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どこにいて、どこに向かうのか?
年末年始って基本的に関係ないわけですよ、ワシ。もろもろ更新作業があったりしてですね、除夜の鐘だとかそーいう時節なものを完全スルーして黙々と作業していたりするのが常であります。特に昨年からコロナ禍ってこともあって、時節ものっていうのはガン無視生活しての引きこもりで。
そんな中、こそりと新年のご挨拶は作って上げてましたけれどさ、それはまぁいいわけですよ、ええ。
大晦日に感染者数がうわぁぁと増えた中、予測通りではあるんだろうけれどうわぁぁと増えた中ですね、新年に向かってだからか知らんがさ、妙な前向きな感じの「先」の話をしている人らがたくさんいて、何となく気持ち悪くなる。それがいけないことなわけではないのだよ、ただなんか自分的には気持ち悪かったりした。
足元だけ見るより、そりゃ近くなり遠くなり先を見ることはいいことです。でもなんかこの状況というか、この場合の「先」に対する発言なり、考えなり、行動なりっていうのは根底に流れているものが違うんじゃないかと。それは希望でもなんでもなくて、慢心に近いもので、でももちろん希望的観測で期待値ではあるんだけども、どうもムズムズ。
withコロナだとかそういうんではなくてさ、なんかいろいろと変化したものがまた元に戻るっていうね、信じてる感じ?いやいつかは戻るのかもしれないからいいんだけど、じゃあなんかコロナ禍で踏ん張っていた変化ってのはもう忘れてしまって回帰するだけなのか?みたいな、コロナ禍はなかったことにする感じがプンプンしてワシは気持ち悪くなったわけよ。でもまだコロナ禍なわけですしね。
おそらく取り入れてみたことをやはりそれはいらない、みたいな変化をやはり求めない感じっていうのかなぁ?それが感じられて嫌なんだろうよ、ワシは。初志貫徹やら原点回帰はいいと思うのよ、んなんもちろん。でもどうもこう…何?やっぱり弾くんだ、求めているものは違うんだ、微妙な変化はいらないんだっつうね…なんていうか、表現手段への固執、妄執みたいなのが一部感じられてしもうた。それが悪いわけではないのだよ、いいんだよ。
いいんだけどね!
単純にタイトル通りに「どこにいて、どこに向かうのか」ってのがあやふやなまま言い切るのは好きじゃないなぁってだけなんだろうよ、多分。
もやもやです(笑)新年早々もやもやです。あかーん(笑)
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