自分に正直に、心の声を聞いて生きる、ということ
Everyday I listen to my heart
ひとりじゃない
深い胸の奥でつながっている
これは平原綾香さんの『Jupiter』という曲のサビだ。
Everyday I listen to my heart
( 私はいつも自分の心に耳を傾ける)
この冒頭の歌詞は、私の人生にとって
深く意味のある、大切なフレーズだ。
「自分の心の声を聴きましょう」
「自分の声に従いましょう」
と、ここ数年で
よく言われるようになったけれど
実際にそれってどういうことなのか、
あまりピンとこない人も
いるかもしれない。
今日は、私が初めて
「自分の心の声を聴いた」
経験をお話しようと思う。
*
以前、記事にしたことがあるが
高校生のときに父が自死し、
人生のどん底を真っ暗闇の中で
過ごした時期があった。
学校に行けないだけでなく、
連日ニュースにもなるような
事件がらみで起こった出来事
だったこともあり、
家のまわりをうろつく
マスコミに聞かれては困ると、
家庭の中でさえも心の内を
話せない状況にあった。
多感な思春期に父を
自死でなくすという
心のアフターケアが
急務な状況にもかかわらず
一家の大黒柱が急になくなった
家庭に、カウンセリングなどを
受ける経済的な余裕はなかった。
何もやる気が起きず、
ベッドに横たわる
私に唯一できたことは
耳にイヤフォンを差し込み
音楽の世界に逃避すること
だけだった。
私が音楽を聴いている
と思っていたけれど、
音楽が私を聴いてくれている
と気づいたということは
先述の記事にも書いた。
悲しみ、怒り、憤り、
後悔、自責の念、
やるせなさ、絶望、
世の中への不信感…
言葉にできない
複雑に絡んだ感情を
音楽が代弁してくれていた。
今になって思うと、
そうやって自己流の
「音楽療法」を
施していたのだと思う。
そして、もっと
正確に言うならば
音楽を通して
「私」が「私」を聞く
という
セルフカウンセリング
(自己対話)を行っていた。
*
父の死後、私自身も何度も
死にたい衝動にかられた。
しかし、音楽の人の心を
癒す力を身をもって知り
「私もそんな音楽の力を
伝えられる歌手になりたい」
という夢ができたので、
それだけが
私の生きる希望となり
なんとか命をつなぐ
ことができていた。
しかし、経済的に
双子の妹と私を
進学させるのが
やっとという中で
さらにお金のかかる
音楽の学校に進学する
ことはかなり厳しかった。
仮に進学して卒業したとしても、
その後「音楽で食っていく」
のは険しい道だと、誰もが
口をそろえて言った。
母は昔から
「公務員になってほしい」
というような典型的な
安定志向の持ち主だ。
父が急に亡くなり
不安定な生活になると
その想いは強固になった。
これ以上、母に
心配と心労を
かけたくない・・・
そのとき、「私の夢=生きる希望」は
閉ざされたように感じて、死を決意した。
もう我慢できなかった。
誰かに今の気持ちや、一連の出来事
すべてを聞いてほしかった。
最後の望みをかけて、
自殺願望の人たちの
セーフティーネット
として窓口を設けている
「いのちの電話」に
コールしてみたけれど
むなしくも「ツーツーツー」
という音だけが流れたとき、
トドメを刺された気がした。
「誰も私のことを聞いてくれないんだ。
誰も私を理解してくれる人はいないんだ。
もう限界だ。やっぱり死のう。」
しかし、周りの声が聞こえる。
「自殺は悪いことだ」
父が死んだとき、周りは
そろってこういった。
「本当に無念な死に方だ」
「自殺した人は天国に行けないらしいよ」
この言葉に、私はひどく傷ついていた。
最後の最後まで苦しんで、
本当に死んでいってしまった人に、
どうしてそんな心ない言葉を
浴びせることができるのだろう。
しかし、自死を選んだ父自身さえも、
