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感情と対話。20年ぶりに父に会ってきた話。

みなさん、こんにちは。ご訪問いただきありがとうございます。現在Reapraという事業投資会社に所属している小堀です。

今回の投稿でおそらく今年最後のnoteになるかと思います。「感情と対話による助け合い」をテーマに日々の気付きや実践をいくつかnoteさせていただき、たくさんの方にお読みいただいたこと、改めて感謝したいと思います。

今回は、『感情と対話。20年ぶりに実父に会ってきた話』と題して、自分の人生にとってとても大きな、そして印象的だった今年の出来事についてnoteしていこうと思います。最後までお読みいただければ幸いです。(長くなりそう&かなりプライベートな話なので、胸がそわそわしています)

4歳から中学1年まで過ごした北海道での思い出。

本題に入る前に、少しだけ生い立ちをシェアさせてください。私はこれまで、神奈川、愛知、北海道、岩手、東京といろいろな場所を転々としてきました。北海道に引っ越したのは4歳の頃。

北海道に引っ越す前は、家庭の複雑な事情がいくつも重なり私は母親と神奈川県で二人暮らしをしていました。当時通っていた保育園の運動会で父親と一緒に走る競技があり、周囲の子どもたちが父親と一緒に走る姿を見て自分の父親がいないことに気付き、その日からしきりに「お父さんは?」と母親に言うようになったそうです(実はこの時のことは自分では記憶がなく、最近母親から聞きました)。

母親も当時私を立派に育てようと仕事を頑張ってくれてはいたのですが、忙しさからくるストレスと、私がしきりに父親のことを聞くようになってしまったので、結果的に4歳の頃に北海道に引っ越すことになりました。今でも覚えているのが、父親と空港で再会するときです。空港の到着ロビーの自動ドアが開いた瞬間に走り出し、迎えに来てくれていた父親に抱きついた記憶があります。1年以上別々で暮らしていたので、相当嬉しい記憶として今も残っています。

ただ、3人での生活もそこまで長くは続きませんでした。私が小学校2,3年生の頃に両親は離婚し、また別々の生活に。そういったこともあったので、当時の北海道の思い出はあまり良いものは残っていないのが正直なところでした。両親が離婚した当初私は父親と一緒に生活することを選んだのですが、最終的には母親とまた一緒に暮らし始めて、母親の再婚をきっかけに現在の父親と3人で暮らすようになりました。

父との最後の会話。

父親とまた別々の生活が始まって2年ぐらい経ったある日、突然父親と再会する出来事がありました。

私は小学校1年生から5年生まで野球をやっていて、所属していた野球チームのOBのプロ野球選手が毎年野球教室を開いてくれていました。そこで毎年配られているサイン付きの帽子や色々なグッズ。私も毎年プロ野球選手に会って教えてもらったり、写真撮ったり、サインをもらうのを楽しみにしていたので、父親もそれを覚えてくれていたのだと思います。

ある寒い冬の日の下校途中、父親が小学校の校門前で車を止めて私を待っていました。目を丸くして驚きながら待っていると、サイン付きの帽子を手に持ち父親が近づいてきて「今年も選手が来てくれたんだけど、帽子いる?」とだけ言いました。私は2年ぶりに父親に会えた驚きしかなく、その時の父親の気持ちを受け取ることができずに、「いらない」と一言だけ。その短い会話だけで父親が帰っていくのを記憶しています。

これが小学校5年生のときの出来事だったので、それ以来20年間、私のなかでは父親との思い出は、時計の針が止まったように、そこで止まったままでした。

自分に家族が出来てから。

私は、よくも悪くも母親から強い影響をうけて育ってきました。色々な出来事が重なって母親とふたりで暮らす時間が長かったですし、母親も強い想いを持って私に対してたくさんの愛情を注いでくれました。

そのせいもあり、母親が私の実の父親に対して言うことをそのまま受け入れる傾向が強かったです。お金を自分で稼ぐようになってからわかったことではありましたが、当時の母親は相当色んな苦労をしながら自分を育ててくれていたと思っています。

その苦労の裏返しとして、母親が自分に伝えていた父親のことは、あまりポジティブなものは多くなかったように思います。実際私も「お母さんがそう言うならそうなんだろうな」と考えていたので、別々で暮らすようになってから、父親とまた会いたいという気持ちはありませんでした。

ただ、自分で家族をもつようになり、子どもが出来てから当時の父親の気持ちが少しずつ理解できるようになってきたことも事実でした。仮に自分が、自分の子どもと別々で暮らすということになったらどう感じるだろうか?一緒にいられなくなったらどんな気持ちになるだろうか?もし一生会えないと思ったら?

