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理由②自己肯定感と愛着スタイルの問題

以前の記事で書いた、私の婚活がうまくいかなかった理由をもう少し詳しく書いていくシリーズ2回目です。

「私の婚活がうまくいかなかった5つの理由」

①結婚したい動機がネガティブスタート
②自己肯定感と愛着スタイルの問題
③結婚生活や男性に対するイメージが良くない
④自分の理想が分かっていない
⑤自分が幸せになるのを許せていない

今回は、このうちの2番目について。

②自己肯定感と愛着スタイルの問題

(注:この記事で「自己肯定感」と言っているものの内容は、厳密には、自己肯定感や自己受容感、自己効力感などの概念に分けられますが、その解説まですると複雑になるため、ここでは「自己肯定感」に統一させていただきます。)

自己肯定感が低くなる理由というのは、生育環境や学生時代の友人関係などの影響など様々だろう。
しかし、毒親の下で育った子どもがほぼ例外なく「自己肯定感の低さ」に悩まされるのは間違いないと思う。

そもそも、人は生まれたばかりの赤ちゃんの時は、自己肯定感が高い低いの概念など持っていない。
自分はありのままで完璧で何でもできるという自己万能感を持つ、傷のない玉のようなものだ。
それが、成長していく過程で、周囲からの言葉や態度から社会で生きていくためのルールを学んでいく。
それ自体は人間として生きていくには必要なことだ。
人と繋がり、協力して生きていくためには、いつまでも幼児的万能感を抱きルール無視では、うまくやっていけない。

生まれてはじめて子どもにルールを教える人間は、多くの場合、親だ。
しかし、その親がはたして人が生きていくのに本当に必要で役立つ、まっとうなルールを教えられるかどうかは、親自身の素質にかかっている。
人の親になるのは、免許制ではない。
子どもを産んだからと言って、即座に子育てにふさわしい人格が備わるわけもない。

「親ガチャ」という言葉はあまり好きではないが、確実に、世の中には子育てに適している人とそうではない人が存在する。
そして、子育てに適していない人でも、子どもを持って親になっている人たちは大勢いるのが現実だ。

私の両親はそろって、明らかに子育てに適していない大人であった。
これは、自分が大人になり、甥や姪、友人たちの子どもを見ていて理解できるようになった。
自分がその子たちと同じ年齢の頃に、親から受けた暴言・暴力を思い出し、どう考えても適切な対応ではなかったことが、ようやく腑に落ちた。
自分に起きたこと、自分と自分の両親との関係を客観視することというのは、なかなかに難しい。私も少しひいて客観的に事実を見ることができるようになるまでには、とても長い時間がかかった。

私の父も母も、本人たち自身がとても傷ついており、社会に対しての不信感や恐怖でいっぱいだった。
子どものまま大人になってしまったような人たちだ。
人間としてのキャパシティが小さく、ちょっとしたことでパニックを起こし、それが子どもに対する怒りや虐待といった形で表現される。
ある意味、子どもに甘えているとも言えるだろう。
どんな暴言や暴力をふりかざしても、自分から離れて行かない子どもに当たることで、自分が受け止め消化することのできない感情を、処理していたのだから。
私は両親にとっての、サンドバック、あるいはゴミ箱だった。

まあ、このように、何をしてもしなくても、両親の気分次第で人格否定され続けるのだから、当然のように自己肯定感は下がっていった。

子どもにとって、親は神にも等しい存在だ。
彼らに庇護してもらえなくては、生きていくことができないのだから。
そしてまた、子どもは親を無条件に愛している。
これは、心理カウンセラーの方に聞いたのだが、親が養育できるような環境ではなく施設に入っている子どもたちですら、その親を愛しているのだそうだ。どんなに酷い親でも、一緒に暮らせる日が来るのを願っているのだと。
そんな親から酷い扱いをされるのはなぜなのか?子どもは考える。そうか、自分が悪いんだ。
そうして自己肯定感はますます下がる。

健全な、子どもを良い意味で励ましてくれるような両親の下に育った人が、健全な自己肯定感を持つのと対照的だ。


説明が長くなったが、婚活において自己肯定感が低いと何が困るのかと言うと、他人と親密な関係が築きにくいのだ。
結婚相手、配偶者という、最も親密な相手を見つけるための場で、これは相当なデメリットである。

警戒心の強さや不信感、打ち解けた態度がとれないなどの面で出て苦戦したり、相手と対等な関係で接することができないという問題が出てくる場合もある。

私の場合、特に困ったのは、モラハラ気質をもつ男性に好かれやすかったことだ。最初は優しい男性だったとしても、私が相手の顔色をうかがうため、そのうち雑に扱われるようになったり、酷いことを言われたりといったことが続き、どうもこれはおかしいと考えるうち思い当たった。

自己肯定感の高い女性は、相手に失礼なことを言われたりされたりしようものなら、即座に毅然とした態度をとり、相手から離れる。
しかし、自己肯定感が低いと、それができず、「私が悪かったのかもしれない」という思考になる。そして相手のご機嫌をうかがい、どうしたら好かれるのか、一生懸命尽くし始める。この卑屈な態度に興ざめした男性は冷たく離れていくし、味をしめた男性(これは真性モラハラ)は、搾取するようになる。どっちにしても健全で対等な関係性は構築できない。

クズな相手にも執着してしまうという傾向は、愛着スタイルにも関係している。
私は岡田尊司先生の本を読んで知ったのだが、「愛着(アタッチメント)」というのは、子どもが特定の他者に対して抱く感情的な絆のことで、幼少期に養育者との関係性によって構築される。
この乳幼児期の愛着の形成が、その後の心の発達や人間関係に大きく影響するのだそうだ。
また、「愛着スタイル」というのは、人間関係における感情・行動のパターンである。
見捨てられ不安が強く、相手の愛情を測ったり試したりする私の傾向は、不安型愛着スタイルに分類されるらしい。
(下記の本が分かりやすいと思います)

この自己肯定感の低さ、愛着スタイルの問題を持っていると、人間関係の中でも特に親密な恋愛や結婚といった場面では、多くの問題が出てくることが想像していただけると思う。

事実、自分も含め、多くの婚活で苦戦する女性たちを見てきて、自己肯定感が低い人、おそらく愛着スタイルに問題を抱えているだろう人が圧倒的に多かった。

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