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つれづれ!光る君へ!「第六回 二人の才女」

いや、今週も盛りだくさん!事件はまだまだ続く「光る君へ」です。わかっていること(史実)の合間をどう埋めるか?そこに生きた人々はどんなふうに思い悩んでいたのか…!という部分の描き方がほんとうに上手で、まさかこんなウキウキに楽しめるとは思っていませんでした…!さすが。

今週の私の気になりポイントはこちら!
①そんな源いう?問題。「源が!」
「源」氏問題ですね。皇室に子どもがいっぱいふえるといろいろ大変なので、ってざっくり言っちゃいますけれど、一部を残して臣籍降下するわけです。最初の「源」姓は嵯峨天皇の子が名乗ったのが初。帝の子は跡継ぎですよね。でも、母親の身分が低め、とかもう跡取りは十分いるよ、ってなった後に子どもが生まれた場合、扱いが大変なわけですよ。
天皇になれるのは一人が基本だからな。
ということで、臣下として姓をもらう、というのの一つが「源」だったわけです。
ほかにも有名どころでは「平」とか「藤原」とか「橘」とかありますね。今回でいえば在原業平だって、桓武天皇の孫ですし。
平安中期以降はだいたい「源氏」か「平氏」で落ち着きますよね。
そういうわけで同じ「源氏」だって家としてすごいつながっているか、っていうとそういうわけじゃなかったりするし。藤原じゃなくて源!!とか言われても、はあ、って感じですよね。そもそも「源雅信」さんちに婿に行っても「源姓」は名乗らないので、今回のその感じはどーなんかなと思いました…

②おとうさんにもおねえさんにもいろんな理由で倫子を薦められる道長。
追いつめられる(婿入りで)道長。黒い、黒いですね!二人とも違うような同じような理由で倫子にアプローチせい、といわれていましたが、お姉さんの黒さがたまらないですね。
詮子はほんと、恨み骨髄!!って感じの人なんですよね。
実際に倫子とどうして婚姻できたのかというと(倫子方は選び放題。出世しなさそうな三男を選ぶかというと考えもの)倫子のお母さんの猛プッシュ!があったということで、二人がこうなったと聞いたとき、雅信も道兼もびっくりしたらしいですからねえ。いや、どう描かれるのか楽しみですね。

③「お前が男だったらなあ」VS「うちの末娘、見てってよ!!!」
左大臣家に父のために行きたいです、というまひろ。右大臣しか後ろ盾がないとつらいから!というまひろ。「父の為」と「家の為」であって、「左大臣家で赤染衛門先生との文学の話をするのが楽しいから」ではないあたり、紫式部…って感じですね。
今回、清少納言が出てきましたね。この大河では「ききょう」でした。ききょうはねーだろ!と当初ツッコミを入れたにも関わらず、ファーストサマー少納言はすっごーーーーーく良かったので、オッケーです。
そう。このドラマ内では父(清原元輔)は困ったやつ!みたいにしてましたが、事実としてはお父さん、娘をめちゃくちゃ自慢しまくっている感じ。例えば今回のドラマ内で「元微子だと思いますわ!」と言ったら、そうだそうだ!!とうなずいて自慢しそうなお父さんです!。
確か、誰かが遊びに来た時に「こんなことも知ってるんだぜ!」と娘の博識を自慢した、という話があったはずで、(今見つけられなかったんですけど、絶対どっかに書いてあった!)博識で自慢に思っている父からの評価が真逆だとこうも違った人間性になるんだな!という感じがよかったですね!
枕草子についてはまた書くこともあると思うのですが、とりあえず、「陽キャ」な清少納言(自分が自分がで前に出て、自我が強くて感じ悪い)みたいな感じ?イメージで叩かれたことは言っておきたい。(まあ江戸時代とかからだから、本人なくなって何百年もたってますけどもね)
「女性は一という漢字も書けないふりをして、内気で引っ込み思案イメージの紫式部ぽいほうがいい」と言われていた時代がかなり長かったわけで、1970年代くらいまでは清少納言はひどい言われよう(不細工だったから!とかこんな知識ひけらかしてほんとうに下品な女だ!!さらにはこんなでしゃばり女の随筆最低!!などの評論)で、田辺聖子もびっくりしていたくらいです。
清少納言本人と会ったことあるのかよ!
当人の真実はどうあれ、それはそうする必要があったからそうしてたんです。紫式部日記だって、源氏物語だって、もちろん枕草子だって、みんな意図があって作ってる。そして、強い意志で残している。それぞれ優れているから、ってのはもちろんだけども。
父清原元輔の話もしたいけど、それもまたいつか。

