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VEJAのストーリーつきスニーカーを買いました

神宮前にある靴屋に行った。

数少ないVEJAの取扱店舗

ここ2年ほど、VEJA(ヴェジャ)というブランドのスニーカーを愛用している。以前、買ったものも履き心地が良く、デザインもシンプルで、すっかり気に入ったので、今回、2足目を購入した。

VEJAとは

このブランドを知ったきっかけは、メディアでマルクス・ガブリエルさんが紹介していたからだった。

VEJAは、ブランドポリシーとして、徹底した「環境保全、フェアトレード、広告不使用」を掲げている。

環境保全 ‥ 製造過程でのCO2排出量の削減、および、リサイクル素材の使用を推し進めている。生産活動だけでなく、輸送や販売店、オフィス運営など、企業活動全域においてCO2削減を実践している。(空輸を使わない、など)

フェアトレード ‥ フェアトレードは、貿易の仕組みのひとつ。途上国の生産者や労働者が作る原料を「立場を利用して、安く買い叩くのを防ぐ」取り組みのことだ。VEJAは中間業者を経ることなく、原料の綿花やゴムの生産者と直接取引し、市場価格の倍以上の代金をあえて払っている。

広告不使用 ‥ VEJAはスニーカーを一切宣伝しないことでコストを下げ、その余剰を、原材料の生産者に還元している。

一般にスニーカーブランドの経費は、なんと70%が広告宣伝費だそうだ。広告塔になるモデルや、アスリートへのギャランティーも含めるとそうなる。現に2023年現在、世界で最も裕福なスポーツ選手はマイケル・ジョーダンで、その資産は約5000億円と言われているが、その収入の多くはナイキが支払ったものだ。

広告に対し、VEJAは、こう公言している。

現実こそすべて、夢はいらない

広告やマーケティングをやめ、ブランドアンバサダーや看板をなくすことは、フィクションではないリアリティに投資することを意味します。リアリティとは、生産チェーンをバックアップして見直し、変えてゆくこと。

VEJA公式サイトより引用

VEJAは、もともと環境問題を取り扱うNGOを前身として発足し、「サステナブルな商品を作りたい」という志から企業活動を始めた。彼らは来年で、ブランド創設20周年になるそうだが、その間も、多くの人の支持を受け、年々生産量を増やしてきた。広告を打つことなく、その輪は広がっている。

こういった企業活動を支持し、商品を購入する人たちの消費行動を「エシカル消費」と呼ぶ単純な商品の良しあしだけでなく、企業の理念や活動主旨に賛同するから買う。現代において、お金は、選挙での投票と同じ役割を持っている。自分の財産を、どこに払うかによって、自身の理念を表明できる。

ストーリーつきのスニーカー

志を持ち、倫理的なマインドでVEJAのスニーカーを選んでいる顧客たちは、素晴らしいな‥と思いつつ、私自身、胸に手を当て、正直な感情をいうなら、私の志はもう少し低い。あけすけに言葉にするなら「エシカル消費をする自分を、進歩的でかっこいいと思う陶酔」だ。私の購買行動は、フィクションから脱却できたわけではないと思う。

私も含め、多くの人は、商品を購入するとき、品質だけでなく、そこから「ストーリー」を読み取り、それも含めて購入している。スニーカーのエアジョーダンを買う人は、ジョーダンがチームを三連覇に導いた伝説的活躍のストーリーを知っている。そして、その靴を履けば、自分がまるでマイケル・ジョーダンを一部を借りてきて味方につけたような気分になれる。履くことで、自分とジョーダンの間に、接点が生まれる。

そのように「スニーカーが物語を背負って売られている」という意味でいうなら、私にとって、ブラジルの農家を守るスニーカーブランドへの賛辞と、ジョーダンへの憧れに、大きな差はない。どちらもヒロイックで、かっこよく見える。

そして私の足元からの距離感でいえば、両方とも充分に遠い。スニーカーブランドも、ジョーダンも、私の日々と無縁で、想像上にしかないという意味では、どちらもフィクションのようなものだ。

社会人として年月を重ねた私が陶酔しやすい対象は、いまやスポーツ選手の物語ではなく、フェアトレードや環境保全の物語に移っている、というだけだ。私の、根本的な心持ち自体は、あまり変わっていないように思う。

極論をいえば、VEJAが志を果たしきれず、フェアトレードや環境保全が不完全だったとしても、それでブランドに幻滅したりはしない。彼らは本気で信じ、最善を尽くそうとしたのだろう。過程に嘘がなければ、結果はどっちだっていい、とすらいえる。マイケル・ジョーダンがブザービーターを外したからと言って、持っているエアジョーダンを捨てたりはしない。それと同じだ。