自分が父親という立場になってから、自分事として当時の父親の想いや苦しく、辛く、悲しい感情を段々と味わえるようになっていきました。それを感じるようになってから、自然と父親に会いにいきたいという気持ちが少しずつ強くなっていったように思います。

再会したときの感情、そして対話。

本来であれば去年北海道に会いにいく予定ではあったのですが、コロナの影響もあり、実際に会いにいけたのは今年の10月でした。今年は、自分の家族のことやキャリアに思い悩む時期も長かったので、奥さんとどこか行きたいねと話をしていたときに、どうせだったら北海道に父親に会いに行こうと思ったのがきっかけでした。

再会する日の当日。会うマンションに向かうため歩いている途中、当時住んでいた北海道の思い出が、机をひっくり返したように出てきました。「あの公園でよく◯◯くんと遊んだな」「このマンションに友達住んでたかも」「あ、ここで父親とよくキャッチボールしていた」。街並みはすっかり都会の雰囲気に変わっていたのですが、変わらない風景もたくさんあったので色あせていた当時の思い出が突然色付いていくような感覚です。当時の思い出は、あまり良くないものばっかりと思っていたので、嬉しく楽しい思い出がたくさん出てきたのは自分でも不思議な感覚でした。

ついに父親と再会する時。マンションのロビーで自分の奥さんと、子どもと待っていると父親がきました。軽く会釈し挨拶をして、エレベーターに乗って部屋に向かう途中、なぜだか涙が止まらなくなり、部屋に着いてからもずっと泣いてしまい、何を話したらよいかわからなくなり、あふれる自分の感情や感覚を受け取りきれずにいました。(実際に「何を話したら良いかわからない」と泣きながら何度か口に出していました)

まったく思考が整理できないでいたのですが、自然と口から出てきたのは、保育園の運動会をきっかけに自分が父親のことをしきりと聞くようになったこと、空港の到着ロビーで思いっきり抱きついたこと、父親との思い出…。あとは父親や父親の家系からたくさん受け取ったギフトのお陰で自分のいまがあること、その感謝の気持ちでした。

その場には、自分の家族と父親、父親の母親(私の祖母)、父親の現在のパートナーがいて、みんなも泣きながら自分の話に耳を傾けてくれていました。私が話終わり、少しの時間が経ったあと、父親が泣きながら声を絞り出すように、でも精一杯の気持ちを持って「生きているうちに会えるとは思っていなかった」と応えてくれました。父親は、とても寡黙な人で、あまり自分の感情を伝えるのはうまくはない人です。その父親が、言ってくれた言葉は、父親にとって最大限のものだったと思います。

その瞬間に、自分のなかで20年以上止まっていた時計の針が動きだしたような感覚になりました。本当に再会できてよかったなと感じましたし、悲しいことや悔しいこと寂しかった出来事も、すべてひっくるめて何も間違っていることはなかったし、少しだけ前に進めた感覚を得ることができました。

結び。

今回は、おそらく今後も含めて自分の人生にとってとても大きな出来事であった父親との再会についてnoteさせていただきました。再会する前はそんな風に思っていなかったのですが、自分の「感情と対話」のテーマにとっても大きな機会だったと感じています。

父親と再会して、自然と自分の口からでてきたことは、思考がまったく介在せずに感情や感覚をありのまま伝えていましたし、父親が応えてくれたことも同様だったと思うからです。お互いの感情をありのまま伝えて、対話し、深く繋がり合う感覚が自分にはありました。

また、その場にいたみんなもそれぞれの立場で思うことや感じることを表現してくれていました。自分だけでは、父親と再会することは叶わなかったと思います。その意味で、自分の家族には心の底から感謝しています。自分ひとりで生活していたら、父親の気持ちを味わうことはなかったでしょうし、自分ひとりで会いにいく勇気もなかったです。ふたりが一緒にいてくれたから会いにいけたと思っています。

最近はこの出来事が呼び水となって、自分の感情や感覚を少しずつ取り戻しているような気がします。特に、感謝の気持ちです。お恥ずかしい話ですが、昔よく親に「お前は感謝の気持ちがない」とよく言われていました。いまにして思うと、伝える術を持っていなかったような気もしますし、実際にそういう気持ちが薄かったのかもしれません。ただ、今回の出来事もそうですし、ここにたどり着くまでに色々な方々にサポートいただいたお陰で自分があると、いまはそう思えます。ありきたりですが、これからも、その気持を忘れることなく、しかも自分の場合はそれを口に出して伝えることを心がけていきたいと思います。

今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。来年もまたその次の年も、これからもずっとみなさんが幸せでありますように。私もそんな時間を過ごせるように、「感情と対話による助け合い」をテーマに周りに助けてもらいながら少しずつ前に進んでいけたらと思います。また来年もよろしくお願いします。

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