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部落史の諸説Ⅰ

振り返ってみれば,部落問題から部落史へと踏み込んだ30数年前は,部落史関係の著書は非常に少なく,「近世政治起源説」が主流であった。
部落解放同盟・部落解放研究所系の学者・研究者の著書や講演から学習していた。全解連・部落問題研究所系の学者・研究者の本はほとんど読むことはなかった。
なぜなら,当時は時代の潮流が解放同盟主導の地方行政と学校教育であり,その状況の影響下にあって十分に検証できないままに同和教育が推進されていた時期だったからである。
解放同盟と対立関係にあった全解連系の学者や研究者の書いた本や論文を読むこともなかった。彼らの主張や意見に耳を傾けることもなかった。
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その当時のある出来事が今も鮮明に記憶に残っている。

部落問題に関する校内研修の席上,同僚の一人が上杉聰氏の講演資料を配付して説明を始めた。彼が「排除の差別」を説明していた時,先輩教員の一人が「むかつく」と吐き捨てるように言い,上杉氏の説は納得できないと言い残して席を立った。

彼は地元の出身教師であった。自らの出自は公言していないものの,地元ということで彼が(被差別部落)出身教師であることは皆が知っていた。日頃は穏和な彼の激昂に,会議室に緊張が走り,彼が出て行った後,しばらくは気まずい沈黙が流れ,研修も中断して別の議題に移った。

彼は自らの祖先が「賤民」(被差別民)であることは納得できても,「社会外の社会」「人間外の人間」として「排除」されたという説を認めたくなかったのだ。

畑中敏之氏の『「部落史」の終わり』に次のような一文がある。

…「あなたの祖先」という発想にあるように,祖先とその子孫に人格的同一性を求める人間観が,そこには存在している。…祖先と子孫との血縁なるものに,子孫である「あなた」の評価を重ねる人間観である。

…「祖先の身分」に「あなた」を重ね合わせることが不条理なのであり,部落解放運動は,そのような人間観と闘ってきたのではないか。否定しなければならない人間観に固執して,そのような人間観を克服しようとするなどは,自己矛盾そのものである。目的がよければ,その手段は問われないというのではやはり間違っている。

私は「祖先の身分」に固執することには反対の立場である。
祖先が賤民であろうが,悲惨な差別を受けていようが,逆に「貴族」であろうが,「武士」であろうが,そんな「祖先の身分」にこだわったり,「子孫」や「末裔」であることにこだわること,それ自体を否定する。

祖先によって,現在の自分が規定されるような人間観そのものが「身分差別」を継続させているのだと思う。

その頃は寺木氏や中尾氏などの「近世政治起源説」が主流であり,ピラミッドの図式でさえもが広く用いられていた。つまり,被差別部落民は江戸時代の身分制度である「士農工商」の「最底辺」に位置づけられ,上下の差別を受けていたという認識であった。

この時が初めて上杉氏の学説を知ったときであったが,寺木氏や中尾氏の著書から学んでいた私は,別の意味で理解できなかった。その後,上杉氏と寺木氏の起源論争や上杉氏の著書を読み耽るうちに,やがて私は上杉氏の学説に賛同していった。

その理由はいくつかあるが,解放令反対一揆について研究する中で,従来の近世政治起源説では説明しきれないことを実感していたからである。

その後は徐々に,さまざまな立場から書かれた関係書籍を読むようになったが,どの立場に与するという意識はなく,主義・主張の対立や,分析・論旨の相違に深く関与せずに,理解と認識を深めることを意識してきた。
それは,教師という立場,生徒に還元するための学習という目的が強かったからだと思う。

畑中氏の主張は,今の私にとって共感的に理解できる部分が多い。特に,近世と近代をわけて考察する必要性,部落史と部落問題史という考察の視点,社会的諸関係の総体として社会構造からの解明などである。
同様に,藤野豊氏や黒川みどり氏の論考から学ぶべきものは多い。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。