見出し画像

理想がないと現実を素直に受け入れられる?~短大時代~

訪問をありがとうございます。

前回の記事で書いたとおり、高校生時代の私は、社会のことなど全く考えずに、毎日部活中心の世界で生きていました。
そんな中、顧問に進められた『介護福祉士』という職業を目指しての進学。
今日は、介護のかの字もよく知らなかった私の短大生時代について書きます。

1.思いがないから吸収できた学生時代

私が進学した年は1995年だったのですが、この年は阪神淡路大震災のあった年です。
1992年頃から社会をバブル崩壊による不穏な空気が包みつつ、それに気づかないフリをしながら過ごしていた中での阪神淡路大震災。
この出来事は、大きなショックとともに様々なことを教えてくれました。

そんな中の進学だったのですが、そもそも私、介護というものを全く経験したことはもちろん、見聞きしたことすらなかったのです。
全国から集まっている仲間が、自己紹介の中で次々と自身の介護体験を話す中、私は一人で固まりつつこんなことを考えていました。

『これ、就職試験の面談ですか・・・???』

介護という専門性の高い学部だからかもしれませんが、そのくらいクラスの仲間は意識が高かったのです。
まさか、『人として当たり前のことをしてお金がもらえる仕事』というなんとも怪しそうだけど魅力ある言葉に惹かれてフラフラ来たとか、専門学校への進学は認めてくれなかった両親とのバトルで、県内に唯一ある介護福祉士学科のある短大がここしかなかったからとか、そんなことを言える雰囲気ではありませんでした。
結局、自己紹介の際は、『これからの超高齢社会を見据えて~』みたいなことを、もっともらしく話した記憶がウッスラあります。

そんな形で始まった学生生活でしたが、介護というものに特別な思い入れも前知識もないぶん、乾いたスポンジが水を吸収するがごとく、学ぶことはすべてが目新しく、素直に吸収することができました。
今、振り返ると、これはよかったと感じています。

興味のあることにはトコトン深堀するオタク気質の私は、ここでの2年間で実にたくさんのことを吸収し、仲間と意見交換をすることで、介護というものを多角的に学ぶことができました(高齢者からの視点、介護する家族の視点やその家族の子どもからの視点、仕事として介護を行う側の視点、社会からの視点、etc)。
あの環境はとても素晴らしく、今でも教授や仲間には感謝しかありません。


2.実習先でやらかす

そんな中、2年生になると学びを踏まえて実習に数回出たわけですが、実習先の1つでやらかしてしまうわけです・・・モメゴトを。

今でこそ、人権とか尊厳とかが介護の業界でも当たり前になっていますが、時代は介護保険も始まっていない(もとい、介護保険法が国会でも成立していない)時代。
オマケに、介護福祉士という資格は1987年にできたものだから、それ以前には専門の学校というものすらありませんでした。
そのため、高齢者施設に勤める方々は、実に様々な背景を抱えて就労しており、全員が介護の理念やらなんやらを遵守しているわけではない状況だったわけで。

私が体験した施設は3か所でしたが、2か所の施設はたくさんの学びや気づきをくれました。
が、1か所の施設は、今で言う高齢者虐待が当たり前に横行している施設だったのです。

社会にはいろんな人がいるわけで、親切な人もいれば意地悪な人もいます。
そのこと自体はなんとも思わないのですが、私のスイッチが入ったのは、明らかな力関係が高齢者との間にある状況で、今で言う虐待行為満載の介護をしている職員を、誰も指導することなく放置していたことです。
多数の職員がいる中で、意地悪な人がいるのもしょうがない。
しかし、施設がそれ(虐待)を受け入れ放置しているのは違うだろう、と。

そんなわけで、実習先職員の不適切対応をすべてメモし、最終日の介護リーダーとの面談時に、今で言う虐待と思われる職員の言動について、一つひとつ淡々と問いました(リーダーの人格を攻撃したわけではなく、起きた状況に対しての質問です)。
『このような介護を職員が行っていることはご存じでしょうか?』
『この職員の言動はどういう意図があったのでしょうか?』
『施設としては職員の言動について、どういう指導をされているのでしょうか?』
『職員を指導できずに“仕方ない”で済ませるリーダーの存在価値は何ですか?』
『貴施設は介護実習生の受け入れを行っていますが、一体、何を教えようとされているのでしょうか?私はここで何を学べばよかったのでしょうか?』
etc

間違いは誰にでもある。
大切なのは、その状況に対する施設側の対応です。
私は別に崇高な理想を掲げているとか大層なものではなく、閉鎖的な空間だからこそ、おかしいと思ったことをなぁなぁにして済ませることに抵抗があったのです。
淡々と質問を重ねる私が嫌だったらしく、最終的には施設長も出てきて話をしましたが、終始『仕方ない』で済まされたことは残念だったのを記憶しています(責めているのではなく、なぜ現状を知りながら改善しようとしないのかに疑問を感じていたのですが、返答はもらえなかったわけです)。


3.『だったらあなたが変えなさい』という言葉

後日、担任に実習の報告をしながら虐待の現状について話をし、『いくら感情労働だから大変と言っても、私は虐待をみて見ぬふりする業界で仕事できるとは思えないなぁ』と伝えました。

で、返ってきた言葉が、
『当たり前に虐待が横行している施設がある現状も踏まえて、これが今の日本の介護状況です。それに納得ができないなら、あなたが介護の業界を変えていきなさい』
でした。

その後、担任は自身の経験を踏まえ教育者に落ち着いた経緯を話してくれました。
そして、『あと3年・・・2000年に介護保険が始まった時、業界は本当の意味で変わり始めるだろうから、それまでは、あなたがお手本にしたい人を見つけて、その人から介護を学びなさい』と言われました。

同時に、お手本になる人も反面教師になる人も含め、介護の現状を知り、自分の感覚を絶対視することなく、現場の人間で意見交換をしながら落としどころを擦り合わせて改善できる部分は改善しなさいと言われました。
こういう話を真剣にしてくれる先生がいたことは、本当にありがたかったと思います。


2年間で様々な介護の知識や技術を学びつつ、実習という場所で現状を知った私ですが、担任のアドバイスに沿い『とりあえず3年間は介護の経験を積もう』と決め、『どうせなら、少しでも風通しのよい職場で働きたい』と考えながら就職活動を行い、新設の老人保健施設での勤務を決めたのですが、その話は次回以降書きます。

最後までお読みいただきありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?