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アスリート学生と自己肯定感

「自分は自己肯定感が低い」と言う学生さんが
結構います。
自己肯定感とは、
「自分をあるがままでいい」と認めることを言いますが、
競技スポーツの世界に入ると
自己肯定感を高く保つのは難しいようです。
なぜなら常に“競争”ですから、
他の人と比べて自分が強い、あるいは速い、
競技力が高いなどと比較するわけです。
そうすると小さいうちから常に
トップに立っているような選手は
自己肯定感が高いかもしれませんが、
ほとんどの人がそうでは無いのですから
自己肯定感なんて高く持ちようがない
気がするのです。
上を見たらキリがないですから。

自分の今の状態をそれで良いと認めないという事は
「もっと頑張ろう」
「もっと上を目指そう」という向上心に
つながるのかもしれません。
しかし、限度を過ぎると問題になります。

例えばある試合に勝ったとしても、
次の試合で負けたり、
その上の大会では勝てないかもしれない。
そう考えると最初に勝った試合も
あまり喜ぶことができないですよね。

たとえ優勝しても、
ただの地方大会でしかない、
あるいは全国大会で勝ったとしても、
日本国内でしかないとなって、
言い出したらキリがないのです。
海外の大会など上には上のものがあるわけですから。
頂点に立ったら立ったで、何連覇となって
本当に終わりがありません。

そう考えると、競技スポーツをしている人が、
自己肯定感が低いというのは無理ないような気がします。
特に競技に生活の全てをかけていたり
競技の結果が自分の価値であると思っていたら
自己肯定感を育てるのが難しくなります。

競技者として自分を冷静に見つめ、足りない部分を認めて、それを克服しようとするために必要なのは自己肯定感であって、自己否定ではないのです。
試合に負けても、失敗しても、いろいろ自分には欠点はあるけれども、とりあえず自分はOKだと思える“自己肯定感”が必要なのです。

健全な自己肯定感を保つために、
結果と関係なく、自分の努力の体験を認めることが大事です。

結果は大事だけれど、全てではない。
と思えるように、
競技とは別の人間関係や活動の場所も
大切にする必要があります。
日本社会では
「多芸の無芸」
「一芸に秀でる」
という言葉があるように、
一つのことに打ち込むことが評価される傾向があるようです。
確かに、競技スポーツでもレベルが上がるほど、
時間もエネルギーも何もかも費やさないと生き残れないという厳しさがあるとは思います。
それでもなお、競技以外の時間、競技の結果に左右されない人間関係を大切にしてほしいと思います。
結果がでなくても、競技者でなくても、
自分はいいんだと思えるように。

競技人生は短く、人生の一時期でしかないのですから。