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教科書記述の欠落

『貧民の帝都』(塩見鮮一郎)を再読している。この本は,私にとって「目から鱗」の書でもあった。

毎日,教科書を中心に教えていると,自らの歴史認識が教科書の歴史に限定され,その範囲も内容も非常に狭いものになってしまいがちだ。その弊害をなくすために,できるだけ教科書に記載されている史実の背景や内容を専門書などで調べたり,歴史関係の書籍を読んだりして,自らの歴史認識や歴史観の内容に広がりと深まりをもつように務めている。

だが,「日本の歴史」など全集化・シリーズ化された通史の多くは,従来の政治史による時代区分で編集されており,時代と時代の間,移行期に関する記述は詳しくはない。
特に教科書は,時代区分が明確すぎて,明治時代になると江戸時代の全てが変わってしまったかのような記述である。まるで江戸時代の人間が明治時代になると皆死んでしまい,明治時代の人間が新しく登場するかのような錯覚を生じる。
明治の時代を切り拓いたのは江戸時代の人間であり,江戸時代のイデオロギーは明治になっても人々の中に生きており,彼らの生活や行動の原理,生き方や在り方を規定していたはずである。社会や経済の変容に対して,人間の意識を規定するイデオロギーの進展は緩やかである。

私は,ある意味でマルクスの歴史観(唯物史観)を認めているが,ウェーバーがマルクスを批判したように,人間の歴史を経済的土台から導き出されるとする単一の因果系列のみから説明することには賛成できない。

私の歴史観は,ウェーバーに近いかもしれない。なぜなら,「土台と上部構造の相互作用」が重要と考えているからだ。すなわち,ウェーバーは,文化諸領域のもつ「固有の法則性」を重要と考え、それら諸領域における独自の動きが経済の動きを制約するという社会現象の多元的な連関を捉えようとしている。この点が私の考えと同じである。
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徳川慶喜が大政奉還を行い,江戸城を明け渡して江戸時代が終わった後,江戸の町はどうなっただろうか。教科書には何の言及もなく,明治維新による政治改革が説明されていく。まるで江戸時代から明治時代に政治体制が移行したことで,すべての社会状況や民衆の生活さえも移行したような印象を受けてしまう。江戸の町は何事もなかったかのようであり,明治政府のよる制度改革が着実に行われ,民衆が受け入れていったかのように思わされる。
だが,事実はちがう。大混乱が江戸の町を襲ったのだ。

…大名や旗本が屋敷を捨てて逃げていく。…町人までもが家財道具を大八車や牛車に山とつんで市内から脱出する。
百万人の江戸は半分になり,都市機能は完全に破壊された。給金も支払われなくなり,日常の物資の運搬もままならない。…通りという通りには紙くずが舞い,くさった野菜がちらばり,猫の死骸がころがる。馬の糞をひろう者もいなくなった。堀には死体がゴミに取りかこまれてぷかぷかと流れている。おびただしいカラスが初夏の空に舞った。
…江戸城が官軍に明けわたされるが,しばらくはそのまま放置されていた。とてつもなくおおきな「空き家」が江戸の中央に誕生したわけだ。

江戸の大部分を占めていた大名屋敷や旗本屋敷が「空き家」となったのだ。大名に従ってほとんどの武士が領国にもどった。彼らがいなくなったことで,今まで日常生活で消費した金銭は商人や町人に入らなくなった。経済そのものが成り立たなくなった。

想像すれば,誰もが気づくことだが,教科書記述に慣らされた人間には思いも寄らないことだ。教科書は政治史中心の歴史である。社会史・民衆史の視点が欠落している。

私は,ハンセン病史を調べていて,光田健輔が最初に勤め,隔離室である回春病室を設置して本格的にハンセン病医療に従事するきっかけとなった「養育院」に興味をもった。光田の回想録『愛生園日記』にも「養育院時代」という一文があり,養育院について述べている。

本書は「養育院」の歴史を辿りながら,最底辺に生きる困窮者と彼らを明治政府がどのように処遇していったかを描き出している。それは,江戸時代の穢多・非人身分の解体の歴史でもある。江戸から明治の移行期,彼らが時代に翻弄された史実こそ私の関心事である。


部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。