される内容と回答するカワの内容(議員や役人が読み上げるカンペをカワと呼ぶ)が議会開始前に全て揃っており参加者もそれを知っている。

であるなら、わざわざ議員や役人が直接議場に来る必要などなく、また質疑応答内容も全てウェブに掲載して各々が勝手に読めばいいだけなのだ。そのうえでさらに質疑応答を一問一答ずつやりあえばいい。

こんな無駄なことに今なお多額の税金、労力、時間を浪費しているのが日本の政治だ。はっきりいって時代錯誤を通り越して『無駄が大好きな愚かな日本人』と笑われて然りだ。

何度も言うが、これら全ての政治責任が民主主義においては有権者のに責になる。当然だ、政治の代表者を選任しているのは有権者自身なのだから。

最後に、ヤンがなぜ民主主義をそこまで重要視するのかという疑問に対して答えた内容(ここも直接引用したいが何話だったか忘れた)
『専制政治の政治責任が専制者一人のみでは誰も政治に関心を持たない。何かあれば専制者を責めればいいだけだから。しかし民主主義の場合は有権者、つまり国民一人一人全員が政治の責任を負う以上無関心ではいられない。』

つまり、一人で勝手に政治をするのと、国民全員で行う政治。この一点に大きな違いがあることを指摘しているのだが、やはり筆者は思うにヤン・ウェンリーという人物は高尚で高潔すぎるのだ。

日本のメディアが例によって報道しないが、米国は内戦寸前という危機的状況にある見方が強い。この数年間における民主党政権下による政治が米国を崩壊にまで追い込んでいるからだが、結果的に地元米国人と不法移民による対立が起きているのが原因だ。

欧米は特に自由と民主主義のパイオニア、いわば戦う民主主義だ。

一方の日本はどうか?

デモ活動は確かに起きているがメディアはまるで報道しない。それどころかあまりにも恣意的なスポーツ、タレントスキャンダル等で情報統制に勤しんでいるかのようだ。または小さな火事で大きな火事を隠そうとする。

銀河英雄伝説が物語として綺麗なのは、まだ『メディア』という強大な存在が不在だからだ(オーベルシュタインが核攻撃によるウェストランド粛清を録画して反貴族プロパガンダとして利用したのは単純に策略なので趣が違う)。1980年はじめ頃から始まった作品だからだろうが、21世紀の戦争や社会問題を語るためにはメディアの影響は外せない。

民主主義も専制(独裁)政治も、行きつく先はどちらも結局『民意を無視した政治』というのは作品を見た人は理解できるはず。

主義だとか大儀だとか誇りだとか威信だとか・・・あれこれ理由をつけて戦争に人を駆り出させたり、重税を強いたり、いつも酷いことをするのは安全圏にいる権力者達であり、『民主主義』も結局は彼らのお題目、道具でしかない。

「民主主義だから許されるのだ!」
「専制(独裁)政治と戦うから正義なのだ!」
「民主主義万歳!」

一体これのどこが平和で、人道的で、優れたイデオロギーなのか?

人の生み出したものに完璧性は存在しない。あの作品を見るたびに、専制政治のカイザーラインハルトこそが銀河における最後の希望(民主主義サイテー)とさえ思えてしまうのが田中氏の才覚ではないかと思う。

何周視聴したかわからないけど、本伝を全話見終わった後にどんな感想を抱くのか考えながら続きを見ようと思う。

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