④倫子が即「本を読むのが苦手なの」
これは、あれだ。その後、漢字が読めない方がいい、って上記のように日記に残した紫式部エピを彷彿とさせますね。
実際、当時家庭教師に学問を習う時っての音読が基本でした。そう思うと私が小学生時代の息子たちに適当に「音読カードにマル」していたことを反省する!って思うんだけど、今やったとしてもハイハイ!だるいわ、と思いながら適当にマルすると思うわ。
あ、話が逸れました。
姫様は「読めるけど」読みません。女房に音読してもらうんです。それが主人というもの…
倫子ー紫式部ー彰子の関係は今後のお楽しみですね。
そこでいうと高階貴子ー清少納言ー定子の関係のほうもかなり一話だけで持ってきたな!って感じ。ドラマ内で貴子様、キラーン!!ってなってましたね。
枕草子を書いた後、道長は清少納言にもこっち(彰子の元)で働けや!と言ってきますが、彼女はけっして出仕しませんでした。
このあたりも清少納言がただの「陽キャで、「私が」「私が」のでしゃばり」でないことは分かりますよね。定子をいじめる黒道長になる日もまあまあ楽しみです。
こんなただの「いいひと」では一年持たないでしょうから!!(そういえば家康は…)
⑤散楽のみなさんに「おもしろさ」の必要性を知るまひろ。
源氏物語でちょいちょい描かれる面白パートはこういうやりとりから考えられたのだ!って感じなのかしら?源内侍のエピソードとか、髭黒大将の妻、香炉ぶん投げ事件とか!
「おかしきことこそめでたけれ」とか言ってましたね。
この場合、おかしきこと=いとおかし、の「おかし」ではないですよね。
おかしきこと=おもしろいこと、笑えること、という意味で枕草子的な「おかし」ではないということを考えてみると、「めでたけれ」も古語的な、立派である、とか見事である、という意味ではないのだろうな、と思いましたが、この大河、別にまったく古語使ってないんだから、そもそも本来はこういう意味だから…とか考えるんじゃなかったわ。(うっかり)

⑥義懐(よしちか)さん、そして道隆さんの奥様「高階貴子」について
藤原義懐さんは、花山天皇のおじさん(義懐のおねえさんの子が花山天皇)ですね。義懐さんを例にとると、お父さんは藤原伊尹で、伊尹は兼家のお兄さん。自分の子が出来たとき、その子に継がせたい。が、早逝してしまうと、その権力がきょうだいにスライドするんですよね。義懐は父が長生きしていたら、花山天皇の威を借るキツネにならないで済んだかもしれません。学がなかった、と言われていた義懐。(きっと言ってたのは実資だな)だからキャバクラみたいなことするわけで。
それに引き換え道隆の詩宴。
道隆の妻、高階貴子は、高内侍と呼ばれていた才女。内裏に勤めていました。(円融帝時代のことです。道隆と出会ったのもそういう場でしょう)女房三十六歌仙の一人ですね。めっちゃ歌が上手く、詩も得意だったので、女性ではめずらしく詩宴に招かれたそうですね。(女性で詩作ができるのはかなりの知識と教養が必要です。例えば『源氏物語』を見ると光源氏が自分が育成した紫の上の知識についてかなり取捨選択をしている様子がうかがえます。「これは男のだから知らなくていい」「これはあなたも学ぶべき」それにくらべて、母親が生まれの身分が高く(ゆえにいろいろ知っている)しかも健在で母親の教育をがっつり受けた明石の上は「光源氏が教えなくていいと切り捨てたことを知っている」という場面があって、現代の私が読むとすごい心が痛むんですよね…
また話が逸れた!高内侍(道隆妻)が教養豊かって話でした!
ちなみに百人一首に採用されている詩は、新古今和歌集に入っていて、
「忘れじの行く末まては固ければけふを限りのいのちともかな」
かっこいい!!もちろん道隆と交わした歌ですよ。
さすが~
清少納言はある程度の姫だって、みんな一度は宮仕えして、世の中を知った方がいい、みたいなことを言っていますが、今回の大河的にはこの貴子から定子の家庭教師としてききょうが名指しされるなら、「定子のサロンを当代一の文化交流の場」と意図する流れ(そしてそれはとてもとても政治的)が垣間見えて、ほんっと面白かった…!!
貴子-詮子でもあり、貴子-倫子でもあり、ききょう-まひろでもあり…
それぞれ才女が登場しますね。それぞれのやりかたで「家」を(この場合の家は右大臣家、とか左大臣家、よりはもう少し小さい単位の家族、って感じ)を盛り立てていくべく戦う、というプロローグでもありましたね。

