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新たな部落問題の課題(3) 思い込みと偏見

一度思い込んでしまうとなかなか修正ができない人間が多い。情報を正確に認識して理解できないままに、自分の主張や意見に合うように「思い込んで」解釈し、断定してしまうことほど恐ろしい。思い込みが「偏見」を創り出してしまうからである。特に、自分の意見や考えに反する場合、嫌悪と憎悪の感情が入り込むと、敵愾心が増幅されて攻撃的な言動になってしまう。
一部分でしかないことを全体化したり、一般化したりする人間も多い。自己満足の戯言としか思えないのだが、当人は確信しているため、正しいと思い込んでしまう。特に、自らの主張や意見に反する言説に対して自己正当化を図るために、あえてそのような手法を多用する。


一例を挙げよう。
同和教育を目の敵のように批判する人間がいる。だが、彼の繰り返すの批判は、同和教育を批判するのではなく、同和教育を実践した<教師>を批判する。これは「同和教育」論でも「教師」論でもなく、「教師」に対する個人的な憎悪からの攻撃としか思えない。一人ないし数人の教師に対する個人的な憎悪や嫌悪を「正当化」するために「同和教育」を持ち出しているだけでしかない。
一人の教師の実践を取り上げて「同和教育」全体を考察できるなど、烏滸がましいにもほどがある。まして同和教育の実践など見たこともなく、実際の授業の参観もしたこともない、本とインターネットでしか知らないにもかかわらず、したり顔で批判するなど厚顔無恥としか思えない。

同和教育を実践してきた教師は「左翼思想の理念」「特定のイデオロギー」の「罠」に「陥りやすい」と断定する。その根拠は何かを明らかにせず、ただ非難する。

ある若い女は、私に言った。「わたくし、ある毛皮屋にひどい目にあわされましたのよ。預け
ておいた毛皮に焼きこがしを拵らえられて。ところがどう、その店の人はみんなユダヤ人だっ
たのですの。」しかし、なぜこの女は、毛皮屋を憎まないで、ユダヤ人を憎みたがるのだろう
なぜ、そのユダヤ人、その毛皮屋を憎まないで、ユダヤ人全体、毛皮屋全体を憎みたがるのだ
ろう。それは、彼女が、自分のうちに、反ユダヤ主義の傾向を、それ以前から具えていたから
である。…もし、ユダヤ人が存在しなければ、反ユダヤ主義は、ユダヤ人を作り出さずにはお
かないだろう。

(サルトル『ユダヤ人』)

「同和教育」を批判すべきなのに、「同和教育を実践した教師」を批判する。「同和教育」を批判することはわかるが、「同和教育を実践した教師」を批判することで「同和教育」を批判するとはいかなることだろうか。教師の学校現場および実践を知らないからこそ、文科省(文部省)や教育委員会、あるいは運動団体のマニュアルや理論、その指示の通りに「同和教育」を教師が実践していたと思い込んでいるのだろう。
あるいは年代物の実践集を集めて、その著書から自分に都合のよい箇所を抜き出して「批判」することで「同和教育」全体をわかった気になるなど、何様のつもりかと思う。本とインターネットしか知らない人間が現実の「実践」をあれこれと批判するなど、まさに「門外漢」の所行である。だから、安易に全同教・県同教と日教組を並列したりできるのだろう。

学校現場に身を置いた教師の一人として、そのようなことは断じてなかった。各市町村あるいは各都道府県単位に「同和教育実践研修会」が年に数回開かれ、さらに年1回の全同教大会が開催され、それぞれに「実践発表」が行われ、真摯な討議によって深められた理論や教材、授業内容を各学校現場で伝達と検証が行われて、実情に沿った取り組みが進められていった。一方的な上意下達あるいは画一的な同和教育などありえなかった。

同和教育の目的は部落問題を中心とするあらゆる差別をなくし、生徒の人権を保障するための教育実践を行うことである。部落差別に苦しむ生徒の立場、(あらゆる差別によって)「被差別の立場」にいる生徒に寄り添い、彼らの立場に立って(共感的理解)、差別解消の主体者として差別に立ち向かっていく仲間を育てることである。

