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劣等感

どうして他人と普通の話をして笑ったり、仲良くなったりできないのか。

どうして他人のように、まっとうな仕事に就けないのか。

どうして他人のように、結婚や出産ができなかったのか。

「私は人より劣っているから仕方ない」

「私は愛されないから仕方ない」

ずっとそう思っていました。

ずっとそう思っていると、ついには他人を憎むようになりました。

他人の粗を探すようになりました。

他人が自分をどう思っているか(馬鹿にしてないか)が

常に気になりました。

昨年職場で起こしたトラブルがきっかけに病院に行くことになり、

「自閉症スペクトラム障害」「学習障害」の診断を受けました。

病院の先生がこの障害のことを

「左利きの人と同じくらいの数の同じような人がいるよ。個性だからね」と

私に説明してくださいました。

ホッとした反面、帰り道「障害」という言葉が胸にずっしりと来ました。

母にはこんな「出来損ない」を生んだと思ってほしくない、と

黙っていました。(今はあることがきっかけでばれてしまいました。)

今までの自分を振り返っただけでも、十分親不孝なのに言えないと。

でも、「出来損ない」・・ひどい言葉だ。

自分にこんな言葉を向けるという事は

他人のこともそうやってジャッジしてきたんじゃないか?

・・・そうじゃありません。私は常に他人を見上げて生きてきたからです。

自分より他人の方が偉いと思って生きてきました。

自尊心はズタズタと傷つきっぱなしで、

だから他人の評価が気になるのでした。

人が怖くて、仕事ができなくて、

ちゃんとした就職をあきらめ、今は工場ではたらいている。

人が怖くて、人とちゃんと向き合えなくて、結婚もできなかった。

子供も産めなかった。

でも、私は、とても頑張って生きてきました。私なりには頑張って生きた。

出来ないから、人より、おそらく細かい事に神経を張りつめていた。

・・・自閉症?ショックだけれど、まあ

出来ないなりに頑張ってきたのだなあ・・

私は、出来ないんだ。他人が怖いのは仕方なかったんだ。

人より覚えが悪いし理解力もないんだ、それは、仕方なかったんだ。

不器用で、他人と仲良くなれなかった。仕方なかったんだ。

一生懸命愛されるよう自分なりに努めてきたけど、無理だったんだ。

でも、こんな私がいるから誰かに安心してもらえることもあるかもしれないな。

何かができるから生きてていいよ、ではなくて、

なんにもできなくても、生きていていいよと人に言いたいし、

自分にも言いたい。私は人より劣っているわけではなかったのだ。

ちょっと変わっているだけだった。もう周りを見上げるのはやめていこう。

どんなに社会的に偉い人でも。どんなに魅力的な人でも。

社会的に普通に自然体に生きている人を見ても、

必要以上に見上げたりしないでいよう。

「こんな私」に私の役割が、たまにはあるはずだから。

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