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存在を問い続けて

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「岡山の部落史」をテーマに、「渋染一揆」や「明六一揆」(解放令反対一揆)を中心に、江戸時代から近代までの論考や史資料を紹介していきたい。
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#渋染一揆

「渋染一揆」再考(18):倹約令(6)

『備前藩 百姓の生活』(荒木祐臣)に、『法例集』よりの引用文とその解釈の記述がある。 こ…

藤田孝志
11か月前
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「渋染一揆」再考(17):倹約令(5)

広島城の広報誌『しろうや!広島城 30号』<広島のおしゃれ事情~企画展「江戸のおしゃれ」こ…

藤田孝志
11か月前
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「渋染一揆」再考(16):倹約令(4)

岡山の郷土料理に「祭り寿司」があり、「岡山ばらずし」「備前ばら寿司」とも呼ばれている。お…

藤田孝志
11か月前

「渋染一揆」再考(15):倹約令(3)

「渋染一揆」に関する単書としては『渋染一揆論』(柴田一)、『概説・渋染一揆』(大森久雄)…

藤田孝志
1年前

「渋染一揆」再考(14):倹約令(2)

『岡山部落解放研究所紀要 第6号』所収の『御倹約御触書写』(味野村控)をそのまま転載する…

藤田孝志
1年前

「渋染一揆」再考(13):倹約令(1)

「渋染一揆」は、安政2(1842)年12月に出された「倹約令」(倹約御触書)に端を発する…

藤田孝志
1年前

「渋染一揆」再考(12):身分呼称

「渋染一揆」は部落史だけでなく日本史においても重要な<できごと>である。 小学校から高等学校までの社会科(地歴科)教科書すべてに記載さている。当然、授業において「江戸時代の身分制度」「被差別民」に関連して「渋染一揆」は記述されており、教師が授業で説明する限りにおいて、ほぼ国民すべてが知っているはずである。しかし、記憶に残っている人間は少ないだろう。なぜなら、以下のように簡略にまとめられているだけであって、「渋染一揆」という歴史的事実が何を意味に、どのような歴史的意義があるかが

岡山の部落関係史:岡山藩7

江戸時代の史料を元に、先達の研究成果を借用しながら年代別にまとめている。 幕末に起こった…

藤田孝志
1年前

「渋染一揆」再考(11):身分と身形

「渋染一揆」の最大の謎は,「別段御触書」の【穢多衣類,無紋渋染藍染に限り候…】である。な…

藤田孝志
2年前
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「渋染一揆」原典史料Ⅱ

『岡山部落解放研究所紀要 第6号』に収録されている「渋染一揆」の原典史料である『禁服訟歎…

藤田孝志
2年前
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「渋染一揆」原典史料Ⅰ

『岡山部落解放研究所紀要 第6号』に収録されている「渋染一揆」の原典史料を書き下し文と現…

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藤田孝志
2年前

「渋染一揆」関連図表

「渋染一揆」に関係する歴史的背景や地図・図表である。 これらの図表は,岡山県・岡山市・岡…

藤田孝志
2年前

「渋染一揆」再考(10):差別からの解放

従来の「渋染一揆」の授業実践で強調されてきたことは,次のようにまとめることができるだろう…

藤田孝志
2年前

「渋染一揆」再考(1):衣服統制

なぜ「無紋渋染藍染」に抗したのか 「渋染一揆」の最大の疑問は,なぜ岡山藩は穢多身分に対して「無紋渋染藍染」の着物を強要したのか,なぜ穢多身分の人々は「無紋渋染藍染」の衣服を強要されたことに抵抗したのかである。従来より諸説あるが,それらを批判・検証することは考えていない。人それぞれの方法論で史実の解明に向かえばいいと思う。私は,史料や参考文献を読みながら他説を参考にして自分なりの考えをまとめていきたいと思っている。 気になっているのは,「目明」「牢番」の役負担と着衣との関