『 二都物語』に見るフランス革命

ディケンズの『 二都物語』は、フランス革命周辺を調べ始める、ずいぶん前一度に読んでいたのですが。
背景が多少分かってきたので、再読してみました。

いやあ、とっても面白かったです(*´▽`人)♡

そんなわけで。
今回は「『 二都物語』を読むためのフランス革命ガイド」っぽいことを書いてみたいと思います。
もっとも。
『 二都物語』は基本、恋愛ドラマであったり、私怨による復讐劇だったりなので。
予備知識なしでも充分楽しめるんですけど。
歴史を多少知っておくと、もっと面白いと思うので。
これから読んでみたい、って方にも。
もう読んで知ってるよ、って方にも。
少しでも参考になれば幸いです×××


ロンドンとパリ。
二つの都市を股にかけて展開する『 二都物語』は。
海を挟んだ隣国であり、長年のライバルであった、イギリスの作家ディケンズが、フランス革命に材を取った歴史小説ですが。
世話物の王道といったエンターテインメントに仕上がっておりまして。
世界中でいまだ人気がある作品です。
ディケンズは、読み手の感情をかき立てるのが、上手だし。
ラストを盛り上げるための細やかな構成や、風景描写の美しさは、やっぱりステキなんですよね。

さて、まず。
『 二都物語』のあらすじを申し上げておきますと。
主人公チャールズは、父親とソリが合わずに家出した、フランス貴族の青年です。
そのチャールズが渡英先で、孝行娘ルーシーと知り合って、結ばれるに至ります。
これが物語の前半。
後半の物語は、その数年後。
チャールズはルーシーとロンドンで幸せに暮らしていましたが。
革命が始まったフランスで、家族同然の使用人が革命政府に捕えられたと聞き。
危険を承知で帰郷するも。
貴族であるチャールズは、パリの地で、その身分を理由に死刑を求刑されるのです。
ああ、チャールズの運命やいかに・・・・!?
と、いうお話(ザックリ過ぎ?)です。

知っておくべき主要な登場人物は。
あらすじで紹介した、主人公チャールズ・ダーニー。
ヒロインのルーシー・マネット。
その父、アレクサンドル・マレット、の他に。
主人公のそっくりさん、シドニー・カートン弁護士。
銀行家ローリー。
居酒屋を営む、ドファルジュ夫妻。
と、いったところ。

物語の前半。
主人公チャールズがフランスを捨てて、ヒロインであるルーシーの父親がバスチーユ牢獄から出所したのは、どちらも1775年に起こった事という設定になっております。
1775年と申しますと。
ルイ16世の戴冠式があった年です。
王妹である王女クロチルドがサルディーニャに輿入れし。
凶作と、財政改革の失敗による物価高騰が原因となった暴動、いわゆる小麦粉戦争があった年。
斜陽期に入っていたとはいえ、新しい王を迎えた期待も大きく、まだまだ王政は揺るぎないものであった時代になります。

今回読み直して、ディケンズがこの年を選んだのはどうしてだろうと考えたのですけど。
革命を際立たせるために、革命前を描いておきたかったことと。
主人公を亡命貴族というよりは、貴族である父親との確執による家出という形にしたかったんだろうなあ、と。
そうすることで、革命を理由に亡命した放蕩貴族たちとは、一線を画し。
あくまで無実の人間に仕立てたかったということなんだろうな、と。
本来であれば革命側に同調するような近代的な思想を持つ、清廉な主人公であるのに。
当人の行動や人格に関わりなく、父親や叔父の悪行を理由に裁かれる。
そういう不条理としてのフランス革命を書きたかったから、逆算の結果、ここを起点にしたのだと思われます。
だけど。
前半の物語は、後半に比べると正直イマイチ(あっ、言っちゃったっ)でして。
怒涛のフランス革命、後半に乞うご期待、といったところ。
ただし、情景描写は前半のほうが丁寧で、文学的には読みごたえがあると思います。

さて、次に物語が展開するのは1792年なのですが。
その前に。
1789年のバスチーユ襲撃に、ドファルジュ夫妻が参加したエピソードが挿入され、革命の火蓋が切って落されたこと。
その革命は民衆暴力に依るものであったことが描かれております。
そこまできてようやく本題に入る準備が整った形になり。
いよいよ主人公がパリに戻って革命に巻き込まれることになるきっかけ、アベイ牢獄に捕らえられた使用人からの救援要請の手紙が届きまして。
チャールズは即座にパリに向けて出立するのですが。
それが1792年の8月14日のこととなっております。
この日程の設定が絶妙と申しましょうか。
9月2日から7日にかけて勃発する九月虐殺にシッカリかち合うように設定されておりまして。
歴史を知っている読者をドキドキさせる仕掛け。
パリに向かう途中の街道で身分がバレて捕らえられ、ラフォフス監獄に収監されるまでの流れは、実際の当事者が書いた手記を読むようです。

