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自分の痛みを知ることは、人生の深みを知ること。


自分の持っている重たい錘には、
必ず意味はある。


自分にしか持てないからこそ
自分にしかないものを得られるんだ。


「人生の課題」とは、
自分にとってのお宝になる。


自分にとっての苦しみや痛みは
深ければ深いほどに
人生を思う存分に味わっていると思うんだ。


それは地球に生まれてきた醍醐味であって、
自分の深さを味わえるから
きっと人生も深みが出てくる。


自分の痛みを知ることは、
人生の深みを知ること。


幸せだけな人生や平凡な人生も良いけど
それでは、何も考えずに終わってしまう。


自分の器も広がらないし、
味わい深くなれないんじゃないかな?
と思う。


あくまでも自論だけど。



自分と向き合えば向き合うほどに
自分が望んだことが起きているんだ、
ということに気づく。


両親の顔がフラッシュバックする度に
また罪悪感が湧き出てくる。


自分の中にまだ残っている
両親への罪悪感から
出てくる本心はいつも
「もうゆるしてほしい」


「もうゆるしてほしい」
「もう解放されたい」
「もう救ってほしい」

と、泣き叫んでいる自分が出てくるんだ。


わたしは父と母を無理やり
施設に入れたことに対して
とても悔いている。。。


たくさん罪悪感を味わってきた。


noteでも、何回も書いているけど
それだけでは済まなくて
久々にまた罪悪感が湧き上がってきて
涙が止まらなくなる。



もう何回目だろう?

まだ罪悪感があるの?

もう自分をゆるしたはずなのに。


ゆるしたふり、しているのか。



湧き上がる罪悪感ほど
重たいエネルギーを感じるときが
ものすごく辛い。

慣れたとはいえ、辛いのだ。



今回、ものすごい思い込みを
持っていたことに気づいた。


「わたしが2人を施設に入れたから、
生きるエネルギーを奪ったんだ」

「わたしが2人を早く死なせてしまった」

「わたしのせいなんじゃないか」


まるで自分が犯罪を犯したかのような
思い込みを持っていたことに気づいた。


潜在意識が恐ろしくなった。



父と母があのまま家にいたら
生きるエネルギーを
奪わないで済んだのではないか??


そんなことをしたら
わたしの生きるエネルギーが奪われる。

もう壊れるんじゃないか?と思った。


もうお医者さんや、周りの人たちからは
施設に入れた方が良いって言われていたし
これが「最善の選択」だったと思っている。



今、客観的に考えてみると
極限の選択に迫られていたのかもしれない。



「自分を取るか、親を取るか。」


自分の自由を取るか?
親の自由を取るか?



当時考えても、今考えても、
当たり前に「自分」だよね。


・・・なんて

口では簡単に言えるし
頭で考えたらわかること。



でも、
結局わたしの本心は
自分のことをゆるせなかった。


いくら嫌いで憎んでいる親でも
自分を取ったことに対して
こんなにも罪悪感がついてしまうなんて
思わなかったんだ。


自ら持ってしまった罪悪感は
自らの手で手放していくしかない。

罪悪感なんて持っていても
重たくて仕方ないのに。


でも、
これもわたしにとって必要だから
重たいものを持っているんだと思う。


わかってはいるけど、
何回も向き合っていると
誰かに吐き出したくなるのだ。


だから、
こうしてnoteに自分の気持ちを書いている。

これは自分の課題であって
自分自身の手で
手放していくことに意味がある。


今まで散々、親から逃げてきたから
もう逃げないと決めている。

わたしはわたしを救うのだ。



今までの人生において
一番辛いときを一人で乗り越えた。

もちろん、一人ではなかった。


たくさんの光があったからこそ
闇から抜け出せることができたのだ。


施設の人も病院の人も優しかったし
日々連絡くれていたし、
両親にとっても良い空間だったと思う✨

だから、
無理やり入れたことに対して
もう後悔はしない。


施設や病院の人たちの温かさは
わたしにとって必要な光だった!

とても感謝している😌


わたしの人生において
間違いなく両親と
わたしを救ってくれた人たちだった。



こうやって気づいたから
わたしは光と闇を体感できた。


闇の中にも光の存在があって
「必ず闇から抜け出せる」
確信しているよ。



わたしも光を与える存在でありたい。


わたしが他人の抱えている闇の
一筋の光となれたなら
わたしの人生の錘が意味がある。


わたしが持っているものを
包み隠さずに全て出しきっていきたい!!


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