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About Time



時間が巻き戻せるならどこに行きますか?

クローゼットの中へ入って念じると自分の思ったシチュエーションに瞬時に戻る。

好きな映画の一つにこの映画がある。


やり直したいことなんていくらでもある。
間違った選択をした時、正しい選択にしたいこともある。
時間を旅する。

それでも僕の場合、学んだことの多くは間違った選択をした後。
正しい選択をした後は心が安心するだけだった。

もっとこうしたい、次は必ず。
そんなことを思う。

人生はYes or Noの繰り返し。
その選択の中で生きている。

大切な人を失っても
また別の大切な人に出逢えるチャンスが生まれる。

微調整しながら生きていく。
そう思えたのもここ最近。

36年間の人生に於いて、とてつもなく嫌なことはそんなになかった。
ただ、この瞬間が早く過ぎ去ってくれ。
と思うことは何度もあった。


最近は

1日の始まりに起きた場合、夕飯を想像する。
1日の終わりに起きた場合、朝食を想像する。

誰かが作ってくれるわけでもなく、自分で作るのに。
すると気がつくとご飯を食べている。
あまり気持ちは変わらないが、考えないより健康的である。


去年、父とものすごく昔の話をした。
父はその時、どんな選択をしたのかを訊いた。

結果は解っていてもその時の心情はわからなかった。

学生時代は厳しく、周りがどうだとかと気にするな。
という環境であった。

母は一般的に「普通」の暮らしをしてほしい。
とよく言っていた。

僕はその「普通」が理解できなかった。
人によって解釈の違う問題であるのは明白であったから。
高校時代に進路に関して大喧嘩をし、御茶ノ水にある大学を蹴っ飛ばし、
高校時代を過ごし、慣れ親しんだ国分寺の大学へ通うのを希望した。

成績は上から数える方が早いくらいであった。
とはいえやりたいことは決まっていた。

「普通」の暮らし
という選択を選ばなかった。

選択肢がいくつもある中で、父が選んだ選択。
母が希望した選択肢。

今なら両方理解できる。


かといってクローゼットに入って念ずることも、過去に行けることもない。
行かなくてもいい。

行かなくてもいいような日々を過ごすようになった。

どんなに1日を自堕落にしようが、その日何かする。


自分が選択したことに涙してくれたのは過去に二人のみ。


それぞれの言い分もわかる。
でもその先に待っていることを想像したらもっと大変な生活になることは想像できた。
そして何よりその提示された選択肢は自分では選択し得ない選択肢だった。



後悔はしたし、申し訳ない気持ちもたくさん考えた。
それでも前に進まないと、いけない。


日々なにをするか。
そんなことを考える。


たまに途中で電車を降りてみたり、歩いて帰ってみたり、散歩してみたり。
吸わないタバコを買ってみたり。
迫ってくる明日をゆっくり味わいながら過ごす。
明日に追いかけられるばかりは疲れちゃうからね。


また明日もいい日にする。




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