商品が提供してくれるストーリーは、ただのまやかしではない。ストーリーは、買うと、日々の生活において、心が豊かになる実際的な効能を持っている。

私たちは、ストーリーの中を生きている

すでによく語られている論説かもしれないが、私たち現代人は、日々の多くの時間を、ストーリーの中で過ごしている。

靴に同封されていたリーフレット

エコロジスト、ミニマリスト、ストイック、美しい私、博識、ビジネスエリート、フォロアーが多い人気者、村のキーマン、アーティスティックな感性、リベラル、友だちを大事にする人、論客、話が面白い人、教室の中心、イクメン、見る目が肥えた人、起業家マインド‥

私たちは、なんらか自己投影し、陶酔できるストーリーをもらってきて、それを護符のように我が身に貼りつけながら生きている。そして、その護符にふさわしい自分を演じるうち、自分のエゴも、そのストーリーに取り込まれて、一体化していく。価値観も、ストーリーに合わせて変わる。

その様を「自分を良く見せようとして、イキっている」と冷笑的に茶化すことも簡単だろうが、だとすれば、ほとんどの人は、常に、大なり小なりイキっていることになる。素体の自分から、ちょっとは着飾った状態を、自分だと標榜している。社会に生きる人間とは、大抵そういうものだ。

昔から、人間はストーリーをまとって暮らしている。社会が持つ困難や残酷さ、孤独を、ストーリーの緩衝なしに、丸腰で受け止めるのが辛いからだ。ほんの百年程度前までは、宗教がストーリーの提供者を主に担っていた。土地ごとに伝わる聖典が、暮らしの意義やその世界体系、各人の存在価値を与えてくれていた。だが、多くの現代人にとって、その実効力が損なわれた今、現代人は自分たちでストーリーを収集し、各自で再構築する必要ができた。ストーリーは自由選択式になり、私たちは日々、複数のストーリーを乗り継ぎながら、なんとか生きている。

ストーリーは、ときに商品やサービスという形態で、私たちにもたらされている。食べ物、衣服、車や時計、家、書籍、音楽、映画、アート、どんな商品を買うにしても、ストーリーや、それに似た付帯的情報を、ワンセットで受け取っている。そのとき、私たち消費者は経済合理性以外の評価基準をもって判断している。「そのストーリーが、自分の誇りを満足させるか」かどうかに敏感だ。他人から見て本当に価値が高い必要はない。あくまで自分のプライドを充足させるために、お金を払う。

たとえば「何を食べ、何を食べないか」の意思決定には、多くのストーリーが行き交う。私は有機栽培の野菜を味で判別できないし、その健康効果に関する論文も読んでいないが、有機栽培がもたらすポジティブなストーリーには、なんとなく好感を持っているから、なんとなくお金を多めに払う。そして「有機野菜を食べる私」を誇らしげに思い、満足する。

ファッションは言うまでもないし、場合によっては、書籍や映画を選ぶときも「その本の魅力を理解できる感性を、誇らしく思う」という見栄が、裏に通っているかもしれない。かっこつけるための読書。その気持ちが全くないとは言い切れない。

寄付ですら、そうだ。私はたまに寄付をするが、それは、ただの贈与ではない。お金を払って、ストーリーを買っている。「寄付を受けた人が報われる。そして、それを喜び共感できる自分」というストーリーを受け取り、自分の誇りに付け加えている。

* * *

商品化されやすいストーリーの主流2派は、「競争を源にしたマッチョな物語」と「私らしさの表現を主題にした物語」だと思う。マッチョな物語は、資本主義と相性がよく、自己陶酔もしやすくて人気だ。仕事ができて、優秀な人間だと自分を陶酔させるために、人は多くの買い物をしている。その護符には「ビジネスパーソン必携」という売り文句が書かれている。

また、マッチョな物語に疲れた人は「私らしさ」の物語が、優しく受け入れてくれる。多くの人が、自分の日々をSNSにつづるのは、私らしい物語を記録するアルバムとしてうってつけだからだ。また、占い師が、相談者と話すだけで高額なギャランティを受け取れるのは、悩める者に対し、超常的で強固な「私らしい物語」を付与してくれるからだろう。

ストーリーを与えられると、人は自信を持ち、躍動的になる。まやかしではなく、そこには効能がある。送り手と受け手、当人同士にメリットがあり、取引が成立しているなら、問題はない。

また、SDGs推進など社会問題解決のために、ストーリーの効果を利用するのは、正しい行いだと思っている。VEJAを始めとして、社会問題や環境問題に取り組む人々がサービス提供者として、顧客に魅力的なストーリーを提供し、そこで得た収益を社会貢献のために使うのなら、それは正しい。適切な物語を提供することで、人々の購買行動を正しい方向に導けるなら、やるべきだ。(かつては宗教だって、そういう役目を果たしていた)

現に、スニーカーを買った私の自己陶酔的な動機はどうあれ、私の払った代金は、裕福なバスケ選手の懐には入らず、ブラジルのゴム農家の生活を潤わせる。それは、素晴らしいことだ。

