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哲学『無知の知』ってなんぞや
知っている方も多いと思われる「無知の知」。こちらはソクラテスの言葉なのですが、その意味を理解している人は少ないのではないかと思います。
なので今回は、少し哲学の好きな僕が解説します!笑笑
本当は「無知の知」じゃない⁉
よく耳にしたことのある言葉「無知の知」ですが、正式には「不知の知」が正しいのではないかという声があります。
無知は、知識の書けた愚かなことを意味するのに対し、不知は「しらないこと」という意味でありそこには愚かさなどの意味合いが含まれておりません。
ソクラテスの言いたいことは、「知らないことを自覚する」というものなので、「不知の知」が正しいのではないとかということです。
また、その思想はソクラテス哲学の基礎となる部分になるのですが、ギリシャ哲学の流れの中で、それは画期的な考え方でした。
そもそも「無知の知」って何
それでは、そもそも「無知の知」とはどういうことなのでしょうか。
端的に言ってしまうと「自分がいかに何もわかっていないかを自覚せよ」という意味で、謙虚な気持ちを持つことが大事だということです。
なぜそういった謙虚な姿勢が求められるのかというと、人は、知った気になった時点で、そこから先の探求が終わってしまいためです。
相手よりも少し知識があるだけで、自分はすべてを知っているんだという慢心や無知を認める恥ずかしさなど、今の暮らしに置き換えても、それは大切なものだと言えます。
また、たいていの物事は1を知るたびに10、またはそれ以上の知らないことが見つかります。そのため、専門家やプロのスポーツ選手など、「自分はまだ〇〇(自分の専門領域)を知らない」という方が多いわけです。
まとめ
「無知の知」を持ることによって、謙虚な人間になれるとともに、ステップアップを望める向上心まで手に入ります。
自分はまだ何も知らないんだという謙虚さを持ちながら、一つ一つ「わかった」を増やしていってください!
それでは、またほかのnoteでお待ちしております。
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