繰り返すが、「被差別の立場」に立つことは「部落になること」でも「部落の子にすること」でもない。そのようにしか解釈・理解できない人間もいるが、実に嘆かわしい。二分法でしか人間を見ることができないらしい。


<決めつけ>の例を挙げよう。
「同和教育」を目の敵にする人物が書いたブログ上の一文である。

被差別部落の祖先の歴史も、先祖に対する尊敬の年(念?)を持っていなければ、その真実の姿にたどり着くことはできません。左翼思想に洗脳されて、先祖の歴史を貶め、その歴史を捨て去った人々が如何に多いことか…。同和教育は、とりかえしのつかない失態をその教育史に刻み込むことになりました。

大なり小なり似たような文章が繰り返し羅列されているが、ほとんど明確な根拠が示されておらず、筆者の思い込みと決めつけ、独断と偏見で書かれている。俗に言う「戯言」「愚痴」の域を出るものではない。本とインターネットでかき集めた「情報」を考証もせず、自分に都合よく解釈して、さらに誇大妄想を駆使して自説の正当化と他者を扱き下ろす材料にする。

私の寡聞なのか、「同和教育」の理論に引用のような文言を見たことがない。「同和教育」を実践する教師が「祖先に対する尊敬の念を持っていない」あるいは「左翼思想に洗脳されて、祖先の歴史を貶め、その歴史を捨て去った人々が」多いなども見聞したことはない。なぜ「決めつける」ことができるのか。要するに、彼の主張とは真逆である「同和教育」が立脚した部落史理論が許せないのだろう。自分の「説」ではないものは、意に沿わぬものは、すべてが「敵」であるという偏狭な考えで、どうして「大衆運動」(部落解放運動)の理論たり得るだろうか。

「同和教育」を実践してきた教師は「左翼思想に洗脳されて」いた教師ばかりではない。当り前のことである。なぜ「思い込み」「決めつける」のか。「先祖の歴史を捨て去った」とか「尊敬の念を持っていな」いと言い切れるのか。そのような教師の実践を見たことがあるだろうか。一の人間、その人間の一部を見て「決めつける」など、まるで「神」にでもなった気なのだろうか。

政治家にせよ、会社員にせよ、牧師にせよ、教師にせよ、多種多様な思想や主義主張の人間がいる。昨今の「LGBT」への政治家の差別発言や法案に関する動きにしても同じである。賛成する教師もいれば反対する教師もいる。「同和教育」においても同じであった。


私は「理論」を批判することは一向に構わない。それによって進展が図られていくのであればよいと考えている。しかし、「理論」ではなく「理論」を実践する「人間」を的にして悪しく非難することは反対である。たとえ、その時に間違っていても、後でいくらでも修正はできる。事実、部落史(学習)に関しても繰り返し修正が加えられてきた。また、今から考えて理論的に間違いがあったとして、その同和教育実践、部落問題学習によって部落差別解消の成果が多大であったことも事実である。私はその成果、生徒たちが自らのすり込まれた差別意識から解放されいく姿を幾度も目の当たりにしてきた。(徳島県の森口健司氏の全体学習などその最たるものである)それさえも、一派一絡げに否定するのは傲慢であろう。

「批判」すべきは「同和教育」であり、「同和教育」を支えた理論、「同和教育」が採用した部落史であるべきで、それを信じて実践した教師の「人間性」や「人格」までをも否定するのは傲慢である。それは「批判」ではなく「誹謗中傷」の類いである。

なぜ誰からも相手にされず無視され続けるのか。簡単な理由と私は思う。目的が「個人攻撃」であり、他者を愚弄する筆法であり、協調性の欠片もない人付き合いであり、独断と偏見で他者を決めつける傲慢さにあるからだ。純粋に「研究成果」を発表すればよいのに、一々「批判」しないと気が済まない。彼のルサンチマンなのかコンプレックスなのか、人間性なのか…。

