一杯の酒

「扉がはずれてしまった。助けにきてくれませんか?」

S氏からの連絡だった。

玄関の扉がはずれる? ヒンジの扉、それも玄関のものがはずれるのは滅多にないだろう。引違い戸の扉なのか。

S氏の自宅へ行くのは初めてだった。S氏とは行きつけの立ち飲み屋で知り合い、同い年ということで意気投合したが、会うのはそこだけ。渡しておいた名刺から連絡が来るとは思ってもみなかった。

S氏の一軒家へ着くと彼は茶色の分厚い金属扉を背後にして座っていた。

「大丈夫ですか?」

「すみません。わざわざありがとうございます」

「どうしたんですか?」

「はずれてしまって、背中で押さえてるんです」

上のヒンジを見ると、金属が板ガムをちぎるように引きちぎれて歪んでいた。下も同様だった。

「業者に連絡されたんですか?」

「したんですが急には無理だと……」

たしかに玄関の扉では無理か。

「扉を立てかけるか寝かすかしてはどうですか?」

「最近、泥棒が多くて」

「ガムテープかなにかで固定しては?」

「ああそれはいいですね。ただ買ってこないと」

「私行きますか? それとも」

「あ、私が行ってきます。その間これお願いできます?」

私はS氏の代わりに玄関の扉を背に受けた。重い。
S氏はガムテープを買いに行った。

そして10年が過ぎた。

行きつけの立ち飲み屋で飲んでいるとS氏がやってきた。

「あ」

「その節はご迷惑をおかけしました」

「ホントですよ、あと大変だったんですよ。交換費用も立て替えたんですよ」

「すみません」

「どういうことなのか説明してください」

S氏は耳元で囁いた。

「ご迷惑をおかけしたのでここだけの話で言いますが、私、宇宙人なんです」

なるほど、10年も失踪するはずだ。

「玄関扉は交信用アンテナだったのですが突然はずれて……本部からは攻撃かもしれないので身を隠すように言われたのですが意地になって直そうとしていたら機を逸してしまって」

「はあ」

「本部からは無事に回収できたとの連絡を受け、感謝してます」

「あー業者さんが持って行きましたね」

「お詫びに一杯おごらせてください」

と言うと空になっていた私のコップにハンカチを被せた。
取ると寂しかったコップに液体がなみなみと入っていた。
安いお詫びだな。
飲むと、酒だった。

「手品ですか、すごいですね」

「ありがとうございます。このハンカチで今のようにすればこの店で幾らでも飲めますよ」

私はそれからこの店でタダ酒を飲むようになった。
手品がどういう仕組みなのか分からないが、交換費用の元は取れたように思う。

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