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我が心は石にあらず

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近世~近現代を中心に部落史・被差別民衆史・部落解放運動史・部落史像について考察しています。また,部落問題を解消するための論考や実践的な提言をしていきたいと考えています。
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2022年1月の記事一覧

「死体の塩漬け」

少しグロテスクな話になるかもしれないが、時代のちがいは制度や法のちがい、認識や価値観のち…

藤田孝志
2年前
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身分統制令の意味:雨落ちの線

石瀧豊美氏のブログ『部落史のファイル』の【『菜の花』の読み方(12)「穢れ」意識と『菜の…

藤田孝志
2年前
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部落との出会い

部落解放・人権教育研究所のHPに,部落問題に関する基本的な認識について様々な角度から分析…

藤田孝志
2年前
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瀬戸内の被差別民(1):讃岐高松

全国部落史研究交流会編『部落史研究6 瀬戸内領国賤民制の構造と特質』に,山下隆章氏と頭士…

藤田孝志
2年前

部落史の諸説Ⅱ

黒川みどり氏の『近代部落史 明治から現代まで』を再読している。 新書版ということもあるが…

藤田孝志
2年前

部落史の諸説Ⅰ

振り返ってみれば,部落問題から部落史へと踏み込んだ30数年前は,部落史関係の著書は非常に…

藤田孝志
2年前

番非人

『明治維新と被差別民』(北崎豊二編著)に所載されている「非人番制度の解体」(北崎豊二)「近世移行期における兵庫津の諸賤民」(高木伸夫)を興味深く読んでいる。明治維新前後の非人番や「穢多目明し」などの変遷を明らかにする必要を感じている。友人である山下隆章氏の論文「高松藩における『かわた』身分の下級警察役とその実態」(『しこく部落史』創刊号)が参考文献として引用されているので,彼の他の論文もあわせて再読している。 史料から明らかになるのは,穢多・非人などの下級警察役の実態が各地

目明しと岡っ引き

江戸時代を舞台にした、いわゆる時代劇には「目明かし」「岡っ引き」と称する「同心」の下で犯…

藤田孝志
2年前
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部落問題の解決

『とことん部落問題』(角岡信彦)に,次の一文がある。 では,部落問題の解決とは何だろうか…

藤田孝志
2年前
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部落史学習の実践的視点

-賤視の歴史的形成と克服過程を視座として- (1) <人権拡大の歴史>の構築①「差別される姿…

藤田孝志
2年前
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部落史学習の目的と史料(史実)の解釈

教科書には「江戸時代の身分制度」のみならず「中世の賤民(河原者)」や「解放令(賤民廃止令…

藤田孝志
2年前

弾左衛門の「士分編入」

部落史に関する論文を読んでいると,気になるのが「引用史料」である。 引用元の原典史料から…

藤田孝志
2年前
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幕府の穢多身分の引き上げ

慶応2年(1866)の第二次長州征伐において,浅草弾左衛門とその配下は幕府の命を受けて5…

藤田孝志
2年前

「弾左衛門」制度

「弾左衛門」は,人名であると同時に職名であり,制度である。塩見鮮一郎氏は『弾左衛門とその時代』に,次のように書いている。 「弾左衛門」というのは職掌をあらわす名称で,武家身分の最下層にされていたが,ケガレ意識がつよまった時代に武士階級から切り離され,「賤民」の地位に置かれた。そのように考えれば,あちこちの城下に「弾左衛門」がいてもおかしくないので,そのうちのひとり,江戸にいた矢野氏が,家康によって「弾左衛門」に採用された。 もっとも由緒がある「弾左衛門」は,鎌倉極楽寺に住ん