英語を、あきらめる
先月、ChatGPTに新機能が追加され、音声でAIと対話できるようになった。
AIである彼女は、世界中の言語に堪能だ。英会話の練習相手としても、非常に都合がいい。半年前に「英会話レッスンも、遅かれ早かれAI講師に置き換わる」と言っていたが、早くも実現した。
AIは、なんといっても、気を遣う必要がないのがいい。夜中でも早朝でも、眉ひとつ動かさず、相手をしてくれる。(眉がないのがいい)
英会話コーチング
それとは別に、夏から、3か月のあいだ「プログリット」というビジネス英語のパーソナルコーチングを受講していた。毎日3時間、英語のトレーニングに取り組んだ結果、VERSANTのスコアが、7点上がった。(37点→44点)
VERSANTというのはTOEICのような、英会話力を図るテストのひとつだ。本当のコミュニケーション力を図る試験とされ『海外留学に1ヶ月行って、やっと1点あがる』と言われるほど高難易度だそうだ。
VERSANTは80点満点のテストで、以下がスコアの目安とされている。
・38点:日本人受験者の平均
・47点:海外赴任可能な最低水準
・58点:英語でビジネスができる
・69点:ネイティブと対等に議論ができる
私のスコア、44点は「もうひと頑張りすると、海外赴任できる」という程度だ。元のスコアが低いとはいえ、3か月、日本にいながら、海外留学7か月分に相当するスコアアップができたのだから、悪くない。当初目標は、期間中の6点アップだったが、それを超えられたのは満足感がある。もともと苦手意識が強かった英語も、この間に、多少は親しみが湧いたと思う。苦手だったものを克服する、人生の伏線回収の旅路としては上々の成果だ。
ここ3か月の暮らしは、この動画とほぼ同じだ↓
PIVOTの国山ハセンさんが、プログリットのトレーニングを体験する動画。これを見れば、一日3時間の英語学習に苦しむ様を想像していただけるだろう。
※余談だが、この3か月、この動画に、ずいぶん励まされた。国山ハセンさんが、トレーニングのきつさに、ちゃんと泣き言をいうところがいい
英語のシャドウイング(リスニング訓練の発展形)を日々やり、加えて、毎週のように、単語テストや文法テストに挑んだ。語彙や文法力は、学習時間を費やした分だけ、どんどん伸びていく。年齢を重ねても、記憶力が落ちていないのは幸いした。一方で、リスニング能力については、やはり一朝一夕では伸びないなとも実感した。
英語を、あきらめる
私は、本格的に英語を学ぶのは、これで終えるつもりでいる。英語をさらに上達させるのは、あきらめる。その必要性が薄いからだ。
AI翻訳の進歩は著しい。現時点でも、DeepLやGoogle翻訳があれば、仕事では大して困らない。それで学習時間が大きく浮くのなら、その恩恵を受けない理由はない。AIによる効率化は、既存業務の代替だけではなく、学習コストの削減にも使うべきだ。覚える必要がなくなる、というのは大きい。
この3か月の学習は、スコアアタック競技としては満足いく結果だった。当初目標を超えた。もう十分だ。今なら、英語圏の人を相手に、悪くない印象を与える程度の世間話ならもうできる。英語字幕を出しながらであれば、実写版ワンピースぐらいなら観られる。それ以上の英語力は、日常で使わない。
VERSANT44点は、ビジネスでの使用を考えると、中途半端な実力だ。通訳なしで、ネイティブと会議をするのは、まだ厳しい。非常にもったいないラインだ。せめて47点程度まで上げれば、仕事で日常的に使いうるレベルになり、そうなれば使用機会が増えて、さらに語学力が伸びる‥という好循環に入り始めるのに。残念ながら、今はその一歩手前だ。
だが一方で、ここまで自分の足で実際に歩んだことにより、この先、どのぐらいの労を払えば理想形にたどり着けるのかも、ある程度、予測できるようになってしまった。このあと払う労力は、けっして少なくはない。英語は、火急に必要ではないし、代替手段もある。その能力獲得に対して、割く時間コストとしては高すぎる。引き返すなら今だ。
学習をやめると、みるみる力は落ちるだろう。短期間で急速に培ったものは、離れたら、失われていくのもまた早い‥と、山王戦で、誰かが言っていたっけ。それを考えると惜しい。だが、固執してはいけない。最も貴重な資源は、時間だ。人生は伏線回収の旅だが、かつての宿敵を、地獄の底まで執拗に追う必要はない。
英語を学ぶメリット
「英語を学ぶと、単に語学技術の習得だけではなく、学ぶ過程で、異国の文化を知り、国際社会への理解が深められる。だから語学は有意義だ」という論を、よく見る。ただ、もう一方で「英語を習得するためには、異文化を理解することが重要だ」という論説も、よく見る。語学習得と異文化理解。どちらが目的で、どちらが手段なのかは、つど変わり、曖昧だ。もちろん、どちらの論も、かつては真実だったのだろう。これまでは、両者が切り離せないものだったから。
ただ、これからは違う。これからは語学習得を経ずに、直接、異文化だけを学びやすくなる。語学力を持たずとも、海外の情報に触れ、コミュニケーションを取れる。英語を一切使わず、英語圏に住むことすら可能になる。果ては、夫婦間で、互いの母国語を話せぬまま、翻訳ツールを介して暮らす人も現れ出すだろう。今は想像しにくいが、それすら、そんなに先の話ではないと思う。
ビジネスや学術研究など、専門領域のローカライズだけは、引き続き人間の仕事のままだろうが、それ以外は全てAIに置き換わるのかもしれない。その場合、人間の語学力は「他に専門分野がもうひとつある場合に、はじめて活きる」という能力になる。
