誰のリアルかわからないままでいたくない


環境、もといその人が見ているものは、思想をはじめとしたその人を形成する要因となる。


今はひとりひとつのスマートフォンを所持する社会となっていて、豊富なインターネットサービスやそれぞれの表現に特化された多様なSNSも存在する。その結果、自分のリアルを他者のリアルのように、他者のリアルを自分のリアルのように共有することのできる世の中になった。

しかし、他者のリアルを自身のリアルと認識していいというわけでは決して無い。


レンズを通して見るように、他者の目を身体を通して感じたことを、真実かどうかも考える頭無しに、さも自身が目の前にした現実と認識する。それを自分が体験して得た知識と混雑させてしまうのは、あまりに身の程知らずに感じる。

他者のリアルが自分のリアルと一致するとは限らない。
まして聞いただけの経験など、自身には何も力になってくれやしない。


一歩も動かず画面を見つめるだけで、社会を見ているのだと傲る人間にならないために。

自分の身体を通して得た経験ほど、自身のためになるものはそうそう無いのだろう。




私も、いろんなコミュニケーションツールを通して、いろんな人の経験を疑似体験してきました。そのおかげで色々表面的な知識になったことも事実です。

…なんか、たまに思想強めになるときがありますね僕。

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