他者との共存共闘を受け容れず、ただ自分の「理論」のみを正当化して、他を敵として排除する高慢さの先に「部落解放」などあり得ない。むしろ、思い込みと決めつけで、自己正当化のために他者を愚弄する人間こそ、自らの差別意識に気づくべきだろう。


問うべきは先祖の生き方やあり方ではなく、先祖の生きた時代の政治体制であり社会の有り様である。江戸時代の身分制度であり身分制社会がいかに非人間的な社会であり、強圧的な支配によって人々を分断して統治していたかを批判すべきである。
武士身分に所属していた「役人としての役負担」であったとして、治安維持に貢献したとしても、社会に役立つ仕事をしたとしても、だから差別を受けていなかった証左にはならないし、身分制度に縛られていたことは紛れもない事実である。百姓や町人を支配していたから「尊敬」できることにはならない。その論理では武士身分は皆「尊敬」されることになる。

解放社会学研究所所長 の江嶋修作さんは、結婚問題に際して祖先が武士であり血統を盾に反対する相手に対して「さぞかし多くの人間を殺したのでしょうね」と反論したという。江戸時代の身分制度の呪縛から解放されることと、祖先を尊敬することは別の話である。武士であろうが百姓・町人であろうが、賤民であろうが、その社会の中で懸命に生きて家族を守り子孫に生命をつないできたのである。自らの存在の背景には多くの祖先がいる。祖先あっての自分である。そんなことを否定する人間はいない。当り前である。
批判すべきは、祖先の身分を持ち出して子孫を縛り付けることである。祖先が武士だから偉いのか、百姓や町人は今も武士の子孫に従わなければいけないのか。そんな血筋や家柄に固執する価値観こそが問題なのである。

自らのルーツを古文書で調べて、祖先の身分を確かめて、それで何がどうなるのか、私にはさっぱり理解できない。(古文書を調べた程度で、よほどに「日記」や「伝記」の類いが残っていれば別だが)祖先の生き方やあり方まで、祖先一人ひとりの人生まで明らかにできるはずもない。あくまで想像の域は出ない。現代の価値観を祖先に押しつけているに過ぎない。

別に私は「祖先の存在」を否定しているのではない。他者の祖先についても、その祖先のあり方や生き様を批判も否定もしていない。他者が祖先をどう思っていようが一向に構わない。祖先と自分の「つながり」を明らかにすることもどうでもよい。江戸時代、祖先が武士身分であり、大名でも家老職でも、下級武士であろうとも、町人でも百姓でも、被差別身分であろうとも、それがどうしたというのだ。私が問題にするのは、その身分を持ち出して、江戸時代のままに身分の上下や他者を見下すことである。江戸時代の身分意識や価値観を現在に通用させようとする人間の愚かさである。祖先を「誇る」とはそういう意味ではないだろう。

賤民だから差別を受けたのではなく、差別を受けた存在が賤民であったのだ。「賤民」が存在しなかったのではない。人々が、社会の制度が、彼らを「賤民」として差別したのだと私は思っている。それゆえ、問うべきは「賤民」を生みだした社会体制であり社会制度であり、その中で特定の人々を「賤民」として差別した人々のあり方(意識・価値観)である。

中世から近世・近代にかけて、差別を容認し、人々を分断してきた政治的支配体制、それを受け容れて形成された社会のシステム、その中で時代の価値観や社会観に呪縛されてきた民衆のあり方や生き方、それらをすべて含めて<差別>というキーワードで読み解いていこうとするのが部落史研究であり、それらの研究成果に基づいて「差別のおかしさ・差別の間違い」を教えて、差別解消に向かって主体的に行動しながら、すべての人権を尊重するいく人間を育成するのが同和教育である。

単純な思い込みと決めつけ、独断と偏見こそが現代に逆行する他者の人権を否定する独裁的思想である。自らの言動を省みるのことのできない人間の言説を誰が信じるだろう。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。