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読書感想文『犬がいた季節』伊吹有喜

我が家には犬が2匹いる。
ジャックラッセルテリアと柴犬で、問題はいろいろあるが、私はこのふたつの命を家族だと思って接してる。
役立つ芸も、なんもないけどね。
結構話題になってたし、なんなら「本屋大賞」の候補作だったし、今更なんだけど、でもわたしは最近読んだので、私の今年いちばんの犬本、『犬がいた季節』の感想をどうしてもここに残したい!

『犬がいた季節』は四日市にある高校に迷い込んできた(というか捨てられてそこまでやってきた)白い犬と子どもたちの話です。1988年昭和と平成の間のことでした。
物語の始まりになる1章では学校にやってきた白い子犬がコーシローとして学校で飼われることになるまでを、大学受験を控えた塩見優花と絵の天才、早瀬幸四郎の微妙な距離感とともに描かれます。
高校生のころ、確かにこういう憧れとか、告白はしないけど、どきどきする瞬間があったよね。
舞台は高校だから、優花と幸四郎は3月になったら旅立ち、あらたな生徒がコーシローを世話することになるんですね。
例えばF1ブームで鈴鹿で行われるレースを見に行く五月、阪神淡路大震災の時に受験を控える奈津子、などなど。
時代とともに考え方も、家庭環境も、興味関心も違うが同じ高校に通う18歳という共通点で語られるコーシローと生徒たち。


時々の時事、流行した音楽の記憶とともに、コーシローと18歳の人生が日誌に描かれています。18歳は、年代が変わっても、確かに18歳なんだよな。
ところどころに犬視点の感情が描かれているんだけど、最初に出会った優花をずうううっと思っているコーシローのことを思うと私は泣けてしょうがない。

今足元で丸くなっているジャックも、夜になったら交代でリビングに来る柴も、私のことをこんなふうに思ってくれているんだろうか…この惰眠のむさぼりっぷりじゃ、無理かな…

コーシロー目線ではここにいる自分の世話をしてくれニンゲンは3年経ったら入れ替わって新しくなるんだな、って思っていてよく考えてみれば当たり前なんだけど、学校ってとこは必ず「始まり」と「終わり」があるんだよな…ってことで、コーシローの世話をする18歳たちは必ずどっかで「終わり」を感じながら生きている。だから、このお話のなかではどの章もかならず「終わり」を感じさせるものがあって、それがまた感情を揺さぶってくる。

これは小説だから描かれることなんだと思いました。
小説ってのは、虚構なんだろうけど、だからこそ本質が描けるんだよなあ、という一冊でした。

今40代から50代の人ならだいたい必ず共感できる「平成時代小説」でもある。ぜひ。


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