ただ、惜しむらくは。
せっかくお膳立てしたわりに、九月虐殺の事件そのものがエピソードとして描かれていないことでありまして。
お父さんがヒロインに報告するといった形でサックリ説明はされているんですけど。
牢内にいて事件を目撃したはずの主人公の視点が喪失してしまうんです。
だから、歴史を知らないで読んだ時には、何が起きたのかサッパリ分からなかったんですよね。
そのせいか、ちゃんと描かれていたバスチーユ襲撃と、事件も時系列もゴッチャになっていたような気がします。
ので、九月虐殺の説明をいたしますと・・・・。

九月虐殺は。
「どこからともなく集まった男たちが、パリの牢獄を一斉に襲って、囚人を大量虐殺した」とというもので。
民衆暴力ここに極まれり、といった事件でした。
彼らが殺したのは。
反逆者として収監されていた貴族や聖職者の他に。
窃盗犯などの一般犯罪を犯した者たち。
治安維持のために収容されていた孤児や娼婦なども含めた全ての囚人であって。
革命を理由にしていたものの、実態は単なる集団無差別殺人でした。
逃げ場のない牢獄の中を逃げ惑う囚人たちを、狩りを楽しむように殺害したのは、名前も残っていないような市井の男たち。
そのあまりの蛮行に、血なまぐさいイメージのある革命家たち、ダントンやロベスピエールなども嫌気がさしたと言われます。
各獄で虐殺が続くなか、自然発生的に市民による一種の私設裁判所が各牢獄に設置されるようになりましたが。
これ、法律というよりは判定者たちの感情によって、死刑かそうでないかが裁定されるもので。
死刑が宣告された者は、暴徒たちが待ち構える路上に解き放たれて殺されるシステムでした。
興奮と混乱のなかで、こういった形のイビツな規律が成り立つようになるのも、かえって異様な感じで。
恐怖政治期にあって尚、特異で異常な印象の拭えない事件でありました。
一方、革命政府は「君子危うきに近寄らず」を気どって、暴動鎮圧を避け、治安維持を放棄(!)しましたから。
パリにある牢獄はそのために、いわば一時的な治外法権となっていたのです。
だから暴徒たちは、気兼ねなく虐殺に耽溺できたというわけ。
ちなみに。
有名なマリー・アントワネットの親友、ランバル公妃が殺されたのも、この時のことです。
死刑宣告を受けたランバル公妃は、路上に出された途端に石を投げられ、撲殺死しますが。
暴徒たちは飽き足らず。
その死体を輪姦し、性器を切り取り、首を断ち切って。
その首を槍の先に高々と刺し。
槍の後ろに列をなして、パリの街を練り歩いた挙句。
当時王家が幽閉されていたタンプル塔を取り囲んだという野蛮ぶり。
ランバル公妃の話は有名ですが、似たような事件がパリのあちこちの牢獄で行われておりまして。
さすがのパリ市民もドン引きしたと申します。

・・・・いかがでしょう?
この九月虐殺が起こっていた時に、主人公が死なずに済んだことが、どんなに凄いことか、少しは伝わりましたでしょうか。

アベイ牢獄、ラフォルス監獄のいずれも、激しい虐殺があったことで知られます。
それでも、ここで虐殺を逃れることに成功した人たちというのも、実際に存在しておりまして。
彼らの証言は、かなりスリリングだったりします。
プロットの強引さでは定評のあるディケンズ作品。
『 二都物語』も荒唐無稽なストーリー展開に見えますけど。
何が起こるか分からないフランス革命。
言いかえたら、何が起こっても納得させられちゃうだけの異常な状況が舞台なんです。
多少のプロットの強引さなんてものは、実は、屁でもないのでありますよ。
俗に、事実は小説よりもナントカって申しますけど、それって本当みたいです。

はてさて。
生き延びた主人公は、そのまま囚人として監獄の中で過ごし。
1793年12月にコンショルジェリーで喚問を受けることになるのですが。
ここでは、九月虐殺からの1年3ヶ月の間に、どんな事件が起こっていたのかだけ見てみますと。
1793年1月、国王処刑。
同年3月、革命裁判所の設立。
同年10月、王妃処刑。
同じく10月に派閥闘争に敗れたジロンド派の処刑がありまして。
主人公の裁判があった12月には、主人公と同様イギリスに亡命して、この年帰国していたデュバリー夫人が処刑されていたりもしています。
その他、戦争があったり、内乱があったり、盛りだくさん。
まあ、細かいことはともかく。
ギロチン大活躍! という背景があったことだけ知っておけばいいと思うんです。

