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相互監視ツールとしてのSNS

これはもしかすると3年くらい前からのことなのだが、FacebookやInstagramのようなSNS、ときにはTwitterやLINEのようなSNSに近い機能を持つ類似サービスが、地方在住者や年配者他特定の集団のネットユーザにとっては相互監視の道具として機能しているのではないか、という疑念を抱き続けている。 

数年前から親族とFacebookでぼちぼち繋がりができているのだが、私が日本語や英語でポストしただけなのに、その親族が片っ端からそのポストにいいねをつけたり関係のないコメントを彼らの言語でつけてきたりしてくる。至る所でFacebook中毒が多いと指摘されるお国柄なのもあるのだろうか、それを超えて投稿後30分以内に必ず反応が返ってくるのには恐怖すら覚える。特定のアカウント(=私)がポストしたら通知が来るような監視ツールでも導入しているのか?あと何の脈絡もなく「いつ国に来るの?」と昼夜を問わず何度もメッセを送ったり電話機能を使ったりするのもやめてほしい。
正直言ってこういうのは気恥ずかしいを通り越して「あなたの動向を私達は監視して、親含む親族一同に共有していますよ」と言われてきているような気がしてならない。だからFacebookではもう「親戚」グループに彼らをぶち込んで、愚痴以外の大概の投稿も彼らには見えないようにしている。 

日本語圏のインターネット上で活動する趣味人やクリエイターやオタク、特にゲームやアニメや漫画やアイドルの関係者が「Twitterはフォロワーへの気配りで疲れるし、強い言葉や誹謗中傷やマウントも多いからもう嫌だ」とぼやくのは往々にしてあることのようだが、Facebookの先程の件、あるいは地方在住者(特に年配者)のタイムラインへの投稿や地元交流ページ/グループはそれとは少し違う。 
田舎には教養や都市で求められる精神性のある娯楽もなければ、それらを希求する心を涵養するキッカケも限られてくる。結果、娯楽といえば自分の周囲を含む人間関係の監視、ゴシップやアラ探しか、それを上回る実害を伴ういじめや尻尾の齧り合い、という人が多い。もしくは精々SNSとかに自分の(旅行とかでもない)ただの生活を強迫的に晒し続けるかくらいだ。要するに田舎暮らしは刺激が少なくて暇だから、みな他人を監視してゴニョゴニョと噂するのである。 

都市で10-15年くらい前の学生時代にSNSを始めた人であれば、学校を卒業すれば「あいつ今何してる?」程度の距離を置いた使い方に切り替えるか、いつかパスワードも忘れて放置するかアカウントを畳むか、継続するにしろ非公開にするような運用に切り替えるだろう。 
しかし地方の在住者、特に年配者にとっては、自分の所属する集団の構成員を四六時中監視したり、半ば強迫的に自身の生活をひけらかし続けたりする運用が基本なのだ。彼らの辞書にはSNS疲れという言葉はないのだろうか。これではまるで戦場の◯体画像を載せて「◯◯国の犯罪が!」とシェアし続ける意識の高いアクティビストと何ら変わらない。

カネのかけ方だけでなくSNSとの付き合い方にも都市と田舎の差、もしくは世代間分断が見て取れるのは面白い…とは至らず面倒臭い。

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