さて、F4のみなさんですが、自分の能力(詩歌、管弦は貴族の能力値を図るおおきな指針でもありました)をしっかり評価してくれる道隆に有能な若手官僚がなびくのは当然ですよね。
公任と斉信は「ききょうの鼻をへし折りたい」と言っていましたが、二人とも今後、ききょうにぎゃふんと言わされまくるので楽しみですね!
清少納言は空気を読んだうえで無視できる上級者ですからね。楽しみですね!
そんなこんなで始まった詩宴。「詩には人の望みが表われる」と道隆はいいます。つまり、詩を引用しているのだけれども、それが彼らが望んでいることに他ならない、と。為時が詠んでいるそこにかぶせる本人の解説ナレーションの感じもとてもよかった…
それぞれ(公任以外)白氏文集から採用した歌ですね。
公任がオリジナル!!ということを瞬時にわかる道隆&貴子夫妻。このあたりもよかった。
あと何と言っても終わった後で、公任、衣を「かついで」いましたよね。上手にできると宴の主が御衣を賜わる、って書いてあるんだけど、どんな感じに「かついで」帰るのかな?ってずっと気になっていたんですよね。
内容もおもしろいので、漢詩の選定とかも大変だろうなあ。と思うのですが、素晴らしかった!!

⑧最後の歌!
そんで、道長はまひろに歌を贈っていました。伊勢物語を本歌取りにした歌なので、ここはもとのお話を見てみましょう!
短いのですぐだよ。
「昔、男、伊勢の斎宮に、内の御使にて参りければ、かの宮に、すきごといひける女、わたくしごとにて、
ちはやぶる神のいがきも越えぬべし大宮人の見まくほしさに  
男、
恋しくは来ても見よかしちはやぶる神のいさむる道ならなくに 」

以上です。
昔男とは一説には在原業平って言われていますが、別に業平の話だけじゃないんだよ、というわけで、ある男が伊勢の斎宮に天皇からのお使いでやってきたところ、斎宮に仕えている好き者の女が
「神の斎垣も超えて、大宮人(宮廷につかえるあなた)いに会いに行きたいわ!」といいます。
男は
「そんなに恋しいならば来てみればよいではないか。神が諫める道でもないだろうに」
という歌です。まひろは「越えたければ越えればいいではないか」と言うかな。いわんな。
この「神の斎垣」というネタは万葉集の昔からある基本的な歌でして、似たような歌も残されていますし、ほぼ同じ歌が万葉集巻11に残されています。
「ちはやぶる神のいがきもこえぬべし今は我が名も惜しむげくもなし」
ほかにも拾遺集なんかには「今は命も…」だったりして残っていて、すごくポピュラーな歌だといえましょう。

⑧愛する二人といえば…
今週の源氏ネタはこれでしたね。
花山天皇と忯子。花山天皇は忯子が体調悪くなっても全然実家に帰らせませんでした。これは、当時からいったらまず大問題。
とにかく、日本は宗教国家だったわけなんで、天皇のいる場所がケガレをもつなんてありえないんですよ。ケガレはいっぱいあって、出産だってケガレです。(まあ命がけでしたしね。そこでなくなるなんてマジでだめ…!)
この天皇が寵愛しすぎた結果、体が弱ってなくなる、というのはもちろん源氏物語の中で桐壺帝と桐壺更衣のお話の元ネタです。桐壺の更衣が心配で桐壺帝はなんなら更衣のそばで仕事をしたがったり、離れたくない!とギリギリまで家に帰してあげないわけです。
このとき、朝廷の人々は「玄宗皇帝が楊貴妃に夢中になって国を滅ぼしたことを思い起こさせる」とそういう二人の愛を否定しまくってます。天皇は一人の人を愛するとかとんでもないわけです。その空気感、お察しください。
忯子は帰りたくてもいやだいやだと帰してもらえないという悲しみ。しかし、許されないさらなる苦しみ。
帰ることと死ぬ前に出家することは忯子にとっても重要でした。だって、女性は女性であるだけで罪を背負ってる(意味不明だけど、当時はそういわれてた)から、極楽浄土に行けないよ、ってことで宿下がりをして出家をして神仏にすがって来世の幸せを願う、っていうのがすごく大切だと言われていて、当時、病気の理由とかわからなかったりするから、静養するとかとても大事で、心も体も静養するなら出家したら具合がよくなった人とかもいたりするわけで。そもそも宮中にいる女御はそこにいたら出家なんてできないわけですよ。天皇に仕えている(女御はお仕事…)のでね。少なくとも。
そんで出家せず、なくしてしまう、というのはそうでない場合より一層愛する人に対して罪悪感を持つわけですね。花山天皇も。(光源氏も紫の上の時、おんなじことしようとした。すごい最後の最後出家を許したのでした)
ちなみに忯子は女御で、中宮は忯子のお姉さん。うーむ。
そんな死にかけの姉に出世を願う斉信。おい。

長々ありがとうございました!また来週!!


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