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「違う」という絶望があるから、つながれるー広石コラムVol.1

このコロナの状況下で、TVやネット記事等をみていると、考え方や生活状況の違い等よる「違い」が対立や分断を引き起こされていて、とても悲しく、嫌な気分になりますね。不安な気持ちや思いは一緒なはずなのに。本当はもっとうまくつながれると思うのです。

代表広石の過去のメルマガから、ピッタリのコラムを見つけたので、ご紹介させていただきます。
                         (事務局:新村)

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「違う」という絶望があるから、つながれる


「どうして同じようにしてくれないの?」「どうして同じようにできないの?」

日々の仕事の中で、暮らしの中で、誰かと一緒に何かをしようとすると、そう感じることは 少なくないでしょう。特に「そうですね」と合意して始まった時には、なおさらです。

エンパブリックも運営方法を変えたり、新しい人が入ったりすると、「なんで?」と思うできごとが多くなってしまいます。

新しいやり方を伝え、相手がわかったといっても、実際にやってみると動き方が変わらない。

そんな時、やはり「え?」と感じます。

誰もに「自分のやり方」があって、知らぬ間に、そこに帰っていきがちです。「こんな小さな会社でもそうなんだから、組織改革、風土改革って難しいよな」と妙に納得もしてしまいます。

異文化コミュニケーションについて、ミルトン・ベネットは2つのC(culture:文化)があるといいます。

Big Cは建物、食生活など外から見てわかる客観文化。それに対してSmall cは、行動や信念,価値観などがやっていく上でパターン化され、不文律の行動規範となっている主観文化。

例えば、挨拶だったり、話の反応の仕方だったりの習慣です。

そして、多くの異文化トラブルは「small c」で起きる。

なぜなら、建物のように見て違うと違うことを前提に考えるが、自分が自然な習慣としてやっていることは、つい他人も同様にやっているはずだと考えてしまうから、ストレスが溜まりやすいのです。

人は不思議なもので、相手が同じだと考えると、違うことが目につき、相手にいらつく。しかし、相手が違うと考えると、同じところがあると嬉しくなって、つながれる。

先日、墨田区での講座にゲスト講師でお越しいただいた住中浩史さんは「価値観が多様な今日、日本人同士でも、他人と自分は違う。簡単にはつながれないという絶望から始めた方がいい。つながれないと絶望するから、つながるための努力と発明に取り組むことができる」と話されていました。

組織改革でも、地域づくりでも、チーム運営でも「わかってくれない」と嘆いたり、相手を責めたりするより、相手と自分は違うという絶望から始めることがなのでしょう。

協働やダイバーシティ推進は、決定的に異なる者同士が、違うからこそ向き合える。私たちは、それを大切にプログラムを提供していきたいと肝に銘じています。
                     
                     エンパブリック代表 広石
                     (2014年8月12日記)

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このコラムから、他人と自分は違うと自分自身が受け入れること。すべて他人ではなく、自分自身の問題だったりするんだなと私自身色々考えさせられました。今のような状況下だからこそ、皆がこういった気持ちを持って人と繋がっていくことがこれからの社会に結びついていく、本当に大切なことだなと思います。(事務局 新村)



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