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【感情との対話】「感情と対話による助け合い」から「感情との対話による助け合い」へ。

みなさん、こんにちは。ご訪問いただきありがとうございます。現在Reapraという事業投資会社に所属している小堀です。

今回の投稿では、『「感情と対話による助け合い」から「感情との対話による助け合い」へ。』というタイトルで、これまで「感情と対話」と表現していた自分のテーマが実は「感情「との」対話」だったと気付いたお話をnoteさせていただきます。今回も最後までお読みいただければ嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。

イラついた日。

投資先とのMTGが行われるある日のこと。

「…………来ない。いくらまっても来ない……。」

約束していた時間になっても関係者が集まらず、最初は焦り、そしてそこから少しずつ怒りの感情に変化していくのが自分のなかで感じられました。
(余談ですが、ボクは怒りがこみ上げてくると基本無表情になります笑)

結果的にその日はMTGの開始予定時刻から20分以上が経過してしまったため、また別日時で開催することになりました。

「怒り」との対話。

その後、時間を置いて冷静になれたので、自分のなかで感じたことや起きたことを振り返ってみることにしました。

以前紹介した本を参考にしてみると、怒りは「自分が大切にしているコトやモノを攻撃されたり、攻撃されそうになったりした時に湧き上がってくる感情」と説明されていたので、MTGの時に自分が「何を大切にしようとしていたのか?を考えてみると2つの事柄が浮かび上がってきました。

ひとつは、「そのMTGで成そうとしていた仕事」。もうひとつは「関係者および自分の時間」。

実は、そのMTGで関係者に仕事上で大切なことを伝えようとしていました。でも、それが出来なかったことでまず悔しさが沸き起こり、怒りに転化していったことが理解できました。ふたつめは時間です。ひとりの人が遅れることによって関係者と自分の時間がもったいない状態になってしまうことに怒りを感じていたのです。

こうして振り返っていたところ、自分が大切にしようとしていたコトを理解し、どうすれば同じようなコトが起きないように、関係者に建設的に伝えられるかと思考を巡らせられました

「怒り」との対話によって、怒りに囚われすぎることなく、かといってそれを無視するわけでもなく、その感情と出来事に向き合う姿勢を整えることが出来ました。

「感情との対話」だった!

この出来事から、自分のテーマに対する解像度がより高まったように感じました。従来は「感情と対話」と言っていたのですが、自分が学習し続けたいことは、より正確には「感情との対話」と表現できるのかもしれません。

英語のほうがわかりやすそうだったので、あえて英語で表現するとこれまでは…"emotion and dialogue"だったのが、"dialogue with emotion"といった感じです。

感情はどうしても自分のなかに沸き起こるものなので、ボクの場合はそのままそれと向き合おうとすると、どうしても主観的にしか自分のことや現状を理解できなくて、難しく感じてしまうケースが多いです。

一方で、感情を別人格として取り扱うことができれば、あたかも自分の目の前に感情が「誰か」として存在し、対話をするイメージがつきやすいように思います。例えば自分の場合は、「不安くん」だったり、「落ち込みちゃん」とか、「怒りさん」とか、感情に敬称をつけています。

その意味でも、「感情との対話」と表現したほうが、より学習が進みやすくなるのではないかと感じる出来事でした。

結び

今回は、『「感情と対話による助け合い」から「感情との対話による助け合い」へ。』というタイトルでnoteさせていただきました。

今回のエピソードをnoteしてみて感じたのは、「感情」を取り扱える機会はいくらでもあるなぁ、ということでした。例えば、ボクの場合は、時間のことで家族にイラッとしてしまうケースが多いので、そのことでさえも学習の機会になり得ると感じます。あまり業務とプライベート、日常と非日常といった風に線引きをすることなく、「感情との対話」の学習を進めるためにあらゆる機会を活かしていければと思います。

もしボクのnoteを読んでいただき、感じたことや考えたこと、「こんなことを話してみたいな」と思ってくださった方がいれば、ぜひご連絡ください。一緒に何かを学び合えたらとても嬉しいです。

▼連絡先
メール:yuto.kobori@reapra.sg
facebook:https://www.facebook.com/yuto.kobori/

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。


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