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「こんなこともわからないのか」とわざわざ他人を怒鳴りつける人たち (もしくは、ペダントリーに捧ぐ)

昔から日本にはいわゆる「比較文化論」とか「文化理解」の分野で「欧米はローコンテキストで個人主義に基づく風通しの良い社会、日本は社会の構成員に『空気』を読ませる集団第一な圧力のある社会」という雑な対比がある。
それ自体もかなり問題があるように見えるが、今回問題にするのはそこに現れては「それはお前ら論者が英語をはじめ現地語もできない/現地の住民が当たり前のようにやっていることが外国人だからわからない…ということにも気づかないそういう無知なバカだからだよ。どうしてこんな犬でもわかることがわからないのか!」と他人をわざわざ殴ってくる人たちのことである。

なるほど、たしかに冒頭のガバガバな分類も、日本語を第一言語としない日本社会で育ってこなかった外国人にとっては、日本語が簡単で日本社会に同調圧力がないと思えることもあるだろう。逆に日本人の長期滞在者が(最近出てきた「ポリコレ」関係を非難したがる論客が大好きなものも含む)欧米社会の同調圧力(現地の発達障害者も苦しむという、ラテン語で言うところのconsensusか)に気づいて「パリ症候群」よろしく日本でできたことが現地でできなくなることに苦しむという構図もありうる。しかしこういった事例をよそに、他人の無知や無神経を論って優位に立とうとしてくる人が視界に入ると、私は強い不快感を覚えてならない。

前置きが少々長くなったが、ことの本質は、自らの「知識」や「教養」と呼ばれるものを武器に他人を無知だと決めつけて殴ってくる人、もしくは事あるごとにひけらかして称賛を浴びようとする人は、それらをいたく誤用しているということである。知識や教養それ自体は自分自身や他人の人生を豊かにするものではあるが、それを無闇矢鱈にひけらかしたところでおたくのお腹が膨れますか?それで他人を殴ったところでおたくの口座にお金が振り込まれますか?
始末が悪いことに、虚勢を張りたがる故かこうした輩は声が人よりも大きく、そのくせ論理的思考や読解やヒアリングといったインプット/アウトプットのスキルが優れているわけでもないのに、「自分が知識がある」=「自分が学がある」=「自分は賢い」=「周囲は愚民どもだから自分に平伏すべき」と誤解しきっている。勿論、そこには「ええ、ええ!あなた様は実に教養ある知性的な方でございます!」と言って彼を崇める似たような取り巻きが形成される。取り巻きが大きくなって中心の輩が金を取り巻きから巻き上げ始めると、ある種のサロンビジネスが形成される。(このnoteでも一部そういう光景が見られてならないのは残念だ)

純粋に知識獲得や勉強や、それらを好きな人々との横軸でのコミュニケーションを楽しみたい我々にとっては、そういう縦軸でしか知識や教養を使いこなせない人は、はっきり言って暴力を我々に押し付けてきているとしか思えない。そういう人はせめて我々から静かに距離を置いてほしい。

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