VEJAは、応援したくなるサステナブルなストーリーを背負っており、それと呼応するように、スニーカーのデザインはシンプルで美しい。ストーリーとプロダクトデザインが、よく似合っている。これは見習いたい。環境問題や社会問題に取り組む人は、賛同者を集めるために、まずは「美しい物語と、美しいデザイン」をまとうといいのだろう。取り組み全体を美しいと思わせることは、とても有効だ。

ゲームという商品が提供するストーリー

その観点で、テレビゲームという商品を見てみよう。

テレビゲームは、人を楽しませるためにある。いつも享楽的で、プレイヤーの欲求に忠実だ。なので、それ以外の効能は、あまり意識されていない。それもあってか、プレイヤーは「ゲームをやってることが後ろめたい、恥ずかしい」という感情を背負っていることも多い。

※その冷たい目線の発信者が周囲に実在するかはさておき、その目線を浴びていると感じているゲームファンは多いだろう。

現に、ゲームの趣味はいまだ、キャンプや料理の趣味より、他人に言いづらい。言っていいかは、相手を選ぶ。履歴書には書かない人も多いだろう。これは、ゲームという商品が「ストーリーの提供をし足りていない」ことを示している。(私も含め、ゲーム開発者の多くは、正直なところ、ここに頓着がないのも理由にある。開発者本人はゲームが臆面もなく好きだし、周りもゲーム好きに囲まれているから、感覚が鈍りやすい)

実際のところ、ゲームという趣味は「楽しい」以外にも、良い効果がたくさんある。子供はゲームを介して、友だちができるきっかけになりやすいし、ほとんどのゲームは思考力と瞬発性を鍛えるし、指をすごく駆使するので、脳を活性化させる。おそらく子供の知能発達にとっては良い。また、ジャンルによって、歴史や地理を学ぶのにも有効だろう。(いったん子供に限定したが、大人でも同じだとは思う)教育的側面以外にも長所はたくさんある。

もちろん、ゲームの負の側面も、一方で存在する。依存的、非倫理的表現、インドアで不健康、惰性で繰り返して頭を使わなくなる‥。それらは際立って喧伝されている。(ゲームに限らず、いかなる趣味でも、惰性でだらだらと繰り返したら、頭を使わない状態になる。そうなったら、もう続けない方が良い。…当たり前の話だが、ゲームは、ことさら槍玉にあげられやすい)

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ゲームの歴史を振り返ると、ストーリーの力をうまく活かした、天才的なプロデュースが一点、光る。「脳トレ」だ。

任天堂公式サイト「脳を鍛える大人のDSトレーニング」より引用

遊ぶほど、脳が活性化することがウリの本作。

ミニゲームと国語算数パズルを集めた、楽しいゲームを提供し、そのゲームの結果画面に出たスコアを「脳年齢」と読み替えたのは、見事としかいいようがない。ゲームが上手くなると、脳が若返ったように感じる。なんて耳障りの良いストーリーだろう。今でこそ、このアプローチも、ある程度、見慣れた感もあるが、2005年の空気で、これを発明した人には感服だ。プレイヤー心理の理解が深い。

もともと、ほとんど全てのゲームは、プレイすることで、大なり小なり前頭前野を鍛えられるのだろう。だが「脳トレ」はそれを、エビデンスを添えて、消費者から分かりやすく見える形にしたのが素晴らしいのだ。

その後も、ゲームがもたらす新たなストーリー提供については、任天堂だけが戦い続けている。Wii Fitやリングフィットアドベンチャーではまた、別のストーリーを立ち上げたし、もっといえば、Wii以降のニンテンドーハードは、ゲームがもたらす「団らんの光景」を、テレビCMなどで演出している。

<ニンテンドースイッチのテレビCM>

これも、広く言えばストーリー提供だ。(そして、ストーリーが先導する形で、日本のどこかの居間では、この夏、この光景が実現したかもしれない)

* * *

この先を考えよう。いつかきっと現れる。大人も「プレイすることが、かっこいい」という物語を、見事に背負いきったゲームが。

それは「プレイしても、かっこ悪くない」という程度に収まらない。「プレイする方が、しないよりも、かっこいいゲーム」だ。今は影も形もないが、出てきた瞬間に、それが正解であることが分かるだろう。

そこで初めて、気づくのは悔しい。なので、今のうちに、ある程度は考え始めたい。それは一体、どんなゲームなのだろう?VEJAのスニーカーから、何か学べるだろうか。

(了)

【参考文献】

VEJAの歴史
https://www.esquire.com/jp/fashion/fashion-feature/a41796584/veja-sneaker-brand-history/

マルクス・ガブリエル
https://www.vogue.co.jp/change/article/markus-gabriel-interview

マイケル・ジョーダン
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-08-24/RZWCHZT0AFB401

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