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「苦労自慢」する人々

閑話休題。

“苦労自慢”、“ 病気自慢”。文字通り、「私はこんな大変な思いをして働いています」、「寝てないしストレスいっぱいだから体を壊しています」という話。“自慢”になる題材ではないのだが、とにかくそういう話ばかりいつもしている人、またはなんでも話をすり替えてそちらへもっていく人はよくいる。


自分も追い詰められて辛い時に、自分よりもっと大変な人の話を聞くと、「そうか、辛いのは私だけではないのだ」という妙な仲間意識によって支えられて気が楽になったり、その人には申し訳ないが、「自分よりもっとつらい思いをしている人がいるのだ」と、精神的に楽になることもある。が、苦労自慢や病気自慢の人は、結局のところいつもこういう話しかしないので、別の機会に会ったときの自分の精神状態は普通だったりすると、その人のことを本気で心配してしまったり、引きずられて気分が落ちてしまうこともある。


が、こういう人たちは、単に自分への承認欲求が大きく、単に同情されたいだけか、または自分が大変な仕事をしている=自分は周りからの大きな信頼と期待を得た優れた人間だということがわかってほしいだけなので、下手にまじめに受けとると損をするだけだ。「大変だね、可哀想だね、でもそんなにお仕事してすごいね」とだけ言ってあげさえすればよいことなのだ。本当に病気だったとしたら確かに気の毒ではあるが、今ぴんぴんして病気の話をしているということはもうすっかり完治しているわけだし、多分、そんなに心配する必要もない。


でも私が思うに、こういう苦労自慢は日本特有のものではないだろうか。少なくてもイタリア人は、自分が優れた人間だとアピールしたいなら、ストレートに自分はこんなにすごいという武勇伝をあることないことがんがん話す。こんな著名なクライアントと仕事をした、こんな大口の仕事を取った、または有名人と知り合いである、女の子にもてまくっている・・・等々。とにかく「大変だ大変だ」と嘆いている振りをして、「仕事が大変→沢山または重要な仕事をさせられているから→それは自分しかできない、または自分が期待されているから→つまり私は優秀」という何段階もの過程を経てやっと自分の優秀さをわかってもらえるようなまどっろこしいことはしない。


そもそも、イタリア人はこの論理の最後までたどりつけない。逆にそんなSFIGATOな(ついていない)奴はよほど要領が悪いか、職場でかなり下っ端なのだろうと心の中でバカにするだけ。イタリアではとにかく自分は楽して他の人に仕事をさせる人がカッコいいからだ。または彼らがもしそうやって嘆いている人に心から親身になるならば、「そんなに嫌なら辞めちゃえば?」とアドバイスするだろう。もちろん、自分の不幸話で笑いを取ろうとするなら話は別だが、それはウケないこともよくあるので、ご注意を。


というのも、イタリア人に日本人特有の犠牲の精神はない。自分だけが他の人よりたくさん働いていると言えば、「あなただけにこんなにたくさん残業させる会社にいることなんかない。もっと楽してお金がもらえるところに行きなさい」というだろうし、共働きなのに夫は家事も育児も手伝ってくれなくて一人で頑張っていると言うなら、「そんな夫とはさっさと別居しろ」というか、「フィリピン人の掃除のおばさんを雇って、子供にはベビーシッターをつければいいじゃない」というはずである。なんでも自分で抱え込む自己犠牲精神にあふれる日本人の気持ちも、いろいろな論法を踏まないと自慢のできない日本人の謙虚さもイタリア人にはわからないのだ。


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