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友人の論文

書棚の本とファイルの整理を行っている。年に4~5回ほど、長期の休みには必ず行っているが、毎回のことに机の周辺に雑然と積み上げられた書籍と書類・ファイルの山に唖然とする。読もうと思って買いはすれども「積ん読」のままに埋もれた本や友人や関係機関から送ってもらった雑誌や論文などの多くがそのままになっている。申し訳ない気持ちと不甲斐なさを痛感する。
整理の途中で見つけたのが、水本さんから送ってもらった紀要論文や研究冊子である。

水本正人さんと知り合ったのは20年ほど前、四国での部落史研究会であったと記憶している。それ以来の付き合いだが,彼が関係している八幡浜部落史研究会の紀要や論文,書籍を発行の度に送っていただいている。高校教師を退職されて以降は時間的にも余裕ができ,ますます研究成果を多く発表されている。
水本さんの旺盛な研究心,精力的な研究活動,すべての方々から学ぼうとする真摯な研究姿勢,他者に対する謙虚さ,これらが彼の地道で着実な研究を支え,確実な成果を生み出しているのだと思う。
ここで、彼の研究成果を広く知ってもらうために、いくつかを紹介したい。以前にブログに書いた拙文も再掲する。
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『(現代語訳)伊予小松藩の部落史』(八幡浜部落史研究会)

『伊予小松藩会所日記』を分析され,被差別部落民関係の記述を編年別に現代語訳された史料集である。私も高市光男氏の編著である『続・愛媛部落史資料』などでは読んでいたが,伊予小松藩に限定して,年代順にまとめての現代語訳は,研究者だけでなく教師にとっても貴重な資料・教材となると思う。特に、小松藩領の穢多は「盗賊番」として警察業務に従事していた様子がよくわかる。まさに労作と言える。

『伊予小松藩における「かわた」の尋ね方・召捕り・留置について』
(『部落解放研究』191号)

上記の『伊予小松藩会所日記』を現代語訳する過程で、「盗賊番」に関する史料分析と考察をまとめられた論考である。史料を丹念に読み解き,分類しながら整理し,分析と考察を行って、実にわかりやすい。

この論文に先行する小論として、彼が所属する八幡浜部落史研究会の紀要「部落史研究報告集」に掲載された「活躍する盗賊番」がある。

伊予国八藩では,盗賊等の取締りを穢多身分の者が中心に担ってきた。(松山藩では町と三津浜で,非人身分の者も担っているが,大半は穢多身分の者)。八藩の中で,小松藩の様子が一番よく分かる。『伊予小松藩会所日記』に細かく書かれているからである。個人名さえ追うことが出来る。庄屋文書等と比べて比較にならないくらい優れている。以上の理由で,今回,小松藩の盗賊等の取締りの様子を,盗賊番なる「目明かし」を通して記述することにした。
(はじめに)

この小論で,水本氏は8人の盗賊番を取り上げ,彼らの取締りの様子を史実から再現している。史料から説き起こした盗賊番の活躍は,彼らの役割が治安維持に果たした役割の大きさを物語っている。

盗賊番は,人物を見込まれて任命されるが,賊との関わりが深くなるから,賊の盗物を捌く手助けをしたりして,御領内を追放される者も出る。…もちろん,律儀な盗賊番もいる。…
盗賊番は,廻り方の手先であるが,廻り方(同心)に雇われているのではなく,藩に任命され,藩から扶持を貰っている。

岡山藩の「目明かし」についても調べてみたいと思っていながら未だに中途である。
「渋染一揆」においても中心となった城下五か村は「役人村」と呼ばれているが,その実態は必ずしも史料から明らかとなってはいない。『市政提要』などの史料に散見するので、本格的に調べてみようと考えている。

『非人にとっての救いと宗教』(『部落解放研究』197号)

本論考は、彼の著書『宿神思想と被差別部落』の延長に位置するものと考えられる。

被差別民がなぜ「祭礼」や「門付芸」に深く関わってきたかを史料を丹念に読み込み、歴史的・宗教的に考察した本書から多くの示唆を得ることができた。

古くからハンセン病と被差別民は深い関わりをもつと先行研究によって明らかにされているが、水本さんはさらに心情面に踏み込み、いかに宗教が彼らの救済となっていたかを史実から明らかにしている。
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八幡浜部落史研究会の地道な研究実践には心より敬意を表する。毎回の研究紀要にその一端が報告されているが,着実に研究成果をあげている。
特に,地元の史料を発掘しながら,それを丹念に読み込み,分析・考察することで,郷土の歴史を解明しようとする研究姿勢と努力は,全国的に低迷している部落史研究の中にあって,実に頼もしくうれしい。しかも,地元の教師が会に参加・連帯して,それを教育実践につなげて同和教育の火を灯し続けている。

法が切れ,公的支援が打ち切られたり,公的な組織が解消(解体)されたりして久しい中で,このような私的な組織が手弁当で活動していく。まるで水平社前夜に各地に誕生した自主組織を彷彿とさせる感がある。
全国各地の私的な研究組織が必ずや素晴らしい研究成果を生み出し,それが閉ざされた歴史を開くことにつながると信じている。

私も地元にて,そのような研究組織を立ち上げたいと思いながら20数年が過ぎてしまった。渋染一揆・解放令反対一揆,岡山水平社など解明しなければいけない史実は多い。岡山の穢多・非人の様相も史料から明らかにしなければならないことが多くある。
埋もれた歴史的史実を発掘するには,時間も労力も必要だ。一人では限界がある。あらためて研究会の必要性を痛感する。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。