『 二都物語』を読むための予備知識、こんなところで充分じゃないかしらん。

ところで。
もう少しだけ、ここで確認しておきたいのは。
ディケンズが、これを「現代小説」ではなく、「歴史小説」として書いたことです。
実は、以前読んだ時には全然分からなかったんですが。
ものすごーく勉強して書いたんだろうことが、今回よく分かりました。
『 二都物語』の初版は1859年ですから。
フランス革命からは、ざっと70年ばかり経っている計算になりましょうか。
参考までに少し脱線して、これを書いている2018年現在から遡ること70年と申しますと、1748年になりますが。
70年前の日本は戦後まもなく。
GHQ監視下にありまして、各省庁が発足するなどの政治体制の変革中。
帝銀事件があって、太宰治の玉川入水騒動があり、美空ひばりがデビューした、そういう年です。
お隣の韓国では、済州島四・三事件なんてのがございまして。
この事件、派生した一連の戦闘で国民の五分の一が戦死したという説もあるほどの大事件。
つまり。
当時のディケンズの感覚からしたら、その済州島四・三事件を題材にした小説を、今年の我々が日本で発売するのと同じくらいの感覚、距離感だったのだろうと想像するわけです。
どうでしょう?
ちょっと「遠い」感じがしますよね?
これだけ時間が経っていると、むしろ、百年後のほうが歴史的に詳細な解明がされている可能性があるんじゃないか、というくらいのもので。
実際に、フランス革命については、最近になって明らかになってきた話も多いのです。
しかも、1812年生まれのディケンズはフランスの大革命の「その後の世代」です。
フランス革命を直接体感した人が生存している段階で、恐怖政治期ド真ん中を書こうっていうんだから、並大抵の覚悟でなく筆を取ったんだろうなあ。
なあんてことを思ったりもしました。

事実、執筆にあたっては相当に下準備をしていたようで。
ディケンズはトマス・カーライルの『 フランス革命史』に感銘を受けて、この『 二都物語』の構想を得たと言いますが。
親交のあるカーライルに、かくかくしがじか頼んでみたところ、馬車2台ぶんの資料が届いて、ディケンズがビックリ感動したっていうエピソードが残っております。
馬車2台ぶんて、置き場に困るレベルの分量ではなかろうか(๏㉨๏)と思うのですが。
それ、全部読んだのだろうかと、ちょっとドキドキしちゃいます。

ついでに申し上げますと。
パリの街は帝政期に大改造を行っております。
ディケンズの時代、パリを訪れても、すでに大革命時代の町並みは変わってしまっていたのです。
このハンデ、実は小さくないお話で。
地図を見て当時を思い描く作業もしなくてはならなかったはずなんですよね。
ディケンズ先生、いっぱい勉強したんですよ、きっと。

で。
これだけ勉強したにも関わらず。
ディケンズは『 二都物語』に有名どころの政治家や活動家の固有名詞を出してないんですよね。
実は、ここ、個人的には感動ポイントでした。
これだけ勉強してたら、あれこれ書きたくなっちゃいそうなものなのに。
小説家の心意気なのかなあ。
処刑人サンソンはギロチンの付属物的に登場するのだけれど、その程度。
珍しく固有名詞が出てきたと思ったらピット(イギリスの首相)だったりして。
もちろん、あくまでフィクションの部分に焦点を当てるためのテクニックなんだろうとは思いますけど。
潔くて、ちょっと凄いな、と思いました。

長くなっちゃったので、最後にもうひとつだけ。
個人的に『 二都物語』で出色なのは、なんと言ってもマダム・ドファルジュだと思っておりまして。
影の主役はこの編み物オバサンだと思うんです。

マダム・ドファルジェのような編み物オバサンたち。
実際に革命裁判所の名物でした。
もともと、裁判を傍聴するのは、民衆にとっては一種の娯楽でございまして。
舞台を見に行くのと同じような感覚だったらしいのです。
しかも劇場は席料を取られますけど、裁判はタダで観られますから。
貧乏人にはうってつけ、というわけです。
そんなわけで、日がな1日、編み物をしながら裁判所にいた女性たちは、結構たくさんいたみたいです。
じつは、彼女たち。
革命裁判所から、内々に日当を受け取っていた、という話があります。
裁判の流れを革命側に有利にしたり、被告人を威嚇したりするために、ブーイングするのが役割だったそう。
いかにもありそうなお話です。

彼女たちは「フランス革命を牽引した民衆」そのもののイメージとして『 二都物語』に登場します。
どんな残酷な刑罰を目にしても平然と編み物を続ける女性たちの姿は、ふてぶてしさと狂気のマリアージュ。
ハッキリ言って、インパクトあります。
法律事務所に勤務したり、法廷速記記者としての経験を持っていたディケンズが、革命裁判所名物の彼女たちに興味を持ったのは、もしかしたら当然かもしれないですけど。
そういうところに焦点を当ててくれたのって、やっぱり嬉しいなあ。


池 央耿・訳の 光文社版で読みました。
初読みは、中野好夫・訳の新潮版でした。

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