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毒親育ちの私が婚活を始めるまで

10代の頃は、自分は結婚しないだろうと思っていた。
実の親からも愛されない価値のない自分を、他人が愛してくれるなんて、とても思えなかった。
また、自分のように役立たずで陰気で不幸な子どもを産み育てることは、罪だと思っていた。
つまり、それくらい自分はダメな人間だと思っていた。

20代の前半は、もう生きているのもやっとで、きっと遠からず自分は死ぬだろうという思いに支配されていたので、将来のことなど考えられなかった。
それでも死ぬのは怖くて、必死の思いで心療内科の門を叩いたが、それを知った母に「そんなところへ行くなんて、恥ずかしい!やめてちょうだい」と叱責された。
どうやら私の命は、正体もよく分からない世間からの目より、ずっとずっと価値が軽いらしかった。

しかし私は生き延びて、どうにか就職もして、気づけば友人たちが次々と結婚していく年齢になっていた。
友人たちが伴侶とともに新たな家庭を作り、新たな家族が生活の中心になっていく様子を見て、一筋の光明が差したように感じられた。

「そうか。結婚することで、親から独立できるんだ!」

これは偏った考え方であることが、今なら分かる。
戸籍など法的な面では一部正しいかもしれないけれど、精神的な独立というのは、何も結婚によってのみ果たされるものではない。
結婚後も実家や義実家に縛られ続ける人はいるし、独身でも早い段階から親とは離れて自立している人もいる。

でも、当時の私には、両親の支配から逃れるには、それしか道がないように思われた。

私の両親は、未だに「結婚して一人前」という価値観を持っている。
彼らにとっては、いくつであっても独身でいる人間は半人前なのだ。
一人前でない子どもは、自分たちの管理監督下にあるため、どんなことをしてもいいのだという理屈によって、勝手に結婚相談所の説明会に申込をした。
当事者の私には一言の相談もなく、だ。

お前はどうしようもなくトロくて女らしさや可愛げのない人間で、俺たちが面倒を見てやらないといけないから、わざわざそうしてやったんだぞ!ありがたいと思え」

「普通はみんな、学生時代か、そうでなければ職場や友達の結婚式で相手を見つけて20代半ばには結婚するのに、あんたはおかしい!こんなこと恥ずかしくて、誰にも相談できないじゃない」

抗議しても、このような言葉が返ってくるだけである。
手を変え品を変え、子どもの頃からずっと繰り返されるパターン。
いくら論旨が破綻している理不尽な言い分に対しても、私はいつも言い返すことができなかった。

理由の半分は、言い返すともっと酷い目に遭うのが分かっているから。
もう半分は、本当に自分が悪いのだと思っているから。


折りが良かったのか悪かったのか、
その頃、私は失恋した。
そもそも恋愛がうまくいったためしがなかった。
恋や愛が心満たされるものだと思ったこともなかった。
(自己肯定感が極端に低く、愛着スタイルにも問題を抱えていたため、人と親密に付き合うことが難しかったのだが、当時はそういったことも分かっていなかった)

確かに、このままだと私は一生独身である可能性が高いだろう。
だったら、婚活しよう!
私は才能や器量には恵まれていないけれど、これまでの人生だって、人より努力したり時間をかけることで何とかしてきた。
結婚だって、割り切って必死で努力すれば、何とかなるかもしれない。
そうすれば、あの両親からは自由になれる可能性があるんだ。

これが、長い長い、婚活をきっかけとした自己探求の始まりだった。

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