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読書感想文『月と日の后』冲方丁

父、藤原道長が栄華を極めていく様子、そして(たぶん)摂関政治が衰退していくところを見続けた国母、彰子の一代記です。
「この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思えば」
有名すぎるほど有名なこの歌を御簾の向こうで聞いた彰子は苦笑いをするところからこのお話は始まります。
自身を誇らしげにしている父を見て、女を排除しようとしている、彰子はそう感じます。そして、そうはさせない、とも。
ここでもうぐぐっとひきつけられてしまいました。
彰子といえば12歳で一条天皇の后として入内するも、その時には既に最愛の中宮、定子がいて、しかも定子には次の天皇となるべき皇子も生まれていました。しかし、定子には後ろ盾となる親がなく、きょうだいはきょうだいで何かとお騒がせだったし。
でも、定子の後宮は華やかだった。それは『枕草子』を見ればわかる。そして、『枕草子』はある程度貴族たちに流布していました。(これは史実)
彰子の目指すべき後宮の姿は定子中心の、明るく楽しくにぎやかで誰もが笑ってすごしていた後宮で、たぶん幼い彰子はそれに憧れ目指したんだと思った。定子亡き後、皇子を引き取って抱いたとき自分のやるべきこと、あるべき姿を見出したんだろうな!皇子が一条天皇の長男である限りこの子を守る!…さては定子推しだな!!

など、全然書いてないことを自力で補足して思うのでした。

父道長は思い通りにならないと、出仕を拒み天皇をコントロールしようとするし、天皇は天皇で貴族たちからの協力をとりつけないと国家運営に支障が出るので、落としどころを探すしかなく…
そりゃあ腐った組織だわ。

その宮廷でまだ幼い彰子が「天皇の皇子を産むこと」「うまく父にコントロールされること」という二つのミッションの一つを完遂し、一つからは完全に逃れるために戦うことを選んでいく過程はほんとうにおもしろかったです。
彰子が紫式部を迎えて漢文を学んでいたことは史実で、白氏文集について語り合うことだってできるようになるということも事実ですね。

本を読んでいてご不満だったのは、紫式部や和泉式部、赤染衛門などの彰子を支える女房グループがあんまり出てこなかったこと。ていうか、紫式部以外女房一切出てこない。
せっかく貴族や父や怨念!と丁々発止やりあうのに、そこはとてももったいなかった。

よくよく考えると、こんなに虐げられてなくなった定子はよく怨霊にならなかったなー!!と思うし、それはきっと清少納言が人生をかけて書いた定子讃歌『枕草紙』のおかげだと思うわけ。

彰子目線ですべてが進むからか、途中から彰子の価値観のブラッシュアップが出来なくなっていて、そういう面ではとてもさみしい。ゴッドマザーになったならそれなりにファイティングポーズは取っていてほしかった。あ、そこはもちろん小説だから、っていう前提ですけど。

『光る君へ』を楽しみにされているなら、読み応えあり。あの道長が!!とかなること間違いなしですことよ。


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