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「個人は社会を良くできるのか?」ー広石コラムVol.35

先日社内でミーティングで、地域での活動もしているスタッフの話を聞く機会があり、そのパワフルさに圧倒されました。
活動の中で周りの人を完全に巻き込んでいる感(もちろん良い意味で)が満載で、楽しく活動している姿に人は魅了されてついてくるのだなとつくづく思いました。そして個人から小さく始まった事が、こうやって大きくなっていき、気付いたら社会に変化をもたらしているのだなと考えさせられました。話を聞いていて、このコラムを思い出したのでご紹介します!(事務局新村)
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今、私は大学で、「ソーシャルビジネス」「サステナビリティ&ビジネス」の授業を持っています。それらのテーマの前提には「個人は社会を良くできる」という考え方があります。・・・とは言うものの、果たして「個人は社会を良くできる」というのは本当なのでしょうか?

そこで、学生たちに、次のようなテーマでグループでのディベートをしてもらっています。
ー<テーマ>ーーーーーーーーーーーーー
あなたの友人がこう言っています。「社会を良くする、世界を変える」と言っても、個人のできることは、とても小さい。家族や友人を幸せにすることはできても、すごく偉い人や有名人や特殊な人を除けば、一個人が社会を良くしたり、世界を変えたりするなんて無理だ。」この言葉に賛同する人、反発する人で意見が割れました。あなたは、どう考えますか?
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みなさんなら、どう考えますか?このテーマを基に、賛成、反対の立場に分かれてディベートし、その後、立場を変えて再度、ディベートするのです。

この議論のポイントは、両方の立場から話してもらうことにあり、そして、ディベート後に「個人は社会を良くできる」の賛成・反対の分かれ目はどこから生じるのか、考えてもらうのです。その分かれ目について考えてもらうと、

・性善説か性悪説か
・ 個人の意思をどれほど信用するか
・人は自発的に動くのか、結局お金なのか  
・SNSを信頼するのか

といった興味深い意見が出てくるのですが、行きつくところは「個人」「社会」「良くする」の定義の違いが影響する
ということです。何より、学生には「・・・は無理」と言う言説について、その前提にはどのような捉え方、定義があるのか、考えてほしいですし、一つに決めつけないで、多面的に考える批判精神を持ってほしいと思います。

そのような話をしている中で、ある学生が「自分が社会の構成員であると認識している人は、社会を変えれると考えている」と述べてくれました。ここが大きなポイントであると、私は考えています。「社会」を機構・制度として捉え、「個人」とは別のもの、社会は個人の上位構造のように捉えると、巨大な社会を、小さな個人が変えれるとは思いにくくなります。しかし、英語の「Social」が「人と人のつながり」も意味するように、「社会」は、あくまでも「個人」のつながりであり、個人は相互に影響を与えあうことができる、と考えると、個人の起こす変化は、個人によって構成されている社会を変えることができる、と考えることができるでしょう。

リオタールは「ポストモダンの条件」で、

イデオロギーのような大きな物語の時代が終わったとした後に、「自己はちっぽけで取るに足らない存在かもしれないが、無力ではない。自己はネットワークの結び目にあり、お互いにメッセージをやり取りすることで、自らの位置を動かすことができる」

と述べました。結び目が動くことで、網全体も動くのです。リオタールのこの言葉との出会いは、20年前に私が社会起業家の育成を始めた原動力でもありました。

2020年代は、20世紀の経済社会をめぐる「大きな物語」が次にシフトしていく時代です。どのような世界になるのか、正解はありません。だからこそ、対話が大切になります。結び目を分断せず、メッセージを多数やり取りし、個々が揺れ動くことで、「ここに固定されているしかない」と思っていた人が、「動ける」と感じ、そして、その人にとって、つながっている人にとって、より幸せな場所に動けるような対話が大切だと考えています。

そのような場が広がっていく令和の時代を、少しでもお手伝いできればと考えています。
                           代表 広石拓司
                        (2019年5月31日記)
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「自分を社会の構成員として考える」という言葉は、自分1人の存在の責任ようなものを感じます。たかが1人だけど、されど1人。社会は個人のつながりと考えたら、こうなったらいいな。も実現出来るのだなと思いました。逆に世の中に不満に思っている部分がそのままなのは、自分の責任でもあると考えさせられます。社会の1員として、少しでも心地よさが増える世の中にしていきたいですね。(新村)

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