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古書目録

教員になって最初に赴任した学校、私が配属された学年の主任がI先生であった。国語の教員であったI先生に初めて「古書目録」なるものを教えてもらった。
今はネット社会であり、古書の通信販売などは各古書店のHPや日本の古書店などの通販サイトで出品を検索・確認して注文するが、当時は各古書店が発行する「古書目録」や、各地で行われる古書展の「出品目録」から探して注文していた。

I先生の机上やカバンの中は「古書目録」や「古書展案内」でいっぱいであった。同僚の美術のH先生もマニアであり、二人でよく古書の話をしていた。彼らは、いわゆる「初版本・稀覯本」の収集家であった。I先生の自宅を訪ねたとき、離れにある書斎には足の踏み場もないほどに全集や文学書が置かれていたが、ガラス戸の書棚には「初版本・稀覯本」がセロハン紙に包まれて整然と並んでいた。明治から昭和の文豪の初版本を一冊一冊と手に取って説明してくれたのが懐かしく思い出される。入手するまでの苦労やどれほど貴重であるかなどを話すときの無邪気な笑顔は今も鮮明に覚えている。当時出版されたばかりの小林秀雄の『本居宣長』の読解についてはさすがと思った。

I先生は私に、古書の世界や魅力、愉しみ方を教えてくれただけではない。若気の至りで反発したことも多々あるが、いつも温かく諭してくれた。私は彼から教師のイロハを学んだ。
そのI先生が中国旅行中に列車事故で急逝したことを知ったのは、私が転勤して数年後のことである。落ち着いたら、ゆっくりと会いに行こうと思いながら、結局は果たせなかった。

私は「古書目録」の中で、社会科学や歴史に関する書物を探していたが、I先生もH先生も小説の初版本、特に稀本を求めていた。一度、H先生が「珍本」の類いと思うが、掘り出し物を見つけて2人で大騒ぎをしていた。彼らの影響を受けた私であったが、初版本や稀覯本に興味はなく、社会科学や思想・哲学、歴史に関する本は程度と値段だけなので、ある程度蒐集したら欲しい本もなくなり、いつしか「古書目録」も見なくなった。

I先生から紹介された「古書目録」に、とてもユニークなものがあった。普通はジヤンルごとに古書と値段が書かれた「目録」だけが多い。だが、その手書きの「古書目録」には「目録」とは別に、毎号2ページほどのエッセイとも小説ともいえる「小文」が書かれている。その内容が実におもしろく、夢中になった。I先生に頼んでバックナンバーを借りて読み耽った。続きが読みたくて、月に1回か2回の発行を待ちかねるようになった。

その「図書目録」こそ、当時はまだ無名であった出久根達郎氏が古書店「芳雅堂」を営みながら発行していたものであった。やがて直木賞作家として世に出るなど思いもしなかったが、軽妙洒脱な文章と特異で多様な話題、特に作家や古書にまつわるエピソードには興味や関心を掻き立てられた。しかも、その文章がわかりやすく、実に上手い。

ベッドのサイドテーブルに積み上げている、いわゆる「枕頭」に数冊彼の著書がある。『古本綺譚』『本のお口よごしですが』などエッセイ集である。出久根達郎氏は小説家よりも随筆家の方が本領発揮と思ってしまうのは、昔の記憶のせいかもしれない。

古書を通して描かれる人間諸相や人生模様に随分と考えさせられた。本や古書というものの意味や多様な役割、読書が育む人間観や社会観、逆にこだわりや偏った考えなど、たかが古書であっても人間形成に及ぼす影響の大きさを痛感させられる。

何よりも出久根達郎氏の知識量、博識には驚かされる。古書店主なのだから読書家ではあるだろうという短絡的なものではなく、古今のあらゆる本を読み漁って「消化・吸収」しているからこそと納得するほど話題が豊富なのである。それゆえの蘊蓄語りのエッセイであり、知識を巧みに織り込んだ小説を書くことができるのであろう。

郵便が着いたな、と思うころ、電話が鳴った。第一号のお客さまは、岡山のかたである。
「あの、二十二ページの、十三番の、あの、在庫していますか?」と息せき切っている。
カミさんが目録の該当ページを開け、
「ございます」と答えた。
「坂口安吾の『吹雪物語』ですよ。初版、少し汚れあり、八百円。これ、間違いありませんよね?私、買います。すぐ送ってください」
Aさんといい、古くからの顧客であった。
カミさんが承諾し、電話を切ったあと、Aさんが大変喜んでいた、と私に話した。
変だな、と思ったのである。Aさんは、近代文学に明るい客で、文学書の初版を収集している。

出久根達郎「前途多難」『いつのまにやら本の虫』

読んだ瞬間、AさんはI先生であると確信した。確か坂口安吾の初版本も見せてもらった記憶がある。しかし、確かめる術もない。唯一あるとすれば、出久根達郎氏がこの記事を読んで思い出してくれることだけだろう。
今更ではある。ちがっているかもしれない。しかし、私にはAさんはI先生としか思えない。I先生のことが本の中に「記憶」として残り続けるからだ。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。