生前、幼い私にこう言って聞かせていた。
「自殺は一番、やっちゃいけないことなんだよ」と。
幼いころから刷り込まれてきた
「自殺はいけない」という価値観と
「いい加減、今度こそ死にたい」
という葛藤が繰り返される。
すると、音楽を聴きながら
自己対話していたときのように
「もう一人の」自分の声が聞こえてきた。
「本当に死にたいのですね?」
長い沈黙の後、私は
「もう今度こそ死にたい」
と言った。
その「声」もしばらく沈黙した後、
「そうですね・・・さすがのあなたも
この世界で生きるのはもう酷ですね。
あなたは十分、頑張りました。
私はあなたが頑張ってきたこと
悲しかったこと、全部、全部、
見てきました。
もうこれ以上頑張らなくていい。
本当にお疲れ様。」
と、私が死にたい気持ちを
理解し、許してくれたのだ。
そのとき、私はわかったことがある。
自殺は、なぜ起こるのか。
ー視野が狭くなり、未来への希望が閉ざされた(と思い込んだ)とき
ー誰にも自分の見方や理解者がいないと確信(と思い込んだ)したとき
逆に言うと、
視野が狭くなってしまって、
その先の道が閉ざされ、
誰も信じられないという
最悪の状況になっても
たった一人でも、自分のこと理解し
受け入れてくれる存在がいれば
死に至るほど絶望しないのだ。
その存在が、自分自身であり
絶対的な味方である
ということは、
こんなにも心強くて、優しくて
あたたかくて、頼もしいのだと
身をもって体感した。
誰かや何かに認められより、
何にも勝る安心感だった。
そしてその「声」は続けて
私に語りかけてきた。
「あなたが死を選び、周りからなんと言われようと、私が許します。
でも、今から死ぬ前に、最後にやりたいことをひとつだけできるとしたら
・・・・何がしたいですか?」
長い沈黙の後、絞り出した答えは
「歌いたい」
だった。そして「死ぬ前」に最後に歌う曲として
選んだ歌が、冒頭に紹介した『Jupiter』だった。
望むように生きて輝く未来を
いつまでも歌うわ あなたのために
歌詞の最後にあるこのフレーズを
泣き叫びながら歌いきった後、
私はこの歌詞の通り、
望むように生きて、
死ぬまで、歌い続けよう
つまり、「もう少しだけ生きてみよう」ということを決めた。
この先に、何が待っているのか、
見届けてやろうと、思ったのだ。
死ぬ前に「あ~、あのとき死ななくてよかった」
って言える人生になるのか、自分を実験台にして
もう少しだけ、生きてみようと思ったのだ。
なぜなら、私たちは「死」を
選べるくらい自由な存在だと
気づいたからだ。
「死」を自ら選んでもいいなんて、
これほどの自由があるだろうか。
**
私はこの世界はとても
生きづらいと思っていた。
だけど、「死」を自ら選べるほど
こんなに自由な世界なら
もはや、なんでもできる気がする。
お金がないとか時間がないとか
親が許してくれないとか
そんなの本当に大したことじゃない。
私はいつか歌手になる。
それまで絶対に死なない。
それがあなたがあなたの
心の声を聴くお手伝いをする
「詠美衣」という
シンガーソングライターが
誕生した瞬間だった。
この歌は、私の命をつないでくれた
人生の中で大事な一曲だ。
わたしもこんな歌を
世に届けていきたい。
そんな想いで、
音楽活動をしている。
*
「音楽を聴いても心が動かない」
「心の声を聞くという感覚が
よくわからない」
「心が麻痺してしまって、
凍ってしまって、心が
動くことを忘れてしまった」
「自分の心の声がわからない
まわりの声と聴き分ける力が
弱まってしまってる」
そんな人は、直接お話を聞いて、
お手伝いすることもできます。
アプローチの方法のひとつとして、
音楽表現や英語表現を
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