これからは語学学習の意義に、曖昧な理由づけは叶わなくなる。生徒は、英語教師に尋ねる。「英語を学んで、何の意味があるんですか?」と。先生は、自分なりの答えを持っていた方がよさそうだ。タイパに敏感な若者に「ハリーポッターは原著で読まなければ、真のファンとは言えない」の一点張りで、モチベーションを与えるのは難しいだろう。かといって「将来は不要になるだろうけど、きっと君が受験する時点では、まだ科目のひとつだから、今は勉強した方がいいよ」という答えは、的を得ているとしても、できれば言わない方が良い。その瞬間、生徒の目から、輝きは失われてしまう。
* * *
語学習得に、手段としての価値が減ったとしても、今後も、レジャーとしての価値は残る。英語を学ぶ行為自体が、娯楽として、楽しい人は続ければいい。
漁師でなくとも、娯楽として釣りをする。アスリートでなくとも、スポーツはする。それと同じだ。英語に限らず、AIの発展によって「人間がやる必要はない」という頭脳労働は、これから増えていく。ほとんどのタスクは「楽しいから、やる」になっていく。それぞれの、娯楽としての価値はより際立っていくし、その価値が足りないタスクは淘汰されていくだろう。この価値を軽視してはいけない。
この3か月の英語学習の間も、楽しい瞬間はあった。かつてできなかったことが、できるようになるのは、なんであれ面白い。レジャーは、上達する過程が楽しい。上達した先の到達地点がどこかは、さほど大事ではない。
私は今日から、英語をあきらめる。だがプログリットの受講自体は、真剣に英語を学びたい人には効率的で、おすすめできる。コーチのアドバイスは親身かつ効果的だ。地獄の底へ向かう予定のある人はぜひ試してほしいし、そうでなくても、レジャー上達の手助けはしてくれるだろう。(彼らには、すごく世話になったし、商売の邪魔はしたくない)
* * *
私は、ChatGPTに語りかける。
<対訳>
私:AIの翻訳技術の発展は目覚ましい。だから、私がこれ以上、英語学習を続ける必要はない気がしている。英語をあきらめる決心ができる言葉を、私にかけてくれ。5ワード以内で頼む。
GPT:「AI翻訳は荒いだと?誰が気にする?」
私:だめだ、それだと逆効果だ。私は英語を諦めたいんだ。
GPT:「自分の道は、自分で選べ」
私:もっとユーモアの利いた表現はないか?
GPT:「なぜ言葉を話す?踊ればいい!」
私:パーフェクト。それだ。これからもよろしく。
英語は「実社会との接点」
この3か月、つくづく感じたが、英語は「実社会との接点」だ。だからこそ、否応なく従う必要がある。理不尽も多い。たとえば‥
「かなりの」を意味する副詞、いったい何個、覚えればいいんだ。appreciably、considerably、substantially‥、ほとんど全て一緒じゃないか。まとめて一個あれば済むのに。ホワイ、イングリッシュピーポー。
別の例。premiseは『前提』と『建物の構内』という2つの意味がある。語源を紐解くと、15世紀初頭までさかのぼる。当時、法的書類で、premiseは『前に述べたこと』の意味で使われていたが、遺書の文面などにおいて『前に述べたこと』は、家や建物を指すことが多かったため、転じて、premiseに『敷地付きの建物』の意味が生じたそうだ。
‥って一体なんなんだ?その語源、ただの誤解じゃないか。成り立ちの経緯は「ギガが減る」と同じだ。そんなのを本採用しないでほしい。
こんな風に、たびたび引っかかるが、それでも許容せざるを得ないのは、ひとえに「英語が、実在する言葉」だからだ。どんなに理不尽でも、反論しようがない。10億人が、すでに毎日、使っている。それに従うしかない。その無計画な言語体系が受け入れられないなら、エスペラントを学ぶしかない。
※エスペラント ‥ 19世紀に、ポーランドの医師ザメンホフが人為的に開発した、計画言語。初学の負荷を下げるために、文法が、かなりシンプルに整理されているらしい。
* * *
英語は、実社会との接点だ。英語をあきらめることは、これまでの実社会とのクラッチを切ることを、どこか象徴している気がする。英語をあきらめた私は、この世界とのつなぎ目をまたひとつ失い、さらに浮世離れしていく…、そんな気がする。ロスト・イン・トランスレーション。ちょうど良い機会だ。少し世から離れ、漂ってみるか。雨の日に、傘を投げ捨て、ずぶ濡れになってやったような解放感だ。
2023年、世界は今まさに転換するタイミングにある。次に向かう場所は、これまで通りの準備が通用しない。何も準備できないならば、せめて身軽な方がいい。
さあ、これを読んでいる貴方も、私と一緒に、英語をあきらめませんか?
【参考文献】
VERSANT
https://www.progrit.co.jp/about-progrit/
premiseの語源
https://imageeitango.com/word/premise
エスペラント
https://www.youtube.com/watch?v=Mmnv97R91Ns
https://ja.wikipedia.org/wiki/エスペラント
https://translate.google.co.jp/
※ちなみに先述の appreciably、considerably、substantially のエスペラント訳は aprezeble、konsiderinde、substance で、そのまま3種あった。エスペラントでも語彙はあまり簡略化されず、ヨーロッパ語をトレースしている様子
社会とのクラッチを切る
若林正恭(2017)「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」KADOKAWA
サポートも嬉しいですが、フォローしていただけるのが何より嬉しいです。よろしければ