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部落史学習の目的と史料(史実)の解釈

教科書には「江戸時代の身分制度」のみならず「中世の賤民(河原者)」や「解放令(賤民廃止令)」「水平社宣言」など、部落史に関係する記述がある。以前の教科書以上に詳しく、最新の学術研究の成果も加味された内容になっている。30年程前に活発に論議された「部落史の見直し」の成果が徐々に教科書記述にも反映され、さらに解明された事実や新たな歴史認識も取り入れられて今日に至っている。
しかし一方で、同和教育が人権教育に移行して以降、部落問題や部落史が学校現場で語られることは逆に少なくなっているのが現状である。

その理由はいろいろとあるだろうが、根本には教師の「責任回避」と「不勉強」があるように思う。部落史をどのように教えればよいのか、未だに定まっていないのではないだろうか。そして「部落史」「差別史」を体系的に学び、教材として自らの中に確立できていないのではないだろうか。
そして、「部落問題」との関係において無難な授業として教科書記述のみを教えることに終始しているのではないだろうか。
この問題に関して、20年ほど前の拙文を再掲しておく。
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従来の部落史学習を「部落史の見直し」という点から,単に「知識の間違い・史実の解釈の違い」と捉えている教師が多いことを痛感している。我々教師は研究者ではないのだから,研究の中身をそのままに受け取ることは危険であり,知識のすげ替えで授業をすべきではないと思う。

部落の学問・教養に関して,単に「部落の人々は決して無学文盲ではなかった。高い学問や教養をもっていた」とだけ語り,従来との違いだけを強調する授業からは,生徒のマイナスイメージは生まれなくても,差別解消への主体的な意欲は生まれはしない。なぜなら他人事の意識が消えないからである。主体的な気づきや思考がないからである。

教師が語るべきは,なぜ学問を身につけていったのか,どのようにして身につけたのか,身につけようとした目的は何か,その努力は何のためであったのか,等々の発問こそが生徒に部落の人々が差別の中を如何に生きたかに気づかせることだと思う。つまり,史実の背景こそを大切にしたいのである。生きた人間の姿と思いにふれることで,今を生きる自分自身に重なるのである。

このことが,私が提起している「部落史を学ぶのではなく,部落史から学ぶ」という視点である。史実を知識として単に「知ること」が学習の目的ではなく,知ったことから何を学び合っていくかが重要な視点なのである。教師による学習の明確な目的意識が授業の視点とならなければいけない。

部落が豊かになった史実を知るだけで,プラスのイメージが生まれて,マイナスイメージが払拭され,差別意識が変容するほど単純なものではない。部落のしたたかな強さとたくましさを教えるという視点において重要なのは,その史実の内容ではなく,その史実が史実として成立している意味であり目的である。「なぜそのような史実となったのか」という背景としての人間の思いである。だからこそ,「被差別から学ぶ」ということが重要と言われるのだと思う。このことに気づかせていく教師の教育活動が部落史・部落問題学習であり,同和教育である。

なぜ清め塩が,六曜が問題なのか,そのことが迷信である歴史的根拠を提示するとともに,迷信自体が差別とどのように関わり,人間としての,そして自らの生き方とどのように関わっているかに気づいていくことができる教師の発問や語りによって,生徒が自らの問題として受けとめて考えていく授業が求められているのではないだろうか。

私は従来の部落史に関する素朴な疑問から出発し,史料を読み込んでいくことからその実態を考察してきた。私は研究者ではないが,自分なりに考え,推測し,その根拠を探すために原典史料も読み込んできた。そして改めて,教師が最も教科書を無批判に信じ込んできたようのに思う。また研究者の多くも「近世政治起源説」,特に「分断支配と権力者の支配力の強大さ」を疑うことなく,その視点から史実や歴史的背景を解釈してきたように思う。

…見形能見分けを好候儀,当時之風俗ニ付,時勢ニ随ひ穢多共近来分限不相応の気有之段相聞不埒の致ニ候,以之七才以上男女ニ不限,以前之通五寸四方之毛皮を目立候様前へ下げ往来可致事…
(寛政10年 愛媛県 大洲藩 大竹村 有友家文書)

ここで従来見落としてきたのは,「見形能見分けを好候儀」「穢多共近来分限不相応の気有之段相聞不埒の致ニ候」の部分である。ここに,なぜこのようなひどい差別法令を出したかが書かれている。何が「不埒」なのか,役人が不埒と思い,このような差別法令を出さざるを得なかった穢多の風俗とはどういうことか,等々から推察すべきである。

差別は関係性の中で生まれる以上,史実においても,その史実を成立させている関係性を分析していくことで差別の本質が見えてくると思うし,解消への展望も明確になっていくように思う。

差別法令として多方面で引用されている史料は,差別内容のみの現代語訳と部分的抜粋が多い。為政者がなぜこの法令を出すのかという記述部分はほとんど記載されていない。副読本でも部落史の教材資料でも同じである。これは近世政治起源説による分断支配を目的とした差別法令という考えですべてを解釈しようとした結果ではないだろうか。
つまり,差別法令の目的は分断支配であり,民衆の不平や不満をそらすことであり,そのために身分差を強調する厳しき非人間的な差別内容の法令である,という点だけを意図した引用でよかったからである。このことを信じて疑う必要がなかったのかもしれない。研究者による情報操作といってもいいだろう。

しかし,ほとんどの差別法令に見られる「平人に紛れざる様に」「慮外躰これなき様」「心得違いこれなき様」(愛媛県大洲藩『口達心得之書付』)などの表現は割愛されて記載されている。本当は,これらの表現こそが重要な意味をもつと考える。

従来の部落史学習において,この「なぜ」を問う授業が実践されなかったのは,分断支配という答が決まっていたからである。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。