「きっと、私にできることが何かあったはずだ。」で思ったこと

 『超格差社会フランス、最貧困層の移民と話してわかったこと
 という文章を最近読んで思ったことをエニアグラムにからめて書きます。
 この文章は、フランス在住のかたがフランスで出会った貧困から、日本で出会った貧困を思い出す話でした。

 この話の最後のほうで「きっと、私にできることが何かあったはずだ。」という言葉を筆者は三唱します。

 それで思ったのですが、こういった他者を救うという発想も性格タイプが出ているのだなあということ。
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 人の性格を現わす言葉に、「能動的」とか「積極的」とか「自発的」という言葉があります。でももっと深い言葉は「内発的」です。
 「内発的」というものは、自分の内側から起こるものです。「衝動的」や「自動的」に近い感じもありますが、それよりは、当人の理性や感性が関わっている言葉です。

 ちなみに日本文化は「内発的」なものを押さえ込む文化です。集団主義的な文化です。昔、新聞の人物特集で取り上げられていたダンサーが、一般人を相手にした教室で「さあ、今度は自由に踊ってみて!」と言ってもみんなできない。と語っていたのは、日本人にとっては「内発的」なものが苦手だということの証左だと言えます。「内発的」というものは、内発的表現や内発的道徳観にまで影響してきます。そういう前提で見ると、フランスに在住している筆者のこの発言は目立ちます。

 このかたの言葉は内発的ですね。周りがどうであれ、内からの思いが出ている感じが内発的です。タイプ1・4.5あたりかな?でも、フランス文化はタイプ4っぽいから住んでる文化の影響もあるかも知れない。・・・で、あるなら、周りの影響を受けやすいタイプ6(しかもタイプ6は優しいしね)かな?タイプ3も優等生になっちゃうしなあ。などと思いながら文章を読んでいました。

 誤解の無いように言っておくと、人を助けることはどのタイプでもあると思っています(思っていますと書いたのは全てのタイプで助けるところを見たわけでは無いからです)。ただ、助けるときに対象になる人に違いがでるでしょうし(たとえば極限状態で第三者を救えるかという話)、助け方にも違い(個性)が出ます。さらには、レベルの影響はとても大きいです。ストレスがかかるとレベルが下がり悪い面が出てきますから。

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