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他人に許されたい。

自分のことを理解し、受け入れることができたら
次にすることは
「自分を許す」
ということです。
でも、言うのは簡単。

自分を理解し、受け入れることができても
自分を許すことはなかなかできませんでした。

と、いうのも
「自分は許したとしても
他人は許してくれないんじゃないか」

という考えがあったから。

自分を意識し、向き合っていたはずなのに
いつの間にか、他人を意識していました。

他人を意識しているうちは、なかなか自己否定はなくなりません。
むしろ自己否定するために他人を引っ張り出しているのかも。

なので他人に理解してもらいたいし、許してもらいたくなります。
他人に許されることばかりに執着すると

「なんでわかってくれないんだろう?」
「やっぱり許されないことなんだ」

と、せっかく自分を理解し、受け入れることができたのに
また自己否定を繰り返してしまいます。

でも、他人を頼りたくなる気持ちは悪いことではないですし、ごく自然なことだと思います。

実際に私も問題が起きたとき友達に話を聞いてもらいました。
友達は全部を肯定してくれて
やってしまったことも受け入れてくれて

「真摯に向き合ってるからいいじゃん」

と言ってもらえて、すごく救われました。

ここで少し違うのは
理解して、許されるために話をしたわけではないってこと。
ただ話を聞いてほしいという気持ちだけで
とくに他は何も考えていませんでしたww

このときは結果的に友達が理解し、全部受け入れて許してくれましたが
逆に自分が求めていた反応とは違い
話したことで傷ついたり、モヤモヤしたりすることもありますよね。
そういうときは

「理解」や「許し」を他人に求めているからそう感じるのかも。

そうして他人に求めてばかりいると
例え、理解してくれる人が現れたとしても
理解してくれない人の言葉ばかり
気にしてしまうと思います。

それって他人を意識しすぎて本当に理解してくれた人を大切にできていないってことですよね。
(自分を意識することは、自分のためだけじゃなく自分の周りの人も幸せにすることなのかも!)

理解や許しは他人から与えてもらうものではなく
最終的には自分で与えないと満たされません。

自分を許せるように、とことん自分を理解し
自分を理解するために、とことん自分の味方になる。

“自分” と向き合うということの大切さを改めて感じました。

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