見出し画像

はじめて弱音を吐いて思うこと

その日、選んだつもりはないのだけれど、気づけばnoteで温かいエピソードを立て続けに読んでいた。温かいものを求めるのは、きっと冷えているからだ。体ではなく心が。

原因は先週のこと。

生まれて初めて弱音らしい弱音を吐いた。その事実になんだか自分が情けなくなって、優しく耳を傾けてくれた人によくない感情をぶつけた。

粘性のなにかが心にざらついてまとわりつくような、本当に嫌な気分になった。

幸いその人はとても大人で、受け入れつつもきちんとたしなめてくれて、けれどきっと幻滅させたんじゃないだろうか、なんて恥の上塗りみたいな心配をまだしている自分がやっぱり情けなくて、本当に嫌になる。

頭ではわかっている。

弱音を吐いたことがいけないのではない。人が弱音を吐くのを見ても聞いても受け入れられる自信があるし、それは決して悪いことなんかじゃない、と心から言える。

そうではなくて、自分は弱音を吐いてはいけないと思い込んでいたことが問題だ。なんで弱音を吐いてはいけないと思った?なんでそれが情けないと思った?

それもわかっている。

きっと心のどこかで、弱音を吐く人を見下していたのだ。悪いことじゃないと言いながら、自分はそうはならないぞ、と見下していたのだ。

そこまで自覚して、いよいよもう気分は最悪になった。

けれど、よかった、と心から思う。気づかなければ、変わらなかったのだから。変わる兆しもなかったのだから。弱音を吐けてよかった。吐く相手がいてよかった。

今後は弱音を吐かない人ではなく、弱音を吐いても、吐きながらでも立ち上がれる人になりたいと思う。

ちょっと温まった気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?