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井戸替え

来月には年に一度の町内会総出の溝浚いがある。朝早くから各家の周囲を囲む溝掃除を行った後,いよいよ川に流れ出す排水溝の大掃除と小川の泥浚いである。毎年のことだが,近所も高齢者の比率が高くなり、なかなかに大変である。重い石蓋を持ち上げて外し,溜まった泥を鋤簾やスコップで抄いだし,水道の水で流していく。排水溝と小川は,ここまで1年で溜まるものかと毎年のことながら思う。
町内会の人たちと作業をしながら思い出すのが,江戸の「井戸替え」である。

江戸湾に面する低湿地が多く,井戸を掘っても水に塩分が含まれて飲料水にはできなかった江戸では,上水の整備が大きな課題であった。家康が将軍となって人口が増え,大久保忠が開削した牛ヶ渕や千鳥ヶ淵だけでは不足し,家光の代に本格的な上水として神田上水を整備した。神田上水が完成して十年後,江戸の人口は30万人ほどになり,水不足対策として新たに多摩川から水を引く玉川上水を開削した。さらに,本所上水,青山上水,三田上水など江戸市街が広がるにつれて整備されていった。

江戸の井戸は,この上水道から引いた水を地中に埋めた桶に溜めたもので,その水を汲み上げて使用した。つまり,上水から引かれた水道水は,大通りの地下に敷設された石樋や木樋を通り,江戸市中に排水されていたのである。これらの樋は幹線では太く,末端にいくにしたがって細くなり,分岐点には枡を設け,木樋から呼樋と称する竹筒を通って,桶(井戸)に流れ込むしくみになっていた。まさしく水道である。

江戸では,年に一度,七月七日に長屋の住人が仕事を休み,総出で井戸の大掃除をした。これを「井戸浚え」とか「井戸替え」と称した。
まず,井戸の化粧側をはずして水を汲み出す。七分ほど水を汲み出したあと,井戸職人が内部に入って側壁を洗ったり,底に落ちた物などを拾い上げたりした。さらに,井戸の底の泥を取り除くと,大掃除は終わる。あとは,井戸に化粧側を付け直し,酒と塩を供え,みんなで祝い酒を振る舞った。今とさして変わらない日常の一コマである。

気候変動や温暖化が深刻化している。誰もが危機感を抱いている。しかし、どうすればよいかの決定的な方策を見いだせないままに<自然の報復>を受けている。事実、私が生きてきた半世紀だけでも、毎年のように「観測史上初めて」「想定外の」等々の自然災害や気候の変化を目の当たりにしてきた。

江戸時代までの近世と明治以後の近代、「井戸替え」だけでも違いを感じてしまう。江戸時代は<リサイクル社会>と言われる。可能な限り使い切ることで無駄をなくし、生活に必要以上の自然破壊を行わなかった。自然を最小限の変化で利用しようとする近世と、自然を改変させてまで人間にとっての利益を得ようとする近代、科学技術の進歩や利便性の追求、物質的豊かさ…等々の美名の下で自然を破壊してきた結果が<自然の逆襲>なのかもしれない。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。