傷が癒えて。

気が付くと書くのを忘れてしまうから良くない。また1日すっぽかしてしまった。そして、自分の書いた文章や、それらへの感想等を読み返していた。

一時期、私は、自分が書いた文章への嫌がらせや、ある意味真っ当な批判等を経て、自分の文章を読み返したり、感想を読み返したりする事が怖くなってしまっていた。noteを始める前に起きた事で、未だに引き摺っている。

書いた文章への嫌がらせというのは、私が書いた言葉を丸ごと使って、まるで自分が考えた言葉かのように振り回しながら、嫌味を言って来たり、私の書いた文章のタイトルをもじって記事を書いて、「タイトル、ダサいですよね笑」なんて言ってきたり、そんな事を繰り返しながらも私と仲が良い様に振舞って来たりされた事だ。

私が文章を書いて記事にした相手のファンなのにも関わらず、相手の名前を悪意で使って、私を傷付けようとしてきた人もいる。人を悪意で傷付けるのに、仮にもファンとして応援している相手の名前を使おうなどというのは、どういった了見だろうか。好きじゃないのか、その人の事。検索に引っかかって、相手の事を傷付けてしまったら、どうするつもりだったのだろう。

私の書いたものを、タグを付けて悪意の編集をして、人前に晒してきた人も居た。それこそ、その文章を書いて寄稿した相手のファンが、だ。相手の関係者が傷付くだろう、と考えて、私は許可を取って本文を消した。

明らかに私の事が嫌いでそうしたやり方をしてきた人達だったので、文章自体が良くないという訳ではない様だった。お陰で私は、相手様に迷惑を掛けない為に、文筆の界隈から逃げてしまったのである。こうした話は、片方の話だけを聞いていると偏るので、まあ私から見てそういう話だったのだと話半分に受け止めて欲しい。文章の書き方も、読み辛い漢字の多い文章へと、シフトチェンジせざるを得なくなってしまった。

逃げて来てから、恐ろしくて、苦しくて、毎日涙が止まらなかった。あんなに好きだったものを、手放してしまったのである。感情にバグが生まれて、胸が痛くてたまらなかった。

それを今日、ようやく読み返せたのだ。理由は何故だか分からない。今日は特に沢山泣いて、苦しんだ日だった。それでも、「私はこんなに書く事が好きで、こんなに記事を書いてた界隈が好きだったんだ」と、気付けた。

日にち薬というより、沢山泣く事が大事だったのかもしれない。そう思い、今日も大好きな文字書きを続ける為に、筆を執る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?