嫌いなら嫌いと言ってくれ

イタリア女の強さについて書いた先日の話について、今さらまたフォローを入れるようなことになっていてかなり見苦しいのだが、イタリア女のように激情的でストレートなほうがは、ある意味、楽に生きられるのではないのだろうかと私は思っている。私は立場上、イタリア女を完全否定できないと言うのもあるが、嫌いなものは嫌い、賛成できないものはできない、とはっきり言ってもらったほうが、ずっと気分がいい。

好き嫌いは個人的嗜好の問題なので、自分の好みに合わないからといって名指しで誰かをむやみに非難するのはよくない。でも、何か世に向けてアウトプットしたいなら、ましてやお金をもらってプロとして執筆業に携わるなら、正当な理由を述べたうえで、個人的な攻撃はせずに、自分の意見として嫌なものは嫌というくらいの潔さがあってもよいのではないか。

イタリアで暮らし、イタリアのことを書いた2人の女性作家(個人的攻撃はよくないので、あえて名前は伏せたい)の本を私はかなり読んだのだが、一人はかなりざっくばらんに本音を書いていて、下手すると今なら炎上してしまいそうな内容もあって、ハラハラするほどだ。でも彼女の意見は心に突き刺さる(賛成か反対かは別として)。一方、もう一人は、決して悪口は書かない。読んでいればこの人はこれにむかついたんだろうなとか、ここに出てくる●●さんが嫌いなんだろうなと容易に察することができるのだが、それはあくまで美しい話でまとめられていて、決して面と向かって批判することはない。

私は自分の意見が入っていないただの美文には感動できない。たとえ著者が日本人でも、読む対象が日本人であっても、少なからずもイタリアで暮らしたなら、イタリア女のような血も肉もある文を書いてほしかった。私はいい子ぶるより、正直に悪い子のほうが好きだ。


(futaba_shirasagi さんの写真を使わせていただきました。火のイメージを探していて見つけたので選びましたが、拙文が写真の意図とあわないようでしたらお許しください)

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