見出し画像

44 ワークショップとの出会い

音大生活にも慣れてきた、大学二年生。周りの実力に全く自信をなくし、このままで本当に音楽で生計を立てることができるのだろうか、クラシックの音楽家の王道しか見えていない私は、練習したい。でも、アルバイトもある。けれど練習もしたい。と、ジレンマを抱え、音楽することがだんだん苦しくなって、モヤモヤを抱えながら毎日を過ごしていた。私らしい音楽家の道をずっと考えていた頃だった。そう思っていた矢先、面白い取り組みが音大ではじまった。

当時では珍しかった、テレビ会議システムを利用した、複数校連携の授業が始まった。その授業で私の音楽観はみるみると変わっていった。授業には、学外から先生を招いて行う講座だった。そこで出会った先生たちから、学んだ、私が王道じゃない道を考えるときに、学んだことを書いてみる。

私は、日々楽譜を追うことで精一杯になっていた。社会のことは、本当に何も知らないし、音楽家は、浮世離れしていても、問題ないと思っていた。私たちの暮らす社会が、どのようになっているかについて、関心を思ったことは、全くなかったし、音楽大学では、必要以上に世の中の暗い部分を語らないことになっていた。それにもかかわらず、先生は、私たちに、データでまず日本の現実を語ってくれた。細かいことは思い出せないが、そのデータをみて、社会情勢から、私たちがレッスンを受けていた先生たちが過ごしていた、二十代と、今の二十代、見えている世界観のギャップが浮き彫りになった。師匠の生きる姿勢は学ぶことができても、師匠と同じ道を歩むことはできないことがはっきりわかった。

高齢化が進めばクラシックの聴衆は減る。子どもが生まれなければ、新しい聴衆は増えない。健康寿命が伸びれば、オーケストラのポジションの席はますます限られてくる。わざわざそこに、自分を投じる意味はないと思った。先生は、私たちに、「ワークショップ」の学習観を提案してくれた。

権威主義的な学習観で育った、音楽家の卵たちにとって、それはまさに求めていたものだった。正解よりも、納得感。知識の獲得よりも、意味を作ること。トップダウンよりもボトムアップであること。トップダウンの音楽に縛られていた私は、音楽も、もっとワークショップのような学習観だったらいいのにな。と思うようになった。先生が語った、「答えは、君の中にある」の言葉が今でも印象に残っている。この先生の出会によって、「ワークショップ」が私の中で